条件、起動
足音が近づいていた。
広場に戻った律は、火を囲んで眠りかけていたクラスメイトたちを見渡した。誠がすでに数人を起こし始めていた。余計な説明をせず、ただ静かに肩を叩いて目を覚まさせている。
律は広場の構造を頭の中で描いた。
広場は四方を廃墟に囲まれている。入口は三箇所。北の路地、東の崩れた門、南西の細い抜け道。足音は北から来ている。複数、おそらく三から五。移動速度から考えて知性はある程度ある。ただし人間ではない。
「何がいるんだ」
大河が律の隣に来た。声を潜めていた。
「わからない。ただ北から複数来る」
「数は」
「三から五。もっと多い可能性もある」
大河が頷いた。余計なことを聞かなかった。「わかった。俺が前に出る」
「待て」
律は大河の腕を掴んだ。
「前に出るな。まだ相手の能力がわからない。わからない相手に正面から当たるのは最悪の手だ」
「じゃあどうする、逃げるか」
「逃げない。ここで迎え撃つ」律は広場を見渡した。「東の門を塞げ。南西の抜け道に誠を置く。北の路地に——」
「待ってよ」
このはの声だった。
いつの間にか後ろに立っていた。腕を組んで、律を見下ろしていた。
「なんであんたの指示に従わないといけないの。詐術師でしょ、あんた。戦えないじゃない」
「戦えないのと役に立たないのは別だ」
「同じでしょ」
律はこのはを一秒見た。
「お前の炎で北の路地を塞げるか」
「当然」
「入口を塞いだ後、東の廃墟の二階に上がれるか」
「上がれるけど」
「それをやれ。それだけでいい」
このはが眉を寄せた。「なんで二階に上がるの」
「説明している時間はない。やるかやらないか」
このはが舌打ちをした。「……やる」
律は視線を戻した。
「大河、南西の抜け道を塞ぐ壁になれ。誠、お前は——」
「わかった」誠が言った。「負傷者をまとめて中央に集める。盾になる」
律は誠を見た。「俺はそう言っていない」
「でもそういうことでしょ」誠が静かに笑った。「律の言う通りにする」
北の路地から現れたのは、四体だった。
人間の形をしていた。ただし比率がおかしかった。腕が長すぎて、首が細すぎて、目が光を反射して金色に光っていた。廃国に生きる魔物の一種だと律は直感した。
先頭の一体が広場に踏み込んだ瞬間、このはの炎が路地を塞いだ。残りの三体が押し込まれる形になった。
同時に大河が動いた。
速かった。天職「闘神」の身体能力は律の想定以上だった。廃墟の石を蹴って跳び、先頭の魔物の胴体に拳を叩き込んだ。魔物が吹き飛んで東の壁に激突した。壁にひびが入った。
残り三体が炎の中から押し出されてくる。
律は動かなかった。
広場の端で、条件を設定していた。
——この広場の中で、同じ対象に二回以上攻撃が命中した瞬間、その対象の動きを五秒止める。
設定した。
大河が二体目に拳を入れた。魔物が吹き飛ぶ。一体目がまだ動いていた。起き上がろうとしていた。大河が追撃に向かった。
二発目が入った瞬間、魔物の動きが止まった。
完全に、止まった。
大河が一瞬動きを止めた。「なんだ、これ」
「五秒ある。仕留めろ」
大河が振り返った。律を見た。一秒で何かを理解した顔になって、止まっている魔物に向き直った。
五秒以内に、片がついた。
四体を倒すのに、十分かからなかった。
このはが二階から炎を落として追い詰め、大河が仕留め、律の条件術式が動きを止める。誰も傷を負わなかった。
大河が息を整えながら律を見た。
「お前の能力、そういうことか」
「そういうことだ」
「同じ対象に二回当てたら止まる、ってやつか」
「今回はそう設定した」
大河が少し考えた。「今回は、ってことは毎回変えられるのか」
「条件を変えれば変わる。ただし——」律は少し間を置いた。「一度設定した条件は変更できない。使い捨てだ」
「弱点があるんだな」
「強みと弱みは表裏だ」
大河が笑った。さっきと同じ、測るような笑い方だった。「お前、やっぱり変なやつだな。でも——」
大河が律の肩を叩いた。重かった。
「助かった。ありがとな」
律は返事をしなかった。肩を叩かれた感触を、少し持て余した。
このはが二階から降りてきた。
律の前に立って、腕を組んだ。
「一個聞いていい」
「何だ」
「あんた、私が二階に上がるって知ってたでしょ」
「そうしてもらう必要があったから指示した」
「そうじゃなくて」このはが律を見た。「なんで私が上がれると思ったの。できないって言うと思わなかったの」
律は少し考えた。
「お前は自分の能力に自信がある。できないとは言わない。そういう人間だと判断した」
このはが黙った。
「外れていたか」
「……外れてない」
このはが視線を逸らした。それ以上何も言わなかった。律も何も言わなかった。
沈黙が数秒続いた。
「一個だけ言っておく」このはが律を見ずに言った。「今夜のことは、悪くなかった。それだけ」
律は答えなかった。
このはが広場の中央に戻っていく背中を、律は一秒だけ見た。
騒ぎが落ち着いて、クラスメイトが再び火の周りに集まった頃、誠が律の隣に来た。
「律」
「何だ」
「条件術式、使えたな」
「最低限は」
「最低限、か」誠が空を見上げた。夜空の紋章はまだそこにあった。「律はもっとすごいことができる気がする」
「根拠は」
「根拠はないよ」誠が笑った。「でも律が考えた条件って、今夜みたいに相手が絶対踏むようになってる。それって才能じゃないのかな」
律は答えなかった。
才能という言葉が律には馴染まなかった。ただ考えただけだ。相手がどう動くかを予測して、その動きに合わせて条件を置いただけだ。
ただ——
条件術式の手応えを、律は静かに確かめていた。
今夜は単純な条件だった。同じ対象に二回攻撃が当たれば発動する。誰でも思いつく設定だ。だがもっと複雑にできる。もっと精密に、相手が気づかないうちに踏まざるを得ない条件を——
「律」誠が言った。「玲司、まだ戻ってないな」
律は思考を切った。
「ああ」
「心配じゃないのか」
「心配しても戻ってこない」
「そうだけど」誠が膝を抱えた。「なんか、嫌な感じがする」
律は誠を見た。「嫌な感じ」
「うまく言えないけど。玲司って、転移した瞬間から一度も広場に来てないじゃないか。みんなが集まる場所に来ない理由って、何かあると思うんだよね」
律は答えなかった。
誠の直感は、律の論理と同じ場所を指していた。
御堂玲司は、最初から別の動きをしている。
理由がある。
そしてその理由は、律たちにとって都合のいいものではない可能性がある。
「明日、探す」律は言った。「見つけて、話を聞く」
「うん」誠が頷いた。「それがいいと思う」
二人は並んで夜空を見上げた。
紋章が脈動していた。
この廃国で、二日目の夜が更けていった。
第三話 了




