Bランクの魔物も、思ったより弱いです!
クリムゾンボアが門へ向かって突進してきた。
ドン! ドン! ドン!
そいつが一歩踏み出すたびに、地面が揺れる。
城壁の上に立てられた松明が激しく揺れ、古びた門からは軋む音が響いた。
「全員、衝撃に備えろ!」
警備隊長が叫んだ。
第一防衛線に立つ冒険者たちが、盾を並べる。
だが、つい先ほどまで今にも飛び出して戦いそうだった者たちの表情は、すっかり強張っていた。
カルドさんも、俺の腕を掴んだまま離そうとしない。
「リオン! 本気であれと戦うつもりなのか?」
「はい」
「あれは普通のアーマーボアじゃない! 正面から受け止めようものなら、骨すら残らないぞ!」
「もちろん、正面から受け止めるつもりはありません」
昼間に捕まえたアーマーボアのように牙を掴むこともできるだろう。
だが、今回の相手は身体があまりにも大きい。
力加減を間違えれば、門や城壁まで一緒に壊してしまうかもしれない。
なら……。
俺はカルドさんの手をそっと外した。
「少しだけ門を開けてください」
「何だと?」
周囲にいた者たちが、一斉に俺を見た。
警備隊長も、信じられないという顔で聞き返す。
「今、門を開けろと言ったのか?」
「内側で止めれば、門が壊れるかもしれません」
「外へ出て戦うつもりなのか?」
「はい」
「一人でか?」
城壁の上で聞いていたルナが、手を上げた。
「私もいますよ~!」
「お前は城壁の上だろう!」
警備隊長は呆れた表情を浮かべた。
クリムゾンボアは、刻一刻と近づいてきている。
これ以上迷っている時間はなかった。
「人一人が通れるくらいで構いません。俺が出たら、すぐに閉めてください」
警備隊長は歯を食いしばった。
「本当に生きて戻れるのか?」
「もちろんです!」
まあ、たぶん傷一つ負わずに戻れると思うけど。
それまで口にすると、また変な目で見られそうなので黙っておいた。
「……門を開けろ!」
警備隊長の命令を受け、兵士たちが縄と滑車を動かした。
巨大な門の間に、人一人がようやく通れるほどの隙間が生まれる。
俺はその隙間を抜けて外へ出た。
「リオン!」
背後からカルドさんの声が飛んできた。
「危険だと思ったら、すぐに退け!」
「分かりました!」
門の外へ出た瞬間、クリムゾンボアの巨体が視界いっぱいに広がった。
近くで見ると、本当に大きい。
昼間に捕まえたアーマーボアを、二、三頭まとめたものよりもさらに巨大だった。
背中を覆う黒みがかった深紅の甲殻は岩のように分厚く、口から突き出た牙からは、かすかな熱気さえ立ち上っている。
そいつが俺を見つけた。
赤い瞳が、真っ直ぐ俺へ向けられる。
「グオオオオオオ!」
咆哮が夜の空気を引き裂いた。
背後で門が閉じる音が聞こえる。
これで、俺とクリムゾンボアの間を遮るものは何もない。
「リオンが一人で残ったぞ!」
「今すぐ門を開けた方がいいんじゃないか?」
「あいつ、正気なのか!?」
城壁の上から、人々の騒ぐ声が聞こえてきた。
俺は剣を抜いた。
スラリ。
父さんが自ら作ってくれた剣の刃が、月明かりを反射する。
クリムゾンボアは速度を緩めなかった。
それどころか、俺を見つけてからさらに激しく地面を蹴った。
巨大な牙が、俺の身体へ迫ってくる。
「避けろ!!!」
誰かが悲鳴を上げた。
牙が身体へ届く直前、俺は地面を蹴って横へ跳んだ。
ドゴォン!
クリムゾンボアの牙が、俺の立っていた地面を抉り飛ばした。
土と石の欠片が高く舞い上がる。
俺は空中で身体を回転させ、そのまま剣を振るった。
狙いは奴の脇腹だ。
ガキン!
金属同士が激突したような音が響いた。
剣の刃が、黒みがかった深紅の甲殻の上で火花を散らす。
「っ! 硬いな」
剣は無傷だった。
だが、甲殻には浅い傷しか残っていない。
城壁の上から驚愕の声が上がった。
「あの剣でも斬れないのか?」
「クリムゾンボアの甲殻は鉄より硬いんだ!」
「いや、それより剣の方も折れていないぞ……」
クリムゾンボアが身体を回転させた。
思っていたより速い。
巨大な尻尾が、鞭のように振るわれる。
俺は剣の腹で尻尾を受け止めた。
ドン!
身体が後ろへ押し戻された。
足が地面を削り、長い跡を残す。
「お兄様!」
ルナの切迫した声が聞こえた。
「このくらいなら平気だ!」
腕は少し痺れたけど。
それでも、父さんの尻尾に吹き飛ばされた時よりは、ずっと弱かった。
クリムゾンボアは再び身体を低くした。
今度はすぐに突進してこない。
奴の甲殻の隙間から、赤い魔力が広がり始めた。
鼻と口からは熱い蒸気が噴き出している。
「危険だ!」
カルドさんが叫んだ。
「クリムゾンボアが甲殻へ魔力を纏わせている! あの状態では、速度も力も数倍に跳ね上がるぞ!」
「何倍くらい上がるんですか?」
少し気になった。
「おい、リオン! 今は感心している場合じゃない!」
クリムゾンボアが咆哮した。
赤い魔力が爆発するように広がる。
奴が地面を蹴った瞬間、その巨大な身体が視界から消えたように感じた。
速い。
昼間のアーマーボアとは比べものにならない。
俺は剣を斜めに構えた。
牙を正面から止めるのではなく、横へ受け流すつもりだった。
ドォン!
牙と剣が激突した。
轟音とともに、手のひらが痺れる。
俺は力を真正面から受けず、身体を回転させながら剣の角度を横へ傾けた。
クリムゾンボアの巨大な頭が、俺の横を滑っていく。
奴は速度を殺しきれず、そのまま町の外にある大岩へ激突した。
バキバキバキッ!
人間が二、三人並ぶほどの大岩が、粉々に砕け散った。
「グオオオオ!」
クリムゾンボアが怒り狂ったように頭を振る。
甲殻には、まだ大きな傷がなかった。
再び、人々がざわめき始めた。
「あ、あれをどうやって倒すんだ!?」
「魔法で甲殻を砕くしかない!」
「だが、あれほどの魔物に通用する魔法使いなんて、今ここには……」
人々の視線が、一斉に城壁の上のルナへ向けられた。
ルナは待ってましたと言わんばかりに手を上げる。
「私がやりましょうか~?」
「待った!」
俺はすぐに叫んだ。
ルナが首を傾げる。
「どうしてですか~?」
「強く撃ちすぎたら、肉が駄目になるだろ!」
城壁の上が静まり返った。
しばらくして、カルドさんが頭を抱えた。
「今、肉の心配をしているのか……?」
「いや、でも大事ではありますよね……」
ルナも真剣な顔で頷いた。
「そうですよ。燃やしてしまったら食べられません~」
「お前たち兄妹は、本当に似ているな……」
クリムゾンボアが再び俺の方へ身体を向けた。
奴の脇腹には、甲殻が少し薄く見える隙間があった。
脚と胴体の繋ぎ目。
父さんに教わった時も、巨大な獣を相手にするなら関節を狙えと言われた。
俺は剣を下げた。
「ルナ!」
「はい!」
「奴の顔を、少しだけ見えなくしてくれ!」
「分かりました~!」
ルナが指を鳴らした。
クリムゾンボアの顔の周囲に、小さな竜巻が生まれる。
砂と埃が舞い上がり、奴の目を覆った。
「グオオ!?」
クリムゾンボアが頭を振った。
俺はその瞬間、地面を蹴った。
奴の横へ潜り込み、前脚と胴体の間にある甲殻の隙間へ剣を突き刺す。
ズブッ!
今度は硬い甲殻ではなく、柔らかな感触が伝わってきた。
剣の刃が深く入り込む。
クリムゾンボアは悲鳴を上げながら、身体を大きく振り回した。
「グオオオオオ!」
俺は剣を引き抜き、後ろへ跳んだ。
黒みがかった赤い血が、地面へ滴り落ちる。
「傷をつけたぞ!」
「甲殻の隙間を正確に突いた!」
「あの速さで動く魔物の関節を狙ったのか?」
城壁の上から歓声が上がった。
だが、まだ終わってはいない。
クリムゾンボアは傷ついた前脚を引きずりながらも、倒れなかった。
それどころか、怒りに呼応するように赤い魔力がさらに強く噴き上がる。
「あれだけ傷ついているのに、まだ動けるのか……?」
「上位種の生命力は並じゃない!」
奴は再び突進の構えを取った。
今度は門ではなく、俺だけを狙っている。
よし。
これでもう、町が危険に晒されることはない。
「お兄様、私が手伝いましょうか?」
「大丈夫だ」
「でも、まだ生きていますよ」
「今度は、ちゃんと斬ってみる」
俺は剣を両手で握った。
父さんとの修行で、何千回も繰り返した構え。
つま先を地面へ固定し、腰を低く落とす。
息を吸い込み、剣へ力を乗せる。
父さんは、いつもこう言っていた。
『力任せに振るうな。剣先へすべての力を集めろ』
子供の頃は、その意味が分からなかった。
だが、何度も岩を斬り、滝を割り、父さんの鱗に剣を弾かれ続けるうちに、少しずつ理解できるようになった。
クリムゾンボアが走り出した。
黒みがかった赤い魔力が、巨大な身体を包み込む。
俺は奴の頭と首の間を見つめた。
甲殻が重なり合う、ほんのわずかな隙間。
「ふう……」
そして、剣を振るった。
スッ。
つい先ほどまで響き渡っていた轟音が、嘘のように消えた。
クリムゾンボアの巨体が俺の横を通り過ぎる。
さらに数歩走ったところで、奴はその場に止まった。
「……」
誰も何も言わなかった。
クリムゾンボアの首を覆っていた深紅の甲殻が、ゆっくりとずれ落ちる。
やがて、巨大な身体が横倒しになった。
ズズゥゥン!
地面が大きく揺れ、土煙が広がった。
俺は剣についた血を振り払った。
「終わりました」
城壁の上は、まだ静かなままだった。
「どうして誰も何も言わないんだ?」
しばらくして、誰かが恐る恐る呟いた。
「Bランクに近いクリムゾンボアを……一撃で斬ったのか?」
その言葉をきっかけに、城壁の上と北門前の広場から歓声が爆発した。
「うおおおおおお!!」
「助かったぞ!!」
「あの兄妹がやったんだ!」
「あれがDランクなわけないだろ!」
門が開き始める。
カルドさんと警備隊長、冒険者たちが外へ駆け出してきた。
カルドさんは、倒れたクリムゾンボアと俺を交互に見た。
「本当に一人で倒してしまったのか……」
「ルナが目を隠してくれました」
「それを差し引いても、十分おかしいがな……」
城壁から下りてきたルナが、俺のもとへ駆け寄ってきた。
「お兄様!」
「ルナ」
「怪我はありませんか?」
ルナは俺の腕や顔、服をあちこち確認した。
「大丈夫だ。手のひらが少し痺れているくらいだよ」
「見せてください」
ルナが俺の手を取った。
温かな光が手のひらを包み込む。
痺れはすぐに消えた。
「もう大丈夫ですよね?」
「ああ」
「では、お肉を確認しましょうか~~?」
やっぱり、それが目的だったのか。
警備隊長は、残っているアーマーボアたちの様子を確認した。
ルナの風に吹き飛ばされた個体の多くは気絶しており、何頭かは意識を取り戻すと森へ逃げようとしていた。
「追うな!」
警備隊長が命令した。
「町から離れていく奴は逃がせ! 残った個体だけを制圧しろ!」
冒険者と警備兵たちは散開し、倒れているアーマーボアの処理を始めた。
その時、カルドさんがクリムゾンボアの脚を調べながら眉をひそめた。
「妙だな」
「どうしたんですか?」
カルドさんは、クリムゾンボアの後ろ脚を指さした。
甲殻の隙間に、深く抉れた傷があった。
俺がつけたものではない。
傷の周囲は黒く焼け焦げ、鋭い爪で引き裂かれたように長く裂けていた。
「こいつは、町へ来る前から大怪我を負っていたようだ」
警備隊長も、その傷を確認した。
「クリムゾンボアに、これほどの傷を負わせられる魔物となると……」
二人の表情が強張った。
俺は北の森を見た。
闇に沈んだ木々の向こうから、かすかな鳴き声が聞こえてきた。
アーマーボアとは、まったく違う声だった。
低く、長く、聞いているだけで森の空気が震えるような咆哮。
「お兄様!」
ルナも、その声に気づいたようだ。
「あの魔物たちは、町を襲いに来たわけではなかったみたいですね」
「ああ」
アーマーボアの群れは、町へ向かって攻めてきたのではない。
何かに追われ、逃げてきたのだ。
カルドさんが、ゆっくりと槍を構え直した。
「森の中に、まだ何かいる!」
俺は暗い森を見つめながら、剣を鞘へ収めた。
クリムゾンボアより強い魔物か……。
今度こそ、少しは戦い甲斐があるのかな~~?
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