49. 祈りと最後の信託
「――神、様?」
ティアーネがそう聞くと、人魚は妖艶な笑みを浮かべた。
「そうよ。こうして会うのは初めてね」
確かに、その声には聞き覚えがあった。合わせ鏡に映った、エドの――藤崎千里の記憶。
こんな姿をしていたとは驚きだが、彼女がまとう雰囲気は、神様と呼ぶのにふさわしい荘厳さだった。
その白く細い手が、ティアーネを手招きする。
体は引っ張られるように、神様の方へと歩いていった。
確かに砂を踏んでいる感覚はあるが、足がもつれることはない。
いつの間にか、ティアーネは神様の手の届く距離まで近づいていた。
「そう、いい子ね。……そのまま、後ろを向いて」
促されるまま、ティアーネは海の方を向いた。何故か、その声には逆らうことができない。
神様なのだから当然のことなのかもしれないが、とてつもなく強大な相手を対面しているという事実が、今更になって身に染みてきた。
「自分の顔を見て、ほら」
視線を下に向けると、波打ち際だというのにやけにはっきりと、海面に自分の顔が映りこんでいるのが見えた。
不安そうな、一人の少女の顔だ。ここに来る前、きちんと魔法をかけていたはずの髪は、もとの黒色に戻っている。
「あの子が本当に死なないのか、不安なのでしょう?」
やはり、神様にはすべてを見透かされているようだった。
「大丈夫、なんですよね?」
ティアーネは、固まっていた口をどうにか動かして神様に尋ねるが、何も答えは返ってこない。
代わりに、腰にあったはずの花冠が、ティアーネの頭に乗せられる。いつの間にか、神様に取られていたようだった。
三つ編みを留めていた髪どめもほどかれ、縛りを失った髪がパサリと広がった。
「――本当に素敵ね、ティアーネちゃん」
後ろから、神様がティアーネの頬をなぞった。
神様の手の中にあったアピッサルテの角は、美しい装飾の施された角笛に変わっていた。
「これなら、あの子があなたに恋するのも無理はないわ」
「――神様」
ついに、ティアーネは口を開いた。神様の指が、ピタリと止まる。
「あなたの目的は何なのですか? こんなことをして、何がしたいのです?」
神様という存在を知ってから、ずっと聞きたかったことだった。聞くなら、今しかないだろう。
ティアーネ後ろに映る神様は、ティアーネから手を放してそうねえ、とつぶやいた。
「愛って、素晴らしいものだと思わない? 友愛、家族愛、師弟愛、主従愛に――それに恋愛。言葉じゃ表せない愛も、無限にあるわ。…………私はね、そのすべてを知りたいの」
「――愛、ですか」
「そうよ」
神様の尾ひれが、ぴしゃりと水を打った。
水面に映っていたティアーネの顔が、ぼんやりと崩れていく。
「私はね、みんなに色んな選択肢を与えて、みんながその中から何を選ぶのか見るのが大好きなの」
神様の方を見れば、彼女は手に持った角笛を眺めていた。言葉を紡ぐ神様の表情は、まるで一人の夢見る少女となんら変わりはなかった。
「私のわがままに付き合ってくれて楽しかったわ。十分、面白いものが見れたんですもの」
神様がにこりと笑う。それは、ティアーネの不安を吹き飛ばすような、優しい笑顔だった。
「じゃあ、エドさんは――」
目を輝かせたティアーネに、神様は手を伸ばした。
「――だから、呪いは解いてあげるわ」
――――え?
そんなことを言う暇もなく、神様がパチリと指を鳴らした。
どこからともなく風が吹き、角笛の音が響く。
ティアーネには、たなびく髪が先のほうから金色になっていくのが見えた。
浄化されていく。そんな表現が正しかった。
そう長くたたないうちに、ティアーネの髪は、数か月前の金色に戻っていた。
「な、なんで……」
まだ、第六の信託のはずだ。もう呪いが解けてしまうなんて思っていなかった。
これが、”祈りは届く”ということなのか?
「そ、そうだ……エドさんは? 呪いが解けたのなら、死ななくてすみますよね?」
しかし神様のその顔を見て、ティアーネは動けなくなってしまった。
それは……圧倒的な、畏怖。
先程まであれほど魅力的に見えた笑顔が、これ以上なく恐ろしく見えた。
「たしかに、素晴らしいものを見せてもらったわ。……その顔も含めて、ね」
「な、なら――」
ティアーネが震える声で言う。しかし、すでにどうしようもないことをティアーネは察していた。
「最後の信託をあげなくちゃ。今回は、私から直接言ってあげるわ――」
神様は両手を伸ばし、ティアーネの頬に触れる。
その金色の双眸から、目が離せない。
ほのかに紅の入った唇が動き、最後の信託を告げた。
「――得られたものから失ったものを差し引き、残されたものがすべてである」
まさか第六の信託がわずか二話で終わるなんてね
評価・ブクマ登録していただけると作者が今日で五話くらい投稿したいなあとか(無理)




