子供たちが人質にされてしまいました……!
ズウゥン――!!
通りの奥に姿を現した魔物の群れが、一斉に動き始めた。
グレイウルフ。
ブラックファング。
アーマーボア。
そして、見たこともない巨大な魔物まで。
数だけでも数十体はいる。
ガイルさんが歯を食いしばった。
「くそっ……まだあんなに残ってるのか?」
セリアさんが矢をつがえた。
「文句はあとにして」
「分かってる!」
周囲にいた冒険者たちも、再び武器を構えた。
だが、みんな疲れていた。
すでにあちこちに負傷者がいて、
ギルド職員や治癒魔法使いたちが彼らを後方へ運んでいる。
そして――
動かなくなっている人の姿もあった。
「……」
俺は剣を強く握った。
今回は、軽い気持ちで戦える状況じゃない。
「来るぞ!!」
誰かが叫んだ。
魔物たちが一斉に走り出す。
「ルナ!」
「はい!」
俺は前へ飛び出し、
剣を水平に大きく振り抜いた。
ザアアアッ――!!
巨大な剣気が通りの中央を一直線に走った。
先頭を走っていた魔物たちの体に赤い線が走り、
何体かが血を撒き散らしながらそのまま倒れた。
だが、後ろからはさらに魔物が押し寄せてくる。
「きりがないな……!」
俺は地面を強く蹴った。
一体。
ザシュッ!
二体。
ズバッ!
三体目の爪を剣で受け流し、
そのまま体を回転させて、隣の魔物まで続けて斬る。
「……速い……!」
後ろから誰かが呟く声が聞こえた。
俺は止まらない。
建物の壁を蹴って跳び上がり、
空中から剣を振り下ろした。
ドォン――!!
さらに一つの剣気が地面を裂きながら伸びていく。
魔物の群れが二つに分かれた。
その隙へ冒険者たちが飛び込む。
「今だ!」
「押し返せ!」
戦線が少しずつ前へ動き始めた。
反対側ではルナが杖を大きく振った。
「《テンペストサークル》!」
ゴオオオオ――!!
強烈な風が円を描くように広がる。
建物のほうへ向かっていた魔物たちが、
まとめて体勢を崩して倒れた。
ルナはすぐに次の魔法を使う。
「《アイスウォール》!」
ゴゴゴゴッ――!
巨大な氷壁が路地の入口を塞いだ。
これでもう、
民間人が避難した場所へ魔物が入り込むことはできない。
「お兄様! こっちは塞ぎました!」
「分かった!」
俺は再び前へ走った。
少しずつ押し返している……!
確かに魔物の数は多い。
だが俺たちとラグナの冒険者たちが力を合わせ始めてから、
戦況は少しずつこちらへ傾いていた。
そのとき。
「ぐっ……!」
近くで一人の冒険者が地面へ倒れた。
黒い外套を着た男が、
その横を通りながら剣を振るった。
「くそっ!」
ガイルさんがすぐに飛び込む。
ガキン!
二人の剣がぶつかった。
「お前ら《黒環》とかいう連中……一体何が目的なんだ!」
男は答えない。
逆に後ろへ跳びながら、
黒い装置を取り出した。
ピィィ――!
近くにいた二体の魔物が、
すぐにガイルさんへ襲いかかる。
「ガイル!」
セリアさんが矢を放った。
シュッ!
一本の矢が魔物の肩へ突き刺さった。
だが、もう一体はそのままガイルさんへ飛びかかった。
俺はすぐに方向を変えた。
ザシュッ――!
魔物がガイルさんへ届く直前、
俺の剣が奴を斬り伏せた。
「大丈夫ですか?」
「助かった!」
ガイルさんが息を切らしながら立ち上がった。
そのとき、
セリアさんが周囲を見回し、表情を固くした。
「……ガイル」
「なんだ?」
「あっち……!」
遠く。
広場へ続く通りの一角に、
黒い外套を着た者たちが集まっていた。
数は最初より明らかに減っている。
魔物も次々と倒されていた。
《黒環》側が押され始めている。
その中の一人が低く言った。
「……このままではまずいな」
「撤退しますか?」
「いや、まだだ」
男が辺りを見回す。
そして――
何かを見つけたように口元を歪めた。
「……ちょうどいいものがある」
俺はその視線を追った。
「……?」
そして、
体が固まった。
通りの先に、
昨日の祭りで一緒に遊んだ子供たちがいた。
「……なんであそこに!」
避難する途中ではぐれたのかもしれない。
小さな女の子が、男の子の手を握っていた。
「お兄ちゃん……怖い……」
「大丈夫! すぐに大人が来るから!」
その瞬間。
ピィィ――!
聞き覚えのある音が響いた。
「ダメだ!!」
俺が叫ぶ。
でも遅かった。
路地の奥から、
灰色の狼型の魔物が一体飛び出してきた。
「きゃあっ!」
子供たちが悲鳴を上げる。
だが奴は子供を襲わなかった。
代わりに――
一番小さな女の子の首元に近い服を牙で咥え、
そのまま持ち上げた。
「……!」
さらに別の狼型の魔物も現れた。
それぞれが子供たちの服を後ろから咥え、
動けないようにする。
「動くな!」
黒い外套の男が叫んだ。
戦いが一瞬で止まった。
「動けば子供たちがどうなるか……分かっているな?」
「この野郎……」
ガイルさんの声が震えた。
セリアさんも弓を構えていたが、
矢を放つことはできない。
通り全体が静まり返った。
狼型の魔物が少し動くだけで、
子供たちの体が揺れる。
「お兄ちゃん……」
昨日、俺にボール遊びをしようと言ってきた男の子が、
泣きそうな声で言った。
「助けて……」
俺は剣を強く握った。
頭の中で距離を測る。
俺が一気に動けば――
いや。
危険だ。
一人なら助けられる。
でも、
何人も同時に助けるのは無理だ。
ルナの魔法だって同じだ。
少しでも狙いがずれれば、
子供たちが危険になる。
「……ルナ」
返事がない。
「ルナ?」
俺は隣を見た。
「……」
ルナは子供たちを見ていた。
何も言わない。
さっきまでとは表情がまるで違っていた。
笑ってもいない。
戸惑ってもいない。
怒っている顔ですらない。
ただ――
冷たかった。
銀色の瞳が、
感情を失ったように静かに沈んでいた。
「ルナ……?」
ガイルさんも彼女を見る。
黒い外套の男が笑った。
「なんだ? そんな怖い顔をしても――」
「……離してください」
ルナが言った。
声が低い。
いつものルナからは、
一度も聞いたことのない声だった。
男が一瞬だけ固まる。
「なんだと?」
「子供たちを離してください」
「嫌だと言ったら?」
「……」
ルナがゆっくりと杖を持ち上げた。
「ルナ」
俺はすぐに言った。
「子供たちが近くにいる」
「分かっています」
「だったら――」
「大丈夫です」
ルナが短く答えた。
その瞬間。
周囲の空気が変わった。
「……?!」
ガイルさんが息を呑む。
セリアさんも一歩後ろへ下がった。
魔力が集まっている。
だけど――
99階層でルナが竜級魔法を使ったときとも違う。
強いとか、
巨大だとか、
そういうものじゃない。
不吉だった。
ルナの周囲へ魔力が集まるほど、
通りの温度まで下がっていくような気がした。
「な、なんだ……あれは……!」
《黒環》の男も笑うのをやめた。
ルナが杖を前へ向ける。
その瞬間――
地面に黒い紋様が一気に広がり始めた。
「……ルナ?」
俺も見たことがない魔法だ。
魔法陣とも違う。
黒い何かが生きているように、
石畳の隙間を這うように闇が広がっていく。
ルナは、
子供たちを捕らえている魔物を見つめた。
「《ナイトフォール》」
光が消えた。
「……?!」
昼だというのに、
通り全体が一瞬で暗くなった。
黒い霧のようなものが地面を覆っていく。
そして――
ズルッ。
闇の中から、
巨大な手が一本伸びてきた。
「な……?」
さらに一本。
もう一本。
何十本もの黒い手が、
地面から次々と伸びてくる。
子供たちの服を咥えていた狼型の魔物が反応するより早く、
黒い手がその体を掴んだ。
「グルル?!」
狼たちが暴れる。
だが、
手は離さない。
むしろゆっくりと、
地面の闇へ引きずり込み始めた。
その瞬間。
狼たちの顎が開いた。
「《ウィンドクッション》」
ルナが短く言った。
子供たちの体が、
柔らかな風に包まれて浮かび上がる。
俺はすぐに走った。
「こっちへ!」
子供たちを順番に受け止め、
安全な場所へ移す。
「お兄ちゃん……!」
「もう大丈夫だ」
子供たちをガイルさんとセリアさんに預けた。
そして振り返る。
「……」
闇の手は止まらなかった。
今度は――
《黒環》の者たちへ向かって伸びていった。
「なんだ、これは?!」
一人の男が後ろへ下がろうとする。
だが、
すぐに黒い手が足首を掴んだ。
「うわあああ!! 離せ!!」
男が剣を振るう。
だが刃は、
黒い手をそのまますり抜けた。
「そんな……!」
別の手が腕を掴む。
さらにもう一本が、
腰を捕らえた。
「うああああっ――!!」
男が悲鳴を上げた。
地面の闇が水面のように揺れる。
そして男の体は、
少しずつ下へ引きずり込まれていった。
「助けてくれ! 助け――!」
声が少しずつ遠ざかっていく。
最後に、
男の手だけが闇の上へ伸びた。
だが、
それもすぐに消えた。
「……」
何も残らなかった。
それを見た他の《黒環》の者たちの顔から、
一気に血の気が引いた。
「に、逃げろ!!」
「あれは何の魔法だ?!」
「うわあっ!!」
だが、
もう遅い。
地面のあちこちから、
黒い手が次々と伸びてくる。
「うわあああ!!」
「やめろ!!」
「助け――!!」
悲鳴が通りのあちこちから響いた。
魔物も。
《黒環》の者たちも。
黒い手に掴まれた瞬間、
一体、また一体と闇の中へ引きずり込まれていく。
暴れても。
武器を振っても。
逃げようとしても。
意味はなかった。
黒い手は最後まで離さない。
そして、
闇へ引き込まれたものは――
二度と戻ってこなかった。
「……」
ガイルさんも。
セリアさんも。
周囲の冒険者たちも。
誰一人として言葉を発せなかった。
あの魔法を見たことがある者は、
誰もいないらしい。
俺も同じだった。
ルナは、
その光景を見ていても表情一つ変えなかった。
冷たく沈んだ瞳で、
闇へ消えていく《黒環》の者たちを見つめているだけだった。
最後に残った男が、
地面を這うようにして逃げようとした。
「く、来るな……」
黒い手が、
男の前に伸び上がった。
「来るなあああ――!!」
手が男を掴んだ。
そして――
そのまま闇の中へ引きずり込んだ。
悲鳴が途切れた。
静かになった。
しばらくすると、
通り全体を覆っていた闇がゆっくりと消え始めた。
黒い手も、
溶けるように一つずつ消えていく。
ルナが杖を下ろした。
「……」
俺は何も言わず、
ルナを見つめた。
これは――
父さんに教わった魔法じゃない。
竜級でも。
神級でもない。
まったく別の何かだった。
そして、
なぜか――
99階層のダンジョンの主が最後に残した言葉が、
もう一度頭に浮かんだ。
――ルナ様。




