町の英雄になってしまいました!
「今度こそ、少しは戦い甲斐があるのかな~~?」
俺が暗い森を見つめながら呟くと、周囲が不自然なほど静まり返った。
カルドさんと警備隊長だけでなく、近くにいた冒険者たちまで俺を見ている。
「どうしたんですか?」
俺が尋ねると、カルドさんが力なく答えた。
「クリムゾンボアを一人で倒しておいて、まだ物足りなさそうに言うからだ……」
「でも、あいつは思っていたより弱かったですよ」
「その言葉は、他のBランク冒険者の前では言わない方がいいな」
「どうしてですか?」
「傷つくからだ……」
そうなのか?
父さんと比べれば、ものすごく弱い方だったのに。
その時、北の森から再び低く長い鳴き声が響いた。
ウウウウゥン……。
その声が広がると、残っていたアーマーボアたちが怯えたように身体を震わせた。
つい先ほどまで町へ突進していた奴らだが、今は森から少しでも遠ざかろうとするように身体を縮こまらせている。
警備隊長が険しい表情で言った。
「今すぐ森へ入るのは危険だ」
「でも、あの中には何かいます」
「それは我々も分かっている」
警備隊長は城壁と、周囲にいる負傷者たちを見回した。
「だが、今は町の立て直しが先だ。負傷者を治療し、門と城壁の被害を確認しなければならない。森の中に何がいるのかも分からない状態で、夜中に追跡するなど自殺行為だ」
「俺たち二人だけで行けばいいんじゃないですか?」
「駄目だ」
警備隊長はきっぱりと言い切った。
「今度ばかりは絶対に駄目だ」
「でも……」
「リオン」
カルドさんも真剣な顔で俺を見た。
「お前が強いことは、もう十分に分かった。だが、森の中に何がいるのかは誰にも分からない。強い力を持っているからといって、すべての危険を一人で背負う必要はないんだ」
その言葉には、簡単に返事ができなかった。
山では、いつも父さんと俺とルナの三人だけだった。
危険な獣を見つけたら、先に駆け出して倒すのが当たり前だった。
だが、人間の町では違う。
人々はそれぞれ役割を分け、情報を集めてから共に動く。
「……分かりました」
俺が頷くと、警備隊長は安堵したように息を吐いた。
「よし。北の森は夜が明けてから調査する。まずは斥候隊を再編し、状況に応じて討伐隊を組む!」
「それなら、俺たちも参加できますか?」
「それは……」
警備隊長は言葉を濁し、カルドさんを見た。
カルドさんは俺とルナを交互に見た後、頷いた。
「この二人を抜いて森へ入る方が、かえって危険だと思います」
「ふむ……やはりそうだろうな……」
「やりました~、お兄様!」
ルナが喜びながら俺の腕に抱きついた。
「私たちも一緒に行けるそうですよ!」
「ああ」
「森にいる魔物、美味しいといいですね~」
「そっちが目的じゃないだろ」
いや。
ルナにとっては、そっちが目的なのかもしれない。
警備隊は北門周辺の後片付けを始めた。
負傷した警備兵や冒険者たちは門の内側へ運ばれ、ルナは人々の間を回りながら治癒魔法を使っていた。
「次の方は、どこが痛いんですか?」
「腕を少し切ってしまって……」
「少し待ってくださいね~」
ルナが手を添えると、傷は一瞬で消えた。
治療を受けた冒険者は、信じられないように自分の腕を見つめた。
「傷跡まで消えている……」
「このくらいの傷なら、すぐに治せますよ」
「本当にありがとう」
「どういたしまして~」
最初はルナの治癒魔法を遠巻きに見ていただけの人たちも、一人、また一人と列に並び始めた。
軽い打撲から、矢を射った際に手のひらが裂けた者、アーマーボアに押し飛ばされて足首を痛めた者まで様々だ。
「次の方、どうぞ!」
「ルナ」
「はい?」
「大丈夫か?」
もう二十人近く治している気がする。
だが、ルナは平然とした顔をしていた。
「この程度では、魔力はほとんど減りません」
「それならよかったけど」
「でも、お腹は空きました~」
やはり、問題はそっちらしい。
俺は周囲を見回した。
倒れたアーマーボアたちは、ガルムンさんとギルド職員たちが確認していた。
急いでギルドからやってきたガルムンさんは、クリムゾンボアの巨大な死体の前に立ち、しばらく動かなかった。
「ガルムンさん?」
俺が呼ぶと、ガルムンさんはゆっくりと振り返った。
「これを斬ったのは、お前か?」
「はい」
「首の甲殻が重なっている部分だけを、正確に斬ったのか」
ガルムンさんは切断面を調べながら感嘆した。
「肉にも皮にも、ほとんど傷がない。こんな倒し方をされたクリムゾンボアは初めて見るぞ」
「それなら、高く売れますか?」
「……結局、一番気になるのはそこなのか?」
「大事じゃないですか!」
ガルムンさんは豪快に笑った。
「ははは! そうだな。おそらく、かなりの値になる」
「どのくらいですか?」
「今すぐ正確な金額を出すのは難しい。クリムゾンボアは甲殻、牙、魔石、肉、それに血まで、すべて高級素材として使えるからな」
「血もですか?」
「クリムゾンボアの血は、体力回復薬や強化薬の材料になる。状態がよければ、それだけで金貨十枚以上にはなるだろう」
金貨十枚。
血だけで?
「それなら、全部合わせると……」
「少なくとも金貨五十枚以上は受け取れるだろうな」
「金貨五十枚!」
思わず大きな声が出た。
近くにいた人々が笑い出す。
「Bランクの魔物より、金貨の方に驚いているぞ」
「その年頃なら、魔物より金の方が恐ろしいんだろうさ」
き、金貨五十枚あったら、蜂蜜パンをいくつ買えるんだ!?
一つ銅貨三枚だったから……。
計算しようとしたが、数字が大きすぎてすぐに諦めた。
ルナなら、きっと全部食べられると言うだろう。
「ただし、一つ問題がある」
ガルムンさんがクリムゾンボアの巨体を叩いた。
「これをギルドの解体場まで運ぶのは、簡単ではなさそうだ」
大人が十人集まっても、持ち上げるのは難しそうだった。
荷車へ載せようにも、身体が大きすぎてそのままでは収まりそうにない。
「俺が持っていけばいいですよ!」
俺が言うと、ガルムンさんは俺を見た。
「……そう言うと思った」
「背負いましょうか?」
「それはやめろ」
「どうしてですか?」
「お前がそれを背負って町を歩き回ったら、明日からこの町の子供たちが全員真似し始めるぞ」
「子供たちには持ち上げられないと思いますけど」
「問題はそこじゃない!」
結局、クリムゾンボアは俺が持ち上げて、ギルドの裏手にある広い倉庫まで運ぶことになった。
俺は奴の腹の下へ手を差し入れる。
そして、力を込めた。
「ふんっ」
巨大な身体が、ゆっくりと持ち上がった。
周囲が再び静まり返る。
「本当に持ち上げたぞ……」
「人間にできることなのか?」
俺はクリムゾンボアを肩へ担いだ。
町の中へ入ると、家の中に隠れていた住民たちが、窓や扉の隙間から俺たちを見ていた。
最初は皆、不安そうな顔をしていた。
だが、俺が担いでいるクリムゾンボアを見つけると、雰囲気が変わった。
「倒したのか?」
「あの巨大な魔物を仕留めたぞ!」
「助かったぁぁ!!!」
一人が叫ぶと、他の人々も家の外へ出始めた。
「ありがとうございます!」
「本当にありがとうございました!!」
「あの兄妹が町を救ってくれたんだ!」
通りの両側に、人々が集まってくる。
拍手をする者もいれば、涙を拭う者もいた。
子供たちは俺の後ろをついてきながら、クリムゾンボアを見上げた。
「わあ~! お兄ちゃんが倒したんですか?」
「ああ」
「一人で?」
「妹が手伝ってくれたんだ」
「そのお姉ちゃんはどこにいるの?」
後ろから治療を終えたルナが、人々の間を抜けて駆けてきた。
「私はここですよ~!」
今度は子供たちが、ルナの周りに集まっていく。
「お姉ちゃんが風で猪たちを吹き飛ばしたんでしょう?」
「はい。少し押してあげただけですよ」
「そ、それが少しなのか?」
そばで聞いていた冒険者が呟いた。
ルナは楽しそうに、子供たちの質問へ答えている。
俺はその様子を眺めながら、ふと不思議な気持ちになった。
山では、誰かに感謝されることなどほとんどなかった。
獣を狩ることも、危険な場所で生き延びることも、俺たちにとっては当たり前だった。
だが、この場所では、俺たちの行動によって大勢の人々が安堵し、笑っている。
悪くない気分だった。
「リオン!」
人々の間から、エルマさんが駆けてきた。
俺たち二人が無事だと確認すると、ほっと息を吐いた。
「本当によかった……」
「心配していたんですか?」
「当たり前でしょう! まだ若い子たちが真夜中に魔物を倒しに飛び出したのよ。心配しないわけがないでしょう?」
エルマさんは俺の腕や肩を確かめた。
「怪我はないの?」
「はい! 大丈夫です」
「ルナは?」
「私も平気です~」
ルナが明るく笑った。
エルマさんは、ようやく表情を緩めた。
「そう。なら、早く入りなさい」
「どこへですか?」
「宿に決まっているでしょう」
「でも、先にクリムゾンボアをギルドへ……」
「それは運んでから戻ってくればいいわ。それより、二人とも夕食を食べてから、まだどれくらいしか経っていないと思っているの?」
「二時間くらいですか?」
「そういう意味で聞いたんじゃないわ……」
エルマさんはため息をつき、それから笑った。
「あなたたちが町を救ってくれたんだから、今夜は私が夜食を作ってあげる!」
「夜食ですか?」
ルナの目が大きく輝いた。
「お肉もありますか?」
「もちろんよ」
「お兄様、早く運んで戻りましょう!」
「ああ」
やはりルナにとっては、食べ物が一番大事らしい。
クリムゾンボアをギルドの倉庫へ下ろして外へ出た頃には、すでに真夜中を大きく過ぎていた。
それでも『金鹿亭』の食堂には、明るい灯りがついている。
エルマさんは大きな鍋へ肉と野菜を入れ、煮込んでいた。
食堂には警備隊長とカルドさん、ガルムンさんまで来ている。
「皆さんもいらしたんですか?」
「今夜働いた者たちへ、エルマさんが食事を出してくれるそうでな」
カルドさんが席につきながら言った。
「もちろん、お前たち二人へ感謝を伝えるためでもある」
やがて、焼きたてのアーマーボアの肉が、食卓いっぱいに並べられた。
分厚く切られた肉は、表面が香ばしく焼き上がっている。
溶けた脂と香辛料が混ざった匂いが、食堂中に広がった。
その隣には、肉の脂で炒めた芋と温かなパン、アーマーボアの肉がたっぷり入った濃厚なシチューまで置かれている。
ルナは席につく前から目を輝かせた。
「わあ~! お肉がものすごくたくさんあります!」
「今日倒した個体の肉ではないわよ。昼間、ギルドから受け取っておいたアーマーボアの肉なの」
エルマさんは笑いながら、大皿に盛られた肉を俺たちの前へ押し出した。
「町を救った英雄なんだから、お腹が破裂するくらい食べなさい!」
「いただきます~~!」
ルナは一番大きな肉から手に取った。
「ゆっくり食べろよ」
「お腹が空いて、待てないんです~」
ルナはシチューを一口食べると、幸せそうな表情を浮かべた。
「美味しいです!」
エルマさんが満足そうに笑った。
「たくさん食べなさい。今夜の主役なんだから」
「主役だなんて……」
俺が気まずそうに呟くと、警備隊長が酒杯を持ち上げた。
「リオンとルナがいなければ、北門は破られていただろう」
カルドさんも頷いた。
「被害は遥かに大きくなっていただろうな」
「二人のおかげで、町は無事だった」
警備隊長が俺たちを見て言った。
「本当にありがとう」
「大したことではありません~」
「大したことではないわけがないだろう」
ガルムンさんが笑った。
「この町で、クリムゾンボアを一人で倒すことを大したことではないと言えるのは、お前くらいだ」
ルナがパンをちぎりながら言った。
「お兄様は、父さんに毎日負けていますから~」
「毎日じゃない」
「ほとんど毎日じゃないですか」
「たまには長く耐えることもある」
「それを勝ったとは言いませんよ~」
人々が笑い出した。
「いったい、どんな修行を受けて育ったんだ……?」
カルドさんは呆れたように首を振った。
食事がある程度進んだ頃、扉が開き、一人のギルド職員が入ってきた。
副ギルド長からの伝言を持ってきたらしい。
「明日の正午、北の森へ調査隊を出発させることになりました」
「正午ですか?」
俺が尋ねた。
「はい。夜通し戦った方々の休息を考慮した判断です。斥候経験のあるCランク冒険者を中心に、十名を選抜する予定です」
職員は俺たちを見た。
「リオンさんとルナさんにも、正式に参加要請が出ています」
「もちろん参加します」
「私もです~」
ルナが肉を食べながら手を上げた。
「詳しい内容は、明日の朝、ギルドで説明するそうです」
職員が帰った後、警備隊長は心配そうな顔をした。
「森の中から聞こえた鳴き声が気になるな」
「やはり、クリムゾンボアより強い魔物でしょうか?」
俺が尋ねると、カルドさんは少し考えた。
「その可能性は高い。クリムゾンボアの傷を見る限り、炎や雷を使う魔物かもしれない」
「炎や雷……」
ルナの目が輝いた。
「焼いたら美味しいでしょうか?」
「ルナ」
「はい?」
「魔物の能力と味は関係ないと思うぞ」
「食べてみるまでは分からないじゃないですか~」
それはそうだけど。
食事を終えた後、俺たちは再び部屋へ戻った。
今度はベッドへ横になった途端、全身の力が抜けた。
身体が疲れているわけではない。
ただ、一日の間にあまりにも多くのことが起きた。
町へ到着し、冒険者になり、初めての依頼を終え、アーマーボアの群れとクリムゾンボアまで倒した。
「お兄様」
ルナが布団をかぶりながら言った。
「今日は本当に楽しかったです~」
「魔物に襲撃されたのに?」
「でも、人間の町へ来なかったら、こんな経験はできなかったでしょう?」
「それはそうだな……」
「明日は森へ行って、戻ってきたら市場もまた見て回りましょう!」
「ああ」
「髪飾りも買いたいです」
さっき装飾品の店で、長い間眺めていたものが心に残っているらしい。
「俺が買ってやるよ」
「本当ですか?」
「ああ。お金もたくさん稼いだしな」
ルナは嬉しそうに笑った。
「やっぱり、お兄様は最高です~!」
「ただし、変な男が買ってやると言っても、受け取ったら駄目だぞ!」
「えっ? 髪飾りを選ぶのに、どうして男の人が出てくるんですか?」
「……念のためだ」
「お兄様は、本当に変な心配をするんですね」
ルナは笑いながら目を閉じた。
しばらくすると、部屋の中が静かになった。
俺も目を閉じようとしたが、ふと窓の外を見た。
北の森は、何事もなかったかのように静まり返っている。
だが、その中にはクリムゾンボアさえ逃げ出させた何かが潜んでいる。
明日になれば、その正体を確認できるだろう。
少し楽しみでもあったが、カルドさんの言葉も頭に浮かんだ。
強いからといって、すべての危険を一人で背負う必要はない。
人間たちは共に戦い、共に生きている。
きっと、それも山では学べなかったことの一つなのだろう。
俺は布団を引き上げた。
明日は初めて、討伐隊ではなく調査隊の一員として森へ入る。
そして森から戻ったら、ルナと市場も見て回らなければならない。
やることがたくさんあった。
そして、人間の世界には楽しいことが果てしなく存在している。
そう考えながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
北の森の奥深く。
倒れた木々の間で、巨大な何かがゆっくりと目を開いた。
青く光る二つの瞳が、暗闇の中で鋭く輝く。
その前脚の下には、クリムゾンボアよりも遥かに巨大な足跡が残されていた。




