真夜中のアーマーボア襲撃です!
ドン。
テーブルの上に置かれた水の入ったコップが、再び小さく揺れた。
北の方角から、何か巨大なものが町へ向かって近づいてくるのが見えた。
「ルナ!」
「はい」
「まずは服を着よう」
俺たちはベッドから飛び降り、急いで装備を整えた。
俺が剣を背負っている間に、ルナは窓を開けて北の方角を見つめる。
夜空の下、町外れの森から鳥の群れが次々と飛び立っていた。
その下では、無数の木々が揺れている。
一頭や二頭の動きじゃない……!
「本当に、全部こっちへ向かってきているみたいです!」
「ああ」
「食べ物の方から来てくれるんですね~」
……ルナの口元から涎が垂れていた。
怖い!
その瞬間、町のあちこちで鐘の音が鳴り響いた。
カン! カン! カン!
切迫した鐘の音に、眠っていた人々が次々と窓を開ける。
通りでは警備兵たちが走り回りながら叫んでいた。
「魔物の襲撃だ!!」
「北門へ接近中!!!」
「住民の皆さんは、絶対に家の外へ出ないでください!」
階下からも、椅子が倒れる音や、人々の慌ただしい声が聞こえてきた。
俺たちはすぐに部屋を飛び出し、階段を駆け下りる。
食堂にはエルマさんと、数人の宿泊客が集まっていた。
「リオン! ルナ!」
エルマさんが俺たちを見つけ、駆け寄ってきた。
「外が騒がしいけど、いったい何が起きているの?」
「アーマーボアの群れが、町へ下りてきています」
「アーマーボアが?」
エルマさんの顔が青ざめた。
「まさか、あなたたちも外へ出るつもりなの?」
「はい! 町の人たちを助けないといけません」
「でも、あなたたちはまだ若いのに……」
「心配しないでください~! お兄様は強いですから」
「ルナも強いだろ」
「私はお兄様を応援する役目です~」
応援する暇があるなら、一緒に戦ってくれた方がいいんじゃないか……?
俺たちが宿を出ると、町全体が混乱に包まれていた。
警備兵たちは住民を町の中心部へ避難させ、武器を手にした冒険者たちは北門へ走っている。
俺たちも彼らの後を追った。
北門前の広場には、すでに数十人が集まっていた。
あちこちに松明が立てられ、城壁の上では警備兵たちが弓や槍を準備している。
昼間に俺たちと一緒だった警備隊長の姿もあった。
「リオン! ルナ!」
警備隊長は俺たちに気づくと、驚いた顔をした。
「なぜここにいる?」
「アーマーボアを止めるために来ました!」
「宿へ戻れ。今回は一頭や二頭ではないんだ!」
「だからこそ、来たんです!」
警備隊長が何か言おうとした時、カルドさんがこちらへやってきた。
昼間とは違い、きちんと革鎧を身につけており、腰の短剣ではなく長い槍を手にしている。
「隊長、この二人は残しておいた方がいいでしょう」
「だが、正式なDランクになってから、まだ一日も経っていないぞ!」
「昼間、直接見たでしょう」
カルドさんが俺を見た。
「こいつは四百キログラムのアーマーボアを、素手で押さえつけたんです」
周囲にいた冒険者たちが、一斉にこちらを見た。
「そ、その噂、本当だったのか?」
「まさか、アーマーボアを生きたまま背負ってきたっていう、あの少年か?」
「あの女の子は、魔力測定用の水晶を壊したらしいぞ?」
周囲がざわめき始めた。
警備隊長はしばらく悩んだ後、ため息をついた。
「分かった……。だが、勝手な行動はするな」
「はい!」
「リオンは北門前の第一防衛線へ入れ。ルナは城壁の上から魔法で援護しろ」
「私もお兄様の隣にいてはいけませんか?」
ルナが尋ねた。
「混乱した状況では、離れて役割を分担した方がいい」
「でも、お兄様が怪我をするかもしれません……」
俺はルナの肩を軽く叩いた。
「心配するな。危なくなったらすぐに呼ぶから」
ルナは不満そうな顔をしたが、最後には頷いた。
「絶対に呼んでくださいね!」
「ああ」
「一人で全部倒そうとしたら駄目ですよ」
「はは……それは約束できないかもな~」
「お兄様!」
その時、北の森から木が折れる音が響いた。
バキバキッ!
全員の視線が、門の向こうへ向けられた。
暗闇の中に、赤い目が一つ、また一つと浮かび上がる。
十。
二十。
それ以上。
荒い息遣いと蹄の音が、夜の空気を揺らしていた。
「来るぞ!」
警備隊長が叫んだ。
「門を閉めろ!」
巨大な木製の門が、ゆっくりと閉じ始める。
だが、完全に閉じきる前に、森の中から一頭のアーマーボアが飛び出してきた。
昼間に捕まえたものより、少し小さい個体だ。
そいつは狂ったような勢いで走り、門へ突進してきた。
「矢を放て!」
城壁の上から、大量の矢が降り注ぐ。
だが、そのほとんどが鎧のような皮膚に弾かれた。
数本が脚や顔に刺さったものの、速度は落ちない。
「門が閉じる前にぶつかるぞ!」
カルドさんが槍を構えた。
前列にいた冒険者たちも、盾を並べる。
だが、あの勢いでは盾ごと吹き飛ばされるのは明らかだった。
俺は一歩前へ出た。
「リオン!」
カルドさんの声が聞こえたが、止まってはいられなかった。
アーマーボアが目の前まで迫る。
今度は牙を掴まず、身体を横へひねりながら、そいつの首の下へ手を差し込んだ。
そして、突進の勢いをそのまま利用して、上へ持ち上げる。
「ブギィィッ!?」
巨大な身体が宙へ浮かんだ。
俺はそのまま、門の横にある空いた地面へ投げ下ろした。
ドン!
地面が大きく陥没したが、アーマーボアは生きていた。
ただし、目をぐるぐる回したまま、起き上がれずにいる。
「……」
第一防衛線に立っていた冒険者たちは、揃って口を開けていた。
「あ、あれがDランクだと!?」
「ランク判定を間違えているんじゃないか?」
「俺はあれを止めるために盾を構えていたのか……」
カルドさんが額を押さえた。
「いつも想像を超えることをするな……。だが、確実に大きな助けにはなっている」
その間に、門は完全に閉じられた。
ドン!
外から二頭目のアーマーボアが門へ体当たりした。
分厚い木板が大きく揺れる。
続いて、三度目、四度目の衝撃が続いた。
ドン! ドン!
城壁の上から悲鳴が聞こえた。
「数が多すぎる!」
「門が長くはもたないぞ!」
「火矢を用意しろ!」
俺は門の近くまで歩き、耳を澄ませた。
外では数十頭分の足音が入り乱れている。
その中に、一つだけ、異様に重くゆっくりとした足音があった。
ドン。
一歩踏み出すたびに、他の個体の動きがかき消されるほどだ。
「大きいのが後ろにいます」
俺が言うと、カルドさんが険しい顔で尋ねた。
「どのくらい大きい?」
「まだ見えませんが、昼間に捕まえた個体より遥かに大きいです」
「斥候隊が報告していたボスか……」
警備隊長が城壁の上へ向かって叫んだ。
「状況を報告しろ!」
一人の警備兵が下を覗き込みながら叫ぶ。
「アーマーボア、二十三頭! その後ろに巨大な個体が一頭います!」
「二十三頭……」
冒険者たちの顔色が悪くなる。
いくらDランクの魔物とはいえ、二十頭を超えれば話は別だ。
しかも、狭い門の前へ一斉に突進されたら……。
その時、城壁の上からルナの声が聞こえた。
「お兄様!」
見上げると、ルナが城壁の端に立っていた。
銀色の髪が夜風に揺れている。
「少し下がってください!」
「どうして?」
「まとめて転ばせてみます!」
ルナが両手を前へ突き出した。
周囲の空気が、急激に動き始める。
松明の炎が一方向へ傾き、通りの埃が宙へ舞い上がった。
城壁にいた魔法使いたちが、驚いた顔でルナを見た。
「い、いったい何の魔法を使うつもりなんだ?」
「まさか、門まで吹き飛ばしたりしないよな……?」
最後の言葉が少し心配だな……。
「ルナ!」
「はい?」
「門は壊すなよ!」
「そのくらい分かっています!」
本当に分かっているんだよな……?
ルナが両手を振り下ろした。
「風よ、前へ押し出して!」
ゴオオオオオッ!!
城壁の上から、巨大な風が一気に吹き出した。
その風は門を越え、北の平原を駆け抜けていく。
直後、数十頭のアーマーボアが上げる、悲鳴のような鳴き声が響いた。
ブギィィィッ!
ドン! ガラガラッ!
門へ体当たりしていたアーマーボアたちが押し戻され、互いに絡まり合って倒れたらしい。
城壁の上にいた警備兵が外を確認し、叫んだ。
「全部倒れました!」
広場から歓声が上がった。
「やったぞ!」
「今、門を開けて攻撃すればいい!」
「待ってください」
俺が言った。
歓声が少しずつ静まっていく。
まだ、あの重い足音は止まっていなかった。
ドン。
ドン。
風に吹き飛ばされたアーマーボアたちの間を縫うように、さらに巨大な何かが近づいてきた。
城壁の向こうから、黒い影がゆっくりと姿を現す。
城壁の上にいた者たちの表情が凍りついた。
その背中は、低い城壁とほとんど同じ高さだった。
身体を覆う甲殻は、普通の灰色ではなく、黒みがかった深紅。
左右の牙は、人間の身長よりも長い。
「あれが……アーマーボアなのか?」
誰かが震える声で呟いた。
カルドさんが歯を食いしばった。
「違う」
彼は巨大な魔物を見上げた。
「あれは、アーマーボアが長い年月を生き、魔力まで変質した上位種だ……!」
「上位種?」
「クリムゾンボアだ」
深紅の甲殻を持つ巨大な猪が、鼻から熱い蒸気を噴き出した。
そいつが前脚で地面を掻くと、土や石が四方へ飛び散る。
そして、低く頭を下げた。
狙いは門だ。
「あれを止められなければ、門が壊されるぞ!」
警備隊長が叫んだ。
冒険者たちは再び盾を構えたが、その手は震えていた。
ルナも城壁の上で魔法の準備を始めている。
俺は剣を抜き、門の前へ歩いていった。
「リオン!」
カルドさんが俺の腕を掴んだ。
「今度は昼間の奴とは違う。あれは最低でもBランクに近い魔物だ」
「Bランク……」
「怖くないのか?」
俺は門の向こうから聞こえる、荒々しい息遣いへ耳を澄ませた。
確かに、昼間のアーマーボアよりは遥かに強そうだ。
それでも、父さんと戦う時に比べれば……。
「少し楽しみです!」
「何だと!?」
あっ。
言い方を間違えた。
その時、クリムゾンボアが地面を蹴った。
ドン!
門全体が揺れるほどの轟音が響く。
俺は剣を両手で握った。
「ルナ!」
「はい、お兄様!」
「今度は俺が先にやってみる」
そして、巨大な影が門へ向かって突進してきた。




