試される日
その知らせは、朝の仕込みが半分ほど終わった頃に届いた。
「商店街の再開発、決まったらしいぞ」
八百屋の佐吉が、いつになく硬い顔で暖簾をくぐってきた。
「……再開発?」
「大型チェーンが入る。
古い店は、立ち退きの話も出てる」
千代の手が、ぴたりと止まった。
頭の奥で、嫌な音が鳴る。
「うちは……」
「まだ分からん。
だが、残れる店と、そうでない店は出る」
厨房の隅で、お稲荷様が腕を組んでいる。
「いよいよ、来たな」
「知ってたんですか」
「風が変わっておった」
千代は、ぐっと唇を噛んだ。
「せっかく……」
「落ち着け」
お稲荷様の声は低いが、強かった。
「これは、お主だけの話ではない」
昼、商店街は妙にざわついていた。
噂が噂を呼び、人の声が落ち着かない。
客足も、どこか様子見だ。
「……今日は、出すのやめようかな」
ふと、弱音が漏れる。
「何をだ」
「……おはぎ」
お稲荷様は、静かに千代を見た。
「怖いか」
「……はい」
正直だった。
「売れなかったら、
この先が、もっと不安になる」
しばらく沈黙。
「それでも」
お稲荷様は、ゆっくり言った。
「今日は、今日の味を出せ」
「……」
「試されるのは、味ではない」
千代は、深く息を吸った。
「……出します」
いつもより、数は少なく。
だが、一つ一つ、丁寧に。
暖簾を出すと、思ったより早く客が入ってきた。
「この前、買ったんです」
見知らぬ男性だった。
「……おいしかった」
それだけ言って、二つ。
次に、常連の少女。
「今日は、どんな味?」
「……少し、強いです」
「じゃあ、それにする」
夕方、ケースはほとんど空になっていた。
「……全部、出ました」
「当然だ」
お稲荷様は言う。
「不安な日は、不思議と腹が減る」
閉店後、商店街の集会所で説明会が開かれた。
条件、期限、補償。
難しい言葉が並ぶ中、千代は気づく。
「……残る店」
条件の一つに、「地域性を活かした店舗」という言葉があった。
「……味、なんだ」
店に戻ると、疲れが一気に出た。
「……無理かもしれません」
ぽつりと、言ってしまう。
「それでも」
お稲荷様は、静かに言った。
「お主の味は、もう逃げ場を持たぬ」
「……はい」
「選ばれるかどうかは、後だ」
千代は、今日の帳簿を閉じる。
売上は、良かった。
だが、それ以上に。
「……出せました」
今日の味を。
今日の覚悟を。
夜、神社に寄ると、風が強く吹いた。
「試される日、だな」
「……はい」
「だが、覚えておけ」
お稲荷様は、拝殿を見上げる。
「神は、続ける者の味を見る」
千代は、拳を握った。
この先、どうなるかは分からない。
けれど。
逃げずに、今日を出せた。
それだけで、胸を張れる気がした。




