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第4話 心を消費する神イベント 5

 ……僕は、どうしたいんだろう。

 教室の片隅の自席でぼんやりと窓の外を眺めていた。

 手元には開かれたままの漫画。まったく物語が頭に入ってこない。

 僕はそもそも静かな生活がしたかったはずだ。

 誰にも干渉されず、教室の隅で大好きな本の世界に浸って、平穏に目立たず生きていきたかった。

 それなのに。

 ちらり、と視線を教室の前方に向ける。

 そこには、陽だまりの中心で白川さんが皆と笑顔で笑い合っている。

 ……白川さん。

 あの日、僕にだけ素顔を見せてくれた彼女。僕と友達になってくれた彼女。

 ちらりと視線を教室の別の隅に向ける。

 そこには、窓の外を眺めている黒羽さんがいた。

 彼女は一ノ瀬さんと時折、ぼそり、ぼそりと何かを話している。

 ……黒羽さん。

 僕にまっすぐ飯田君がいいと言ってくれた彼女。僕の本能を暴走させた彼女。

 黒羽さんに、振り回されて、

 白川さんの、秘密を、知ってしまって、

 陽だまりの皆と水着を買いに行くなんて。

 僕の望んだ平穏はもうどこにもないのだろうか。

 今後はいつ何が起こるかわからない混沌とした刺激の強い毎日になるのだろうか。

 ……疲れた。

 ……面倒くさい。

 ……早く元の一人の日々に戻りたい。

 ……強くそう思うはずなのに。

 もし……明日から黒羽さんがあの突拍子もない探究をやめたら。

 もし……明日から白川さんが僕にだけ見せるあの素顔を隠してしまったら。

 もし……明日からあの陽だまり人達が僕を存在しないものとして扱ったら。

 もし……元の静かな日々に戻ったら。

「……………」

 ぞっとした。

 僕の心はそれを明確に嫌だと叫んでいた。

 ……そっか。

 僕は認めるしかなかった。

 僕はもう知ってしまったんだ。

 刺激的で誰かに必要とされているかもしれないこの騒々しい日々を。

 ……失いたくない。

 僕はそう思い始めていた。

 引っ込み思案で、臆病で、いつも逃げることばかり考えていた僕が、この嵐の中心から離れたくないと願っている。

 ……でも、

 僕はノートの端に意味のない落書きをしながら考える。


 ……僕に何ができるんだ?


 僕はただ流されているだけだ。

 黒羽さんに振り回されて。

 白川さんに頼られて。

 僕にはこの関係を維持するための力なんて何もない。

 ……僕は何もできないんだ。

 すり減った僕の心は、そんな自己嫌悪に苛まれていった。



 ……五時間目は体育だった。

 男子はグラウンドでサッカー。

 女子はテニスコートでテニスをしていた。

 僕は隼人や玲央くんと同じチームになったけど、当然のように戦力外通告を受け、隅っこでただ突っ立っていた。

 隣のテニスコートの方からはひときわ明るい声が聞こえてくる。

「ちょっとヒマリ! そんな玉素人に打たないでくれる!?」

「えへへ! テニスは昔少しやってたもんね!」

 僕はそっとテニスコートに視線を向けた。

 そこには、汗をかきながら髪をポニーテールにして楽しそうにボールを追いかける白川さんの姿があった。

 ……すごい。

 彼女は運動神経も抜群だ。

 周りの天沢さんや美波さんとハイタッチをしている。

 あの姿はやはりまさしく学園のアイドルだ。

 ……友達、か。

 僕はホテルでの彼女の涙を思い出す。

 あんなボロボロの姿を見せてくれた人が今あんなにきらきらと輝いている。

 彼女は僕に変わる手伝いをしてほしいと言った。

 ……僕なんかに手伝えること、あるのかな。

 そんなことを考えていると、

 不意に、白川さんがこちらを見た。

「!」

 彼女は一瞬目を見開くと、 周りの誰にも気づかれないように、 僕にだけに見せる笑顔で小さく手を振った。

「――――っ!」

 僕の心臓が跳ねた。

 僕は慌てて顔を逸らした。

 ……ダメだ……反則だ、あれは。

 私を知ってほしいと言ってくれたこと。

 手伝ってほしいと頼ってくれたこと。

 それが僕の中でどれだけ大きく特別になっているか。

 彼女が僕に向けるその信頼が、僕の胸の奥で恋心なんて、呼ぶにはおこがましい、小さな温かい何かを育て始めていることに。

 ……僕は再びテニスコートの違う方を見た。

 そこには、いたって真面目に一ノ瀬さんとテニスに励む黒羽さんがいた。

 ……彼女は、僕に直接的な性的刺激を僕にしてくる。

 最近は少し理解をしてくれたのか、そこまで直接何かをしてくることもなくなった。

 彼女は放課後ゲームセンターに寄った時のファミレスで、僕と遊んだ時間を楽しかったと答えた。

 ……直接的なアプローチを受けた人に、そんな恋人のようなことを言われて、意識しないわけもなく、僕は黒羽さんをどう見たらいいのかいまだに掴めていない。


 ……僕は本当に、これからどうしていくべきなんだろう。

 僕は何を望んで……何をしたいのだろう。

 僕の中で蠢く葛藤が、じりじりと、夏の強い日差しを浴びて、ゆっくりと形を変えようとしていた。




「お疲れ様、黒羽さん」

 放課後。

 いつものように部室に着くと、黒羽さんはもう来ていた。

「お疲れ様」

 黒羽さんの返答を聞くと、僕は自分の席に着き少女漫画を開く。

 ……静かだ。

 ……最近本当に静かだ。

 あの嵐のような探究が鳴りを潜めている。

 僕が望んだ平穏。

 ……なのに、

 ……何か言いたいことがあるんじゃないか。

 そう、思ってしまうくらい、彼女の沈黙は重かった。

 もう、僕にはそんな探求を求めていないのではないかと思ってしまう。。

「……飯田くん」

「……!」

 僕が緊張で身構えると、

 彼女はゆっくりと僕の方を見た。

 その瞳は、いつもの無機質な目じゃなかった。

 静かな熱を帯びていた。

「……私の仮説が間違ってた」

「え? ……どの?」

「恋とえっちの境界線の仮説」

「!」

 僕は、息を飲んだ。

 ……僕は今何かを期待している気がする。

「えっちなことは目的じゃなかった」

「……うん」

 彼女は静かに立ち上がった。

 そして僕の方に歩いてくると目の前で止まった。

「えっちなことは結果でもない」

「……?」

「たぶん手段の一つ」

「……はぁ」

 何を言いたいのかわからないので僕は適当な相槌を返す。

「……私が本当に探究したいのはえっちなことじゃなかったのかもしれない」

 彼女は僕の目をまっすぐに見つめた。

「……私が探究したいのは、飯田くんあなた」

「……え?」

「うん」

 彼女はさらに一歩僕に近づいた。

「飯田君といると、他の人といる時には感じない、何かが胸の奥にある気がする」

「え……」

「私のわからない感情が動くきがするの。温かくなるような……不思議な感じ」

 それはまるで恋のよう……そう言いたくなるような事を黒羽さんは言い始めている。

「……だから」

 彼女はゆっくりと前かがみになると、僕の制服の袖を……ぎゅっと力強く掴んだ。

「私は気がついた」

「……?」

「私が本当にしたいこと」

「……な、なに?」

 僕の心臓はドキドキと高鳴っていた。

「……恋とか好きとかそういう曖昧な言葉じゃない」

 彼女は無表情のまま、でもその瞳だけは、どこまでも真剣に告げていた。

「私は……飯田君とお互いを、求め合うことがしたい」

「…………え」

 ……お、互いを求め合う……?

 それは……告白……なのか……?

 雰囲気は確かに告白みたいだ。

 でも、

「…………」

 僕は混乱しながらも言葉を絞り出した。

「も、求め合うって……何を……? 僕は黒羽さんに何かを求める必要があるってこと……?」

 なんとなく、頭では彼女が何を言いたいのかわかっている。

 けれど……僕は恐る恐るそう聞き返すことしか出来なかった。

 …………黒羽さんは、僕の必死の抵抗をじっと見つめた。

 そして、

「……じゃあ」

 と、静かに、黒羽さんは目を伏せて、少しすると僕の目をまっすぐ見た。


「――どうしたら私を求めてくれる?」


「え……」

 僕には答えることのできない問だった。

 僕が黒羽さんを求める? 僕が誰かを求めることなど出来るわけがない。

 僕はどこにでもいる、ただ世の中で起きる事象を見るだけの観測者で、モブのような人間だ。

 僕がそんな……誰かを求めることなどない。

「……手順が必要?」

 黙っている僕に、黒羽さんは一人で答えを導き出そうとする。

「い、いや…………そういうわけじゃ……」

「わかった。じゃあ今する」

「は!?  何を――」

 僕が、言い終わる前に、

 黒羽さんは掴んでいた袖を離し、僕の腕を力強く掴み直すと、

 ぐいっ、と力強く自分の方へと引き寄せた。

「うわっ!?」

 僕は椅子から引っ張られ転げ落ちるように床へと倒れた。

 床に倒れる音が部室に響く。

「いったぁ……」

 僕は床に倒れ込んでいた。

(……あれ?)

 しかし、少しだけ柔らかい。

 ……僕は少し遅れて、自分が何の上に倒れ込んでいるのかを理解した。

「…………」

「…………」

 僕は、黒羽さんの上に倒れ込んでいた。

「!! ご、ごめん!」

 僕は慌てて身体を起こそうとした。

 でも、

「……」

 彼女の腕が僕の首に回されて、黒羽さんは僕を離そうとせずしっかりと腕を絡ませていた。

「く、黒羽さん!?」

 僕は彼女の顔を見た。その距離は……今すぐにでもキスが出来そうなほど近かった。

 どうしたって目が合う距離だ。

「こうしたら…………私を求めてくれたりするのかな」

 目の前で、微かに震える唇で彼女はそんなことを言った。

「…………」

「…………」

 この距離で見る彼女の目には、いつもの無表情じゃない何かを感じざるを得なかった。

 僕の勘違いかもしれないけれど、彼女の頬がほんのりと赤く染まっている。

 潤んだ熱っぽい瞳で僕を見つめている。

 そこには僕が今まで一度も見たことがない、感情が乗っているように見えた。

 ……その彼女の魅力に……僕は、吸い寄せられるように、ゆっくりと彼女のその唇に顔を近づけた。


 ――その瞬間。


「やめてっ!!」

 ガラガラっ!! と、部室のドアが勢いよく開いた。

「「!」」

 僕と黒羽さんは慌てて顔を離すと、同時に部室の入り口を振り返る。

 そこには、息を切らせてカバンを握りしめた……白川さんが立っていた。

「…………」

「……あ、こ、これは…………その……」

 余りにも言い訳のできない状況に僕は強い否定はできず、

 白川陽毬さんは真っ青な顔で、

「……なに、してるの……二人とも……」

 僕と、僕の下で頬を赤らめている黒羽さんを見て、血の気が引いた顔をしていた。


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