9. 森 2
窓の外、木陰を作る様に木々が伸ばした枝へと跳び移り、そこからそのまま木の上を跳びながら、深い森へ向け進む。これももう、馴れたものだ。
何時も鍛練に使っている場所は、そこだけ開かれたように陽光が差し込み、近くに綺麗な水の流れる小川がある。ここ数日の間で愛らしい花が満開になり、まるで薄紅色の絨毯の様に咲き誇ってている。
この森は、家を出て裏手から奥へ進む程、生い茂る植物は人に厳しい。途中人の背丈程の高さがあるススキの様な植物は、剣の様にスラリと伸びて生い茂っている。そしてその群生地を抜けなければならないのだが、カサカサとした厚さのある葉は硬く、葉の縁を撫でるように触れれば、薄い皮膚は直ぐに破れて血だらけになるだろう。
その後には、棘だらけの蔦草が沢山生えている箇所を潜り抜け抜けなくてはならない。更にその側にある流れの早い小川を越えなくてはならないが、ソレイルの小さな身体に橋の無いそこは、泳がなくては渡れない。
別段、汚れや傷を気にする性格ではないが、ついてしまったその傷を月子が見つければ心配する。別に泳いでも良いのだ。鍛錬にもなる。だが、濡れたら濡れたでまた心配するのが月子なのだ。
それを避けたいが為だけに、ソレイルは何時も、木の枝葉を足場に移動する事にしている。
「・・・・・」
今回『ダイジョブ』と言ったからには、ソレイルは無傷でなくてはならない。
何時までたっても、小さいからと言って子供扱いされるのは癪に障ると言うか、もう少し良いところを見せたいと言うか。ソレイル自身、うまく説明ができない色々な感情が入り雑じる。
家から離れ、30m程進んだ辺りか。件の良く切れる葉の群生地で、ガサガサと音をさせながら大きな何かが蠢いている。
臭いを嗅ぐような仕草で荒い息を鼻から出すそれは、生臭い獣臭と混じり樹上のソレイルまで届いてくる。
紛うこと無き肉食の獣のモノ。
『これは・・・・・』
ガサガサと進む熊はまだ若く、冬眠空けでもさほど毛艶は悪くない。しかし、その後ろ。臭いを嗅ぎながら進む熊の後ろから、小さな丸い子熊の姿が1つ。
『子連れか』
ソレイルの国で狩りをする場合、特別な理由がない限りは、鉄則として子連れの動物に手を出さない。しかし、どうやら風に乗って届く動物の臭いにつられているのだろう熊だったを、放っておくことも出来ない。
毎日卵を分けてくれる鶏や、夏がくる頃には毛刈すると言っていた羊、それから妊娠中の山羊はもう時期子供が産まる。仔山羊がうまれたらソレイルにも乳を搾って飲ませるからと、月子はとても楽しみにしていた。
暫し考えを巡らせた後、仕方がないと熊肉を諦めて腰の剣を握る。ソレイルの父が領地に戻り、自分が王都へ行き騎士団の任へ就く時に渡された、家に代々引き継がれてきた名刀だ。
そんな名刀でも、月子の言う所『小型のペーパーナイフ』の様らしいが、ソレイルが持てば例えペーパーナイフであっても短刀並みの切れ味位はだせる。
身体の大きさではない。要は使い方次第なのだ。
木の上、剣を抜き構えをとると、集中するようにゆっくりと目を閉じた。
次の瞬間、ぶわりと広がる闘気に、森の全ての生き物の動きが一瞬停止する。そしてその後一呼吸の後に剣を振り抜くと、森中の何百もの鳥達が一斉に飛び立った。
強大な威圧に、烏も雀、鷺も啄木鳥も。何もかもが、呼吸すら忘れて逃げて行く。恐らく、ウサギや狸等の動物達もだろう。生き物の気配は近くにない。
しんと静まり返った森にため息を吐くと、母熊の方を見下ろす。
『子に餌を与えたかったのだろうが、その先は私の縄張り。命が惜しくば去れ』
子供を腹の下に庇うように入れ、振り仰ぐ様にしてソレイルのいる木の枝を見ていた熊は、1度低く鼻を鳴らしてから、その体をぶるりと震わせた。
言葉を掛けることは意味をなさないかもしれない。けれど、意図は伝わった様で、荒い息を吐きながら攻撃の意思がないと解ったのか、恐怖に動けない子熊を咥え上げると、大人しく来た道へと走り戻って行った。
『・・・・・さて。クマはダメだが、こちらは良いだろう』
先程剣を振り抜いた方角に転がるモノに視線をむけ、ソレイルは口元を緩めた。
「タダイマ」
「ソレイルさん!遅かったけど大丈夫なんですか?!怪我とかしてない?凄い勢いで沢山の鳥達が飛び立っていったし、帰りも遅いから・・・・・凄く心配してたんですよ?」
「クマ、子供いる、した。子供いる、狩る、しない」
「そうだったんですね・・・・・お肉は残念かもしれませんが、ソレイルさんが無事でよかったです、本当に」
窓辺から掬い上げるように両手で身体を包み込んだ月子の手が、自分の身体を優しく包み込んで胸元へ引き寄せられた。抱き締められる様なそれは少し照れ臭い。けれど、初めて出会った時と変わらず暖かい手に、ソレイルはほっと息を吐く。
全く違うこの世界にただ1人跳ばされてしまったソレイルにとって、その手に包まれる温もりは、とても幸せなものだった。
「威嚇して、追い払う、した。けど、他の生き物も、逃げる、した。大丈夫したの、この家の生き物だけ」
「あー・・・・・鶏とか、うちの子達は解っていますからね、ソレイルさんの事。餌も貰ってますし、最早ボスですし」
逃げた鳥や動物達も、いつかそのうち戻ってくるだろう。身体は小さくとも、ソレイルの気配は人のそれなのだ。
強い者に従うのは、生き物全てに当て嵌まる摂理。恐らく、獣達は今後人間に近づいたりしないはずだ。ここに住む、強い生き物の存在を知ったのだから。
この森の頂点は今日を以て、熊でも猪でもなく、自分になったのだから。
「ツキコ、クマの代わり、猪狩るした!川、浸けてる。明日食べる、する!」
「え、猪ですか?!一体どうやって、」
「剣、ある。熊威嚇しておいた。その時猪狩る、した!剣、何でも切る、する。ちゃんと血抜き、した」
「準備万端ですね・・・・・」
月子に拾われ、助けられた自分のこの感情は、依存に近いものかも知れないけれど。
「川、血抜きしてる。明日お弁当、行くする!」
「ピクニックにはちょっと血生臭いけど、仕方ないですね・・・・・」
呆れた様に苦笑いする月子は、それでもとても嬉しそうに笑っていた。
月子を守りたい。月子の為に何かしたい。月子の笑顔を見るだけでとても幸せな気持ちになる。
もっと仲良くなろたい。彼女をもっと笑顔にしたい。そう思うこの感情が何なのか、ソレイルには未だよくわからなかった。




