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第5話 優柔不断の代償 1

「陽毬! またスマホばかり見て! そんなものばかり見ているから成績が落ちるのよ!」

 金曜日の夜。白川家の食卓はいつも通りの冷たい空気に満ちていた。

「……別に、成績は中くらい取ってるでしょ」

 ヒステリックな母の声に面倒くさそうに答える。

「中くらいで満足するなんて! もっと上を目指しなさい! 大体、その髪色も――」

 父はそんな私たちの会話には一切関心を示さない。

 ただテレビの野球中継を無心で見ているだけ。

 大学に行って家を出た兄はもちろんここにはいない。

 いつもなら、少し前の私なら、この小さな小さな否定の積み重ねに胸が苦しくなって息が詰まっていたはずだ。

 完璧じゃなければ私はここにいる価値がない。

 そう、思い知らされて食事が喉を通らなかった。

 ……なんで私、こんな場所でご飯を食べなきゃいけないんだろう。

 文句を言われながらも私がこの食卓に座り続ける理由。

 それはここで一緒に食べないと、母が私のご飯を用意してくれなくなるからだ。

 家族という最低限の鎖。

「……陽毬! 聞いてるの!?」

「……聞いてるよ」

 でも、不思議だった。

 この日はいつもの、母の甲高い小言がそこまで気にならなかった。

「ずっと……うるさいな。少しは静かにできないの?」

「なっ……!? 親に向かってなんてこというの!?」

 私はいつものように怒鳴り返すことはなく、

「ごちそうさま」

 と、静かに呟いた。

 自分の食器を片付けてさっさと自室に戻る。 背後で母が何かを叫んでいたけれど、どうでもよかった。

 バタンと自室のドアを閉める。

 私はベッドに飛び込んだ。

 ……息が苦しくない。あんなに私を縛り付けていた、完璧じゃなきゃいけないという強迫観念。

 それが、あの、飯田くんとの出来事を境に少しだけ軽くなっていた。

 ……飯田航平。

 彼の不器用でまっすぐな言葉を思い出す。

 ……弱い心を認めてくれる人がいる。

 ……私の一番醜くてダメな部分を知っても、幻滅しないで側にいてくれる人がいる。

 それだけで、たったそれだけの事実が、私をこんなにも軽くしてくれていた。

 完璧じゃなくても私を認めてくれる、たった一人の友達。

 それだけで……こんなに気楽になれるなんて思わなかった。

 私はスマホを手に取った。

 ……そういえば、

 私、まだ飯田君にちゃんとしたお礼してなかったな。

 あの日のデートは、結局私が全部台無しにしちゃったから。

 今度のお礼は完璧な私じゃなくて、友達の私からしたい。

 ……男の子って、何が欲しいんだろ。

 私はスマホのメッセージアプリを開いた。

『ねぇ、レオくん、男の子って何が欲しい?』

『は? なに急に』

『いいから教えて』

『そりゃ、趣味のもんだろ。俺なら新しいバッシュかゲーム』

『レオくんにプレゼントするわけないでしょ』

『あ? なんだよそれ。……あ~、わかった。飯田だろ』

『ドキッ(スタンプ)』

『だったら直接本人に聞けよ。めんどくせー』

『それじゃサプライズにならないでしょ!』

『じゃあ隼人に聞け』

『(可愛い動物が泣いてるスタンプ)』

『はーい』

 ……もう、レオくんバカ。

 私は頬を膨らませながら次のトーク画面を開いた。

『隼人くん、お願い!』

『 どした陽毬』

『飯田くん君にプレゼント買おうと思ってるんだけど、何がいいかな?』

『……さては航平のやつ陽毬を落としたな?』

『ちがう! お礼!』

『冗談だって。……そうだなぁ、あいつなら気持ちが籠ってればなんでも喜ぶと思うけど……しいて言うなら、実用的な物がいいんじゃないか? あいつ普段からアクセサリ着けないし』

 ……なるほど。

 隼人くん君の的確すぎる真っ当な意見。さすが幼馴染。

『ありがとー! さすが、隼人くん! 参考にするね!(喜びのスタンプ)』

 私はスマホを閉じて天井を見上げた。

 ……何をあげたら喜んでくれるかな。



 翌日の土曜日、飯田くんへのプレゼントを買いに私は一人で街に出ていた。

 朝から色々なお店を巡った。

 一人でカフェに入って新作のケーキを食べたりして。

 それはいつもの友達と一緒のきらきらした時間とは違ったけど。

 ……なんだか、楽しい。

 完璧を気にしないで、ただぶらぶらと歩く。

 そんな普通の休日がすごく新鮮だった。

 普段は誰かと一緒に出掛けることがほとんどだったから、一人で自然にしていられるのが楽しい。

 ……でも、やっぱり友達とお出かけしてる時の方が喜びはたくさんある。

 一人の時間を楽しみつつも、色々なお店を回りプレゼントを吟味した。

 そして 夕方頃に立ち寄った小さな雑貨屋さんで私はそれを見つけた。

「……あっ」

 それは 、斬り絵のように人が静かに読書をしている所が切り取って描かれた栞だった。

 ……地味、かな。

 でも……飯田君いつも本、読んでるし、なんだか、描かれた人がどこか飯田くんに似ている気もして、 私は少し考えると、それを手に取ってレジへと向かった。



 月曜日。

 私は朝からそわそわしていた。

 カバンの中に昨日ラッピングしてもらった小さなプレゼントが入っている。

 ……いつ、渡そうえかな。

 みんなの前で渡すのは恥ずかしい。 かといって、二人きりになれる、チャンスもあんまりない。

 ……あ……部室。

 放課後部室なら。 あそこなら凛ちゃんはいるけど、でも静かな場所なら気軽に渡せるかもしれない。

 ……お礼渡すだけだからいいよね。


放課後。

「お、お先に!」

「あれ、今日早いね~ヒマリ」

「ちょ、ちょっとね!」

 私はきらら達に用事があるからと伝えて先に教室を後にした。



 ……ドキドキする。

 私は女子トイレで身支度を整えていた。

 なんでこんなに緊張してるんだろう。

 ただの友達へのお礼なのに。

 ……凛ちゃんは足早に教室を出て行くけど、飯田くんはゆっくりと鞄を持って、教室を出て行く。同じ部活なら一緒に行けばいいのに。


 ……先に行くと気まずいからもう少ししてからいこう。

 私はドキドキした心を落ち着けるように、鏡の前で何度も深呼吸をした。

「…………よし」

 私は覚悟を決め、プレゼントを手に文芸部へと歩み始めた。



 旧校舎の廊下を進む。……気に入ってくれなかったらどうしよう……でも、飯田くん良い人だし、そういうの表にださないだろうなぁ……。

 あ、でもわざわざ部室で渡さなくても、また屋上に飯田くんを呼べばいっか!

 と、私は文芸部に到着する直前で色々考えながらそんなアイディアを思いついた。

 そして、もう少しで文芸部の扉の前まできた所で文芸部の中で大きな物音がした。

 ……なんだろう、私は慌てて扉を開けようとしたとき、

「く、黒羽さん!?」

 驚く飯田くんの声が聞こえた。

 私は思わず扉の前で手を止めた。

 ……なに? 中で何が起こってるの?

 私は戸惑いながら開けるべきかどうか悩んでいると、

「こうしたら……私を求めてくれたりするのかな」

 ……凛ちゃんの、甘い、普段の抑揚のない声とは全く違う、囁くような声が聞こえた。

 私の心臓がドクンと大きく跳ねた。

 ……何を言ってるの? 求めるって……何を?

 普段と違う凛ちゃんがどうしてそんなことを言ってるんだろう。

 頭の理解が追いつかない。

 ただ、一つだけ……頭に浮かんできたのは、あの時の、エマの言葉だ。

『付き合ってるかどうかなんて雰囲気じゃわからないでしょ。人が来たら清ましてる可能性もあるし』

 ……その言葉を思い返すと、私の心が悲鳴を上げたように扉を思い切り開いた。

「やめてっ!!」

 扉を開けると……そこには、床に倒れる二人がいた。

 正確には、凛ちゃんの……黒羽さんの上に重なるように飯田くんが倒れこんでいた。

「「!」」

 二人は驚いた顔で私の方をみた。

「…………」

 鞄を握りしめたまま、私は立ち尽くす。

「……あ、こ、これは…………その…………」

 飯田くんの顔は真っ赤になって何かを言おうとしている。

 黒羽さんも、表情こそいつも通りだけどどこか頬が紅潮しているように見えた。

 ……それは どう見ても 私が想像した通りの、これから……えっちなことをしようとしている、その瞬間にしか見えなかった。



 ◇



「……なに、してるの……二人とも……」

 白川さんの震える声が静まり返った部室に響く。

 僕は慌てて転がるように黒羽さんの上から離れた。

「し、白川さん! 違うんだ! これは、その……足がもつれて……!」

 情けない言い訳。誰が信じる?

 今見られたことは紛れもない事実で、誤解でも何でもない。

「…………」

 白川さんは僕を見ることもせず、言葉も聞こえてないのか、一点に黒羽さんを見ていた。

 静かに立ち上がった黒羽さんは冷たく一言いう。

「……また、来たの、白川さん」

 黒羽さんはスカートを整え、埃を払いながらうんざりした顔で白川さんを見つめた。

「黒羽さん……あなた……」

「言ったでしょ? 私の探求の邪魔しないでって」

「探求って……え、まさか……」

「私は、飯田くんを求めてる。だから……飯田くんがどうしたら私を求めてくれるか探求を――」

 黒羽さんが何かを言ってる途中で、白川さんはその場に鞄を落とすと、彼女は黒羽さんを睨みつけ強い足取りで部室に、入ってくると、そのままの勢いで


 ―― パァン!


 頬を叩く乾いた音が、静かな部室に響き渡った。

「…………」

 空気が、凍り付いた。

 僕は何が起きたのか理解できなかった。

 黒羽さんは、ゆっくりと叩かれた自分の左頬に手を当てた。

「…………」

 そして、いつもの表情で、頬を押さえながら白川さんを見た。

 ……白川さんは……白川さんの目から……涙が一筋こぼれ落ちた。

「……いや」

 彼女は首を横に振る。

「……いやだ……いや……いやだ……そんなのいやだ……っ!」

 それは駄々をこねる子供のようなだった。

「いやだ! そんなのイヤ! いや!」

 白川さんは、困惑したように、泣きながら、わめくように嫌だと否定していた。

 その状況を僕は理解できず、何もできないまま、ただ茫然と見ていることしか出来ない。

「…………」

 黒羽さんは叩かれた頬を押さえたまま、冷静に白川さんを、見つめたまま告げる。

「……私と飯田くん君が何をしていようと……あなたには関係ない」

「――関係ある!」

 白川さんは黒羽さんの言葉に反射するように金切り声を上げた。

「関係あるもん! だって、私は……!」

 彼女は僕をちらりと見て叫んだ。

「……私は、飯田君の友達なんだから!」

「……友達ならなに?」

 黒羽さんは一歩も引かない。

「私が飯田くんに何をしても問題ないと思う」

「あるよ……だ、だって……飯田くんが嫌がる事してたら止めるのが友達でしょ!」

 鳴きながら、白川さんは何かの正当性を訴えようといった。

 その言葉を聞いた黒羽さんは、すっと僕の方を向いた。

「嫌だった?」

「……えっ」

 ……嫌だった?

 ……あの時、僕は間違いなくキスしようとして……

「…………えっと」

 僕はまったく回らない思考で誤魔化すことすらも出来ず、

「……い、嫌というか……なんというか……」

 と、歯切れ悪く口ごもることしかできなかった。

「…………」

 白川さんの顔は僕のその曖昧な否定を聞いて、目を見開いていた。

「……ほら」

 黒羽さんは、僕の情けない反応を、肯定のように受け取った。

「嫌じゃないって。……飯田くんは、私を求めてる」

「……っ!」

「……その嫌なことっていうのは」

 黒羽さんは……白川さんの……心の一番奥に突き刺さる事実を無慈悲に突きつけた。

「――白川さん、あなた自身の気持ちなんじゃない?」

「…………」

 白川さんは絶望したような表情で黙ってしまった。

 彼女は、何を思って止めようとしたのだろうか。

 一ノ瀬さんは、ただ学校で不埒なことをするモラルに対しての否定をしてきたけれど……今の白川さんの止め方はそういうのではまったくない気がする。

「……し、白川さん……」

 僕はあまりにも、張り詰めたその空気に耐えきれず遠慮がちに彼女の名前を呼んだ。

「―――っ!」

 僕の声、それが引き金だったのか、白川さんはハッと我に返った。

「……あ、……ぁ……ぁああぁ!」

 喉の奥からひり出たような声をあげると、白川さんの表情が、みるみる怯えた顔へと変わっていく。

 そして……目から再び涙が溢れてきていた。

「…………」

 白川さんは床に落ちていた自分の鞄をひったくるように掴むと逃げるように部室を出ていった。

「あ! し、白川さん!」

 僕は思わず彼女を追いかけようとした。

 部室を一歩飛び出す。

「…………」

 ……でも、僕はその場で足を止めた。

 ……どの分際が……どのツラ下げて僕は彼女を追うんだ?

 さっき僕は黒羽さんにキスしようとしてたじゃないか。

 嫌がることをしてると言ってくれたのに、僕はそれを嫌だとはっきり否定できなかった。

 僕に彼女を追う資格なんてあるんだろうか。

 そんな空虚な気持ちが僕を苛んだ。

 僕は白川さんが走り去った薄暗い廊下を、ただ見つめることしかできなかった。

「……飯田くん」

 背後から黒羽さんの声がした。

 僕はゆっくりと振り返る。

「……さっきの、続き……しよ?」

 彼女は何もわかっていないという顔で僕に手を差し伸べようとした。

「……っ!」

 僕はその手を払いのけた。

「……飯田くん?」

 まったくわかっていないように、首をかしげる黒羽さん。

「……なんで」

 僕の口から自分でも驚くほど冷たい声が出た。

「……なんで、あんな、酷いことを言ったの」

「……酷いこと?」

 黒羽さんは心底わからないという顔をしている。

「……いつも、邪魔されるから、事実を言っただけ」

「だからって……あんな言い方しなくても……!」

 僕は二人の会話の本当の意味なんて理解できていなかった。

 でも白川さんをあそこまで追い詰めるような、言い捨てたような言い方が気に入らなかった。

「……だったら」

 黒羽さんは、僕の問いかけに、少しだけ低くなった声で答えた。

「……私は、叩かれてもいいの?」

「……っ!」

 ……そうだ。先に、手を出したのは……白川さんだ。

 黒羽さんの正論に僕は言葉を返せない。

 黒羽さんはそんな僕をじっと見つめて聞いた。

 その瞳は、少しムッとして怒っているようにも見えた。

「――飯田君は、どっちの、味方なの?」

「…………」

 僕は彼女の真剣な顔を見返した。

 そして僕に今言える精一杯の答えを返した。

「……僕は」

「…………」

「……どっちの敵でもないよ」

「…………そう」

 彼女は小さく、僕の答えを飲み込んでいた。

「……今日は、もう帰るね」

 この空気に耐えられない僕は目を合わせることもなく、急いで鞄を持った。

「…………」

「……また、明日」

 僕は彼女の返事を待たずに、逃げるように部室を後にした。




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