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第5話 優柔不断の代償 2

「……なんなんだ」

 僕は部室を飛び出した後家に帰る気も起きず、

 すっかり暗くなった夜道を一人、頭を冷やしながらさまよっていた。

 ……最悪だ。

 あんな場面を白川さんに見られるなんて。

 さらに、僕は咄嗟に言い訳をしようとした。

 でも白川さんのあの反応は、僕が想像していたものとは違った。

 ……前にも同じようかことがあったな。

 一ノ瀬さんにこの前見られた時。

 彼女は、学校で、何してるんだとモラルに対して怒っていた。

 ……でも、白川さんのあの反応は……少し違う気がする

『――いやだ』

 彼女はそう言った。

 あんな、泣きながら嫌だと。

 ……何が嫌だったんだ?

 ……僕が嫌がる事をするのが嫌だった?

 それは友達として当たり前の感情かもしれない。

 ……だったら……泣く理由はなんだ?

 ……あんなに感情を剥き出しにしてたのはなんでだ?

 ……どうして黒羽さんの頬を叩いたんだ?

「…………」

 ……ありえない。

 一つの可能性しか思いつかない。

 もしそうでないのなら白川さんは……

 僕が黒羽さんと……えっちなことをするのが嫌だったのか?

 ……それは……白川さんが僕を……好きだ、という可能性を秘めている。

「…………」

 僕は少し考えてみるが、

「……ないないない」

 首を激しく横に振った。

「……絶対ない。……こんな僕を好きになる人なんているわけないんだから」

 そうだ。ありえない。

 彼女は学園のアイドルで僕はただのモブだ。

「…………」

 僕はそう思おうとしたところで一ノ瀬さんのあの言葉が頭をよぎった。

『人の世界に自分はいないものと思わないほうがいいよ』

 ……今、少しだけその言葉の意味がわかった気がした。

 どうせ僕なんかと最初から諦め、傍観者でいることを見抜いていたんだ。

 傍観者でいることは、相手の心の舞台に立たないこと。

 それは、舞台の上に登場するはずの人物が出てこない状態だ。

 出てくれると思っていた人が舞台に立ってくれないのは……どれだけ寂しい事だろう。

 ……でも……それでも、舞台に立つことを僕は諦めた。

 僕の人生に登場人物はいない。時々エチュードのように即興で人が現れるだけだ。

 僕の人生の舞台を見る人もいなければ、出る人もいない、孤独な演劇。

 ……もし、僕がすでに人の舞台に呼ばれているのだとしたら、僕はそれに応えなきゃいけない。

 そんなこと僕にできるか? ずっと続けられるか?

 ……毒にも薬にもならない、そんな存在でいたい。

 僕はずっとそう思ってた。……思っていたはずなのに。

 こうして繋がってしまった関係を、たとえ面倒で疲れるものだったとしても、

 失いたくないと思ってしまっている自分もいる。

 それを断ち切る勇気も僕にはないかもしれない。

 ……僕だって、馬鹿じゃない。

 自分にとって良いことは続けるべきだ。そんな事は分かっている。

 皆と関われることは、僕にとって利点のあることだ。

 ……だけど……それを続けるには……どうしたら、いいんだろう

「……はぁ」

 深いため息をついた。

「……どうしてみんな仲良くできないんだろうな……」

 僕は誰もいない夜空を仰ぎ見て、そのどうしようもない悲しみに暮れた。



 ◇



 翌朝、教室のドアが鉛のように重かった。

 ……白川さん……来てるかな……なんて顔すれば……。

 僕が恐る恐る教室内を見渡すと、そこに白川さんの姿はまだなかった。

 変わりに、いつもギリギリで来る黒羽さんがもう来ていた。

 教室の隅で一ノ瀬さんと何か話していた、

 黒羽さんが僕に気づきいつも通りに挨拶をしてきた。

「飯田くん、おはよう」

 ……気まずい。

 昨日あの後、僕は彼女を完全に放置して帰ってきてしまった。

「…………お、はよう」

 僕は少し間を開けてかろうじてそう返した。

 ……普通だ。

 彼女が普通に接してくれたことに、ありがたいと思う反面。

 ……普通なんだ。

 と、なんだかモヤモヤも感じる。

 一ノ瀬さんは僕に軽く片手を上げて挨拶をしてくる。

 ……二人とも、いつも通りだ。

 僕は自分の席に着いた。

 ……白川さんの席は空っぽだった。

 ……もしかして昨日の事で休み? ……そんなにショックだったのか……?

「飯田くん、飯田くん」

 昨日の考えてると、天沢さんが僕の元にやってきた。

「おはよう天沢さん」

「おっは~。ねぇ、昨日からヒマリと連絡つかないんだけど……何かしてる?」

「えっ……?」

 心臓がきゅっとなった。

 思い当たることがありすぎて、

 しかし僕はそれを悟られてはならないと瞬時に判断し、

「そうなんだ……どうかしたのかな」

 と知らないふりをした。

「そっか~……どうしたんだろ」

 ……天沢さんは心配そうにしていた。

 え、その心配は……僕がさせているのか……?

 心臓がドクンドクンと緊張する。

 ……僕が悪いのか? そんな思考で頭が埋め尽くされる。



 そしてホームルームが始まった。

 担任が事務的に告げる。

「あー、白川だが今日は風邪で休みだ」

 教室が少しざわつく。

 ……風邪って……絶対違う。絶対昨日のことだ。

 ……僕のせいだ。

 この日の授業はまったく頭に入らなかった。

 窓の外を流れる雲。

 チョークが黒板を叩く乾いた音。

 そのすべてがまるで現実感がなかった。

 僕があそこでちゃんと嫌だと言えていれば。

 僕がもっと早く二人を止めれていれば。

 ……どうすれば、よかったんだ。

 僕は一日中そればかり考えていた。



 昼休み。

 僕は廊下を歩いていた。

 食欲もなかった。

「……あ」

 前から一ノ瀬さんが歩いてくる。

 僕はとっさに目を逸らそうとした。

「……ちょっといい?」

「え……?」

 しかし、彼女は僕の目の前で立ち止まった。

「……昨日何かあった?」

「……っ!」

 ドキッと心臓が跳ねた。

「……ど、どうして?」

「ん~……」

 彼女はつまらなそうに窓の外を見た。

「……なんかリンの様子がいつもと違うんだよなぁ」

「え……」

 ……黒羽さんの様子が違う?

 今朝の彼女はいつも通りに見えた。

 ……白川さんのことで頭がいっぱいで……そんなこと気が付きもしなかった。

 親友の彼女は、黒羽さんのちょっとした機微がわかるのだろうか。

 ……僕にはそんなことわからない。……そんな細かいところまで……黒羽さんを見ていない。

 僕が黙ったまま俯くその顔を見て一ノ瀬さんはすぐに察した。

「……はぁ」

 彼女は怒ったような呆れたような顔でため息を付いた。

「……何か、あったんだ」

 そして何かを察した。

「…………」

 僕は黙ることしか出来なかった。

「……その様子を見ると」

 彼女の目が僕を鋭く射抜いた。

「……原因はきみだね」

「…………」

「……言わないなら、わざわざ聞かないけど」

 彼女は僕の横をすり抜ける瞬間、

「――凛を、悲しませたら……許さないから」

 そう冷たく言い捨てた。

「…………」

 僕はその場に立ち尽くしたまま、何も言い返せずただ拳を握りしめることしかできなかった。



 放課後。

 僕は部室に行くべきかどうか悩んでいた。

 ……黒羽さんに会わせる顔がない

 ……でも行かないわけにも……。

「飯田くん」

 悩んでいると、珍しく部室に行く前に教室で黒羽さんに声をかけられた。

「……今日、部室行く?」

「え、な、なんで?」

「私、今日用事があるから帰る」

「あ、そうなんだ。……珍しいね」

「まぁね」

 彼女はそう言うと、

「あ、それとこれ」

 とカバンから小さなラッピングされた小包を取り出した。

「……プレゼント?」

「昨日部室に落ちてた」

「え?」

「私のじゃないから飯田くんか白川さんの。……任せた」

「…………」

 黒羽さんは言いたいことだけ言うと僕にそれを押し付けさっさと教室を去っていった。

 ……なんだろう、この包み。




 一人で部活に行く気も出なかったので僕はまっすぐ家に帰ると、自室の机の前に座り、机に置かれた小包をじっと見つめていた。

 ……プレゼント。

 なんで部室に落ちてたんだろう。

 昨日まで気が付かなくて、黒羽さんでも僕でもないのなら、やっぱり白川さんのものだろう。

 ……それが部室に落ちてるってことは……黒羽さんへのプレゼント……ではさすがにない……と思う。

 今までの事を考えれば……もしかしてだけど、ぼくに向けたプレゼントの可能性の方が高いだろう。

 ……だとしたら僕にプレゼント……なんで? 誕生日でもなければ何もしてないのにプレゼントなんてもらえるわけがない。

 ……開けていいかな? いやでも僕のための者でないなら……開けない方がいいのかもしれない。


 ………………。


 開けようか開けまいか、1時間は悩んでいただろうか。

 やっぱり誰の物か調べないと気が済まない。

「ごめん! 白川さん!」

 と、謝りながら震える手で包装紙を破らないように綺麗にテープを剥がした。

 中から出てきたのは、薄いプラスチックで出来た、本を読んでいる人が切り絵のように描かれたデザイン性ある栞だった。

 そして、一緒に小さなメッセージカードが入っていた。

 そこには、彼女の綺麗で丁寧な文字が並んでいた。


『飯田くんへ』


「!」

 僕宛て……?

 僕はゴクリと唾を飲み込み、封を開けると中の手紙を読んだ。


 ――この間は本当にありがとう

 飯田くんが私の一番弱いところを受け入れてくれて本当に救われたよ

 これはそのお礼です

 飯田くんいつも本を読んでるから気に入ってくれると嬉しいな

 私にとって飯田くんは私の弱さを知ってくれた初めての特別な人だから!

 よかったらこれからも、もっともっと私のことを知ってほしいな

 私も、飯田くんのこと、もっと知りたいから

 これからもよろしくね


 白川陽毬――


「…………」

 何これ……僕宛ての手紙?

 僕はしばらくその手紙を見つめてしばらく何も考えられなかった。

 信じられない……僕なんかにわざわざ手紙?

 ……どう見ても嬉しい手紙なのに……心から喜ばしい手紙なのに……胸が締め付けられる……。

 僕は何をしているんだ?

 なんで……向き合おうとしなかった?

 なんで傍観者でいようとした?

 平穏な日常が恋しいだとか……人と付き合うのが浸かれるだとか……自分は舞台の上に立つ人間ではないだって?

 何言ってんだ……こんな……こんな手紙をくれる人がいるのに……僕はまだ、自分は……モブだなんて言うのか?

「…………ふざけんなよ」

 涙が机にぽたりと垂れた。感情が入り乱れた涙を流していた。

 手紙を強く握りしめる。

 僕は自分の思考を恥じた。

 あまりにも自分勝手で、なんて愚かな考えをしていたんだ。

 適当な気持ちで黒羽さんの探求に付き合い、流されるように誘惑され、黒羽さんに対する好きという気持ちを誤魔化しながら、白川さんとも特別な関係になった。

 白川さんとのつながりは決して普通の友達じゃない。

 ……僕の中には、確かに、白川さんに対する好きという気持ちが燻っていた。

 この手紙は間違いなく僕を価値のある人間だと思ってくれている人がいる証だ。

 考えてもみろ。白川さんは僕を陽だまりの住人へと引き入れようとしてくれたんじゃないか?

 僕はずっと自分の無価値を自虐のように伝えてきた。

 彼女はそんな僕を仲間にいれようとしてくれたんじゃないのか?

 彼女はあの陽だまりの中で僕に役割を与えてくれた。

 勉強を教えるところから始まり、今じゃ前よりも陽だまりの人達と普通に話せている。

 自分の手伝いだと言って、僕に手を差し伸べてくれていたのは、彼女の方じゃないのか?

 ……なんて馬鹿なんだ。そんなことにも気づかないなんて。

 僕は……彼女の優しさにまったく気が付けていなかった。


 ……これは僕が招いた悲劇だ。


 僕が何もせずにいるなんてありえない。

「……僕は無価値なんかじゃなかったんだ」

 少なくとも、僕は白川さんの心の支えになっているんだ。

 それを嫌でも理解した。


 傷つかないための言い訳はもうやめだ。

 僕が僕自身が、嫌われる覚悟を持つんだ。

 そうしなければ……この悲劇は終わらない。


「…………やるしかない」


 みっともなくても、格好悪くても僕がやるんだ。ビビってる場合じゃない。

 僕が舞台に立たなきゃ……物語ははじまらない!


 涙を乱暴に拭い、僕は決意を固めた。



 ◇



 私は家に帰るまでの道のりをどうやって帰ってきたのかまったく覚えていなかった。

 バタンと自室のドアを乱暴に閉める。

「陽毬! 帰ってたなら、先に手を洗いなさい!」

 階下から甲高い母の声がする。

 いつもならビクッと肩を震わせる。

 今の私にはどうでもよかった。

 制服のまま着替えることもせずベッドの布団に潜り込んだ。

 頭の中でさっきの光景がフラッシュバックする。

 床に倒れ込む二人。

 飯田くんが黒羽さんの上に乗って彼女にキスをしようとしていた。


 ……いや……いやだ。


 恥ずかしさと悔しさと……そして何よりも自分への強烈な嫌悪感。

 ……なにやってるの……私……。

 私は飯田君を友達だといった。その気持ちに偽りはない。

 私の心を救ってくれた彼は私にとって特別な友達だ。

 ……そもそも特別な友達ってなに?

 飯田くんはほかのみんなと何が違う?

 ……ほかのみんながもしあんなことをしていたとしても……驚きはするけれど、嫌ではないと思う。

 なのに……それなのに……飯田君が黒羽さんとつき合ってると思うと……すごく嫌だ……。


 ……どうして?


 普通に考えれば二人は同じ部活でずっと一緒だった。

 表面上は見えなくても仲がいいことは不思議じゃない。

 それなのに……二人が恋人だと言う事に異常な嫌悪感を感じる。

 ……私は何がショックなの? 飯田君が嘘をついていたこと? 裏切られたこと?

 ……飯田君は何も裏切ってない。私とは友達だったんだから、

 ……黒羽さんと恋人だって言わなかった事がショックだっただけ?

 だとしたら……私はどうして怒ったの? 黒羽さんに手を出してしまったの?

 ……わからない……わからないわからないわからないわからない!!!

 どうして私はあんな姿を見せてしまったの?

 自分でも訳のわからない、ぐちゃぐちゃの感情に任せて、黒羽さんの頬を叩いて、子供みたいに泣き喚いて。

 ……最低だ。

 これは弱い部分じゃない……私の醜さだ。

 こんなの……飯田君の前だって見せられない……飯田くんにこそ、こんな姿……見られたくなかった。

 ……どうして私は……こんなにも感情の制御ができないんだろう。


 私は一人、ベットで声を殺して泣き喚いた。


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