ラグナダンジョン、クリアです!
ギィィィ……。
重い石の扉が、ゆっくりと開いていく。
扉の向こうは、これまでのどの階層よりも広かった。
巨大な円形の空間。
壁も床も黒い石でできていて、天井は果てが見えないほど高い。
そして――
何もなかった。
「……?」
ルナが慎重に中へ入る。
「何もありませんね~?」
「油断するな!」
ガイルさんが剣を抜いた。
セリアさんも弓に矢をつがえる。
俺もゆっくりと中へ足を踏み入れた。
その瞬間だった。
ドンッ!!!
空間全体が揺れ始めた。
「……!!」
ドンッ!!!
今度は壁の向こうから音がした。
いや、
壁だと思っていた場所が……動いている。
黒い岩塊のように見えていた巨大な何かが、ゆっくりと体を起こした。
「……なんだ、あれは……!」
ガイルさんも、セリアさんも怯えているように見えた。
とてつもなく大きい……!
これまで見てきたAランクの魔物たちとも比べものにならない。
人間の数倍なんてものじゃない。
顔を見るには、かなり見上げなければならないほどだった。
黒い甲殻のような皮膚。
四本の太い腕。
頭の両脇から伸びた巨大な角。
そして胸の中央には、赤い光を放つ巨大な結晶が埋め込まれていた。
その瞬間、奴が目を開いた。
赤い瞳が俺たちを見下ろす。
「……侵入者……」
「……!」
喋った。
ルナも目を大きく見開いた。
「喋れるんですか……?」
低く響く声が、空間全体に広がった。
「また……人間か」
また?
ガイルさんがすぐに反応した。
「まさか……」
彼が息を呑む。
「30年前のSランクパーティーも……お前に会ったのか?」
巨大な魔物は、しばらくガイルさんを見下ろした。
「奴らは……逃げた者たちだ」
「……!」
やっぱり。
30年前のSランクパーティーは、99階層に到達してから引き返したわけじゃない。
こいつから逃げたに違いない!
「その人たちは、どうやって逃げたんですか?」
ルナが尋ねた。
「空間を裂く魔法を使っていた……。おそらく、転移魔法というものだろう」
転移魔法。
ガイルさんが歯を食いしばった。
「だから誰も理由を話そうとしなかったのか……! Sランクパーティーが逃げ出したなんて、そう簡単には言えないからな……!」
セリアさんが弓を握る手に力を込めた。
「ガイル!」
「分かってる」
ガイルさんが俺たちを見る。
「リオン、ルナ。少しでも危険だと思ったら、すぐに撤退するぞ!」
「はい!」
俺は剣を抜いた。
その瞬間――
巨大な魔物の体から、赤い魔力が爆発するように放たれた。
ズウゥン――!
「ぐっ!」
ガイルさんとセリアさんが同時に後ろへ押し飛ばされる。
俺は一歩前へ出て、ルナの前を塞いだ。
「大丈夫ですか?」
「……ぐぅっ……」
ガイルさんは剣を床に突き立て、なんとか姿勢を保っていた。
セリアさんも片膝をついている。
まだ攻撃すらされていない。
ただ魔力を放っただけなのに……!
「ガイル」
セリアさんが息を切らしながら言った。
「私たち……あの戦いには入らないほうがいいと思う」
「……俺もそう思う」
ガイルさんが答えた。
二人はCランクだ。
ここまではダンジョンの中でも十分に強さを見せてきた。
でも――
あれは次元が違う。
「二人は後ろにいてください」
俺が言うと、
ガイルさんは一瞬迷った。
だが、すぐに頷いた。
「……すまない」
「大丈夫です」
「無理だと思ったら撤退する。それは覚えてるな?」
「はい……!」
ルナが杖を構えた。
「お兄様!」
「うん」
「今回は、ちょっと強そうですね……」
「そうだな……」
初めて、俺も同じことを思った。
奴が四本の腕を大きく広げた。
ドォン!!
見えないほどの速さで拳が飛んでくる。
俺は剣で受け止めた。
ガァン――!!
「……!」
体が後ろへ押された。
足元の石が砕ける。
力もとんでもない……!
「お兄様!」
ルナが杖を向けた。
「《ライトニングバースト》!」
バチバチバチッ!
かなり強力な魔法だったが、
魔物は一本の腕を上げ、そのまま受け止めた。
「……」
ルナの表情が変わった。
「倒れません……!」
「……」
これまでの魔物なら、あれくらいで大体終わっていた。
だが今回は攻撃を受け止め、
むしろ俺たちに向かって一歩近づいてきた。
ドン!!
床が揺れた。
「弱いな……」
「……!!!!!」
ルナの眉がぴくりと動いた。
……それは言わないほうがよかったぞ。
「私、弱くないんですけど……」
「ルナ」
「なんですか?」
「怒った?」
「少しだけ……」
ルナが再び杖を構えた。
魔力が集まり始める。
さっきとは明らかに違う感覚だった。
後ろにいたガイルさんが息を呑む。
「な、なんだ……あれは……」
「全員、後ろへ!!」
俺が叫んだ瞬間、
魔物が顔を上げた。
ゴオオオオオオオ――!!
黒紅色の光が石室全体を飲み込んだ。
ただの一本の攻撃じゃない。
巨大な壁そのものが押し寄せてくるかのように、
視界すべてが赤い光で埋め尽くされた。
「《アクアバリア》!」
ルナが両手で杖を強く握った。
俺たちの前に、何重もの巨大な水の壁が次々と立ち上がる。
ドオオォン!!
一枚目の壁が一瞬で蒸発した。
「……!」
二枚目も耐えられない。
三枚目の壁まで激しく揺れる。
ルナの足が床を削りながら後ろへ滑っていった。
「ルナ!」
俺はすぐにルナの背中を支えた。
「大丈夫です……! まだ耐えられます!」
ゴオオオオ――!
ブレスが収まったあと、
俺たちの左右にあった石壁は、完全に姿を変えていた。
黒い石が溶けた跡が長く続き、
巨大な柱のいくつかは跡形もなく消えている。
ガイルさんがその光景を呆然と見つめた。
「……30年前のSランクたちが、どうして逃げたのか……やっと分かった気がする……」
セリアさんは返事すらできなかった。
俺はそのまま床を蹴って走り、
魔物の脚へ剣を振るった。
ガァン!!
剣は甲殻に食い込んだが、
完全に断ち切ることはできない。
「……硬いな」
魔物が腕を振り回す。
俺は後ろへ跳んだ。
ドォン!
ついさっきまで俺がいた場所が、大きくへこんだ。
これなら確かに、今までとはまるで違う。
面白――
いや。
集中しないと。
「ルナ!」
「はい!」
ルナはすでに準備を終えていた。
だが、いつものようにすぐ魔法の名前を叫ぶことはなかった。
周囲に集まった魔力があまりにも強く、
銀色の髪が激しく揺れている。
ガイルさんが震える声で言った。
「ルナ……それは、まさか……!」
セリアさんがガイルさんを見る。
「知ってるの?」
「本でしか見たことがない」
ガイルさんの目が見開かれた。
「……竜級魔法……!!」
ルナが杖を高く掲げた。
そして今度は、
ゆっくりと魔法の名を口にした。
「《セレスティアル・テンペスト》」
その瞬間、
音が消えた。
頭上に巨大な魔法陣が広がる。
その大きさは、ダンジョンの主の巨体を丸ごと覆っても余るほどだった。
青と銀の魔力が激しく渦巻く。
魔物が初めて動きを止めた。
「……その魔力は……!!!」
奴の赤い瞳が大きく揺れた。
ルナが杖を振り下ろす。
ゴオオオオオ――!!
雷と風が混ざり合った巨大な嵐が、ダンジョンの主を飲み込んだ。
奴は四本の腕で防ごうとしたが、
甲殻が一つ、また一つと砕けていく。
「ぐぅぅぅ……!」
それでもまだ耐えている。
俺は嵐の中へ飛び込んだ。
「お兄様?!」
「とどめを刺す!」
俺は剣を両手で握り、
奴の胸に埋め込まれた赤い結晶へ向けて振り下ろした。
ピシィッ――!
亀裂が走った。
もう一度!
パキィン!!
結晶が砕けた。
ダンジョンの主の巨大な体が大きく揺れる。
そしてゆっくりと膝をついた。
ズウゥン……。
嵐が止んだ。
ルナは息を整えながら杖を下ろした。
「終わった……んですか?」
「たぶん」
俺も剣を下ろした。
そのとき。
ダンジョンの主の瞳が、
まっすぐルナへ向けられた。
「……」
奴はしばらくルナを見つめていた。
そして信じられないというように呟いた。
「まさか……その魔力……」
「はい?」
ルナが首を傾げる。
ダンジョンの主の目つきが変わった。
敵を見る目じゃない。
まるで遥か昔から知っている誰かを見つめているような目だった。
「まさか……」
震える声が、奴の口から漏れた。
「ルナ……様……!」
「……はい?」
ルナが固まった。
俺も。
ガイルさんも。
セリアさんも。
全員が、はっきりと聞いた。
「ルナ……様?」
俺が聞き返した、その瞬間。
ダンジョンの主は、もう動かなくなった。
「……」
辺りが完全に静まり返った。
ガイルさんがルナを見る。
セリアさんもルナを見る。
俺もルナを見た。
ルナは自分自身を指差した。
「……私ですか?」
「そうみたいだけど」
「どうしてですか?」
「俺にも分からない」
「私も分かりませんよ?」
……じゃあ、どうして知ってるんだ?
その瞬間。
ゴゴゴゴゴ……!
ダンジョン全体が揺れ始めた。
「な、なんだ?!」
ガイルさんが剣を構える。
だが、今度は攻撃じゃなかった。
ダンジョンの主がいた奥の壁が、
ゆっくりと左右に割れ始める。
そしてその奥から、階段が姿を現した。
階段の上には、光り輝く数字が刻まれていた。
【100】
「……」
誰もすぐには口を開けなかった。
ガイルさんが、ようやく声を絞り出した。
「100……階層……!」
セリアさんも呆然と見つめている。
「本当に……あったんだ……」
俺たちはゆっくりと階段を上った。
100階層には魔物はいなかった。
罠もない。
その代わり、
広い部屋の中央には数え切れないほどの宝箱が置かれていた。
金塊。
宝石。
希少な鉱石。
そして見たこともない武器や魔道具まで。
ルナの目がものすごく輝いた。
「お兄様……」
「ん?」
「ここに住んじゃダメですか~?」
「ダメ」
部屋の片隅には、
宝とは少し違うものが置かれていた。
古びた石板と、
黒い金属で作られた小さな装置。
俺はそれを見た瞬間、足を止めた。
「……あれ?」
どこかで見たことがあるような……?
黒い金属。
表面に沿って刻まれた細い溝。
そして紐を取り付けられるように作られた小さな輪。
「ルナ……!」
「はい?」
「これ……」
ルナも近づいてきた。
そしてすぐに表情を変えた。
「……あのときの鉄の欠片?」
ラグナ近郊の森で見つけたもの。
魔物たちが不自然に一方向へ移動していた場所で拾った、黒い金属片。
完全に同じではない。
だが、構造があまりにもよく似ていた。
隣にある石板には、
古い文字と一緒に絵が刻まれていた。
魔物たち。
そしてその前で、小さな装置を手にしている何者か。
ガイルさんが尋ねた。
「なんだ、それ?」
俺は以前見つけた金属片について説明した。
セリアさんの表情が険しくなった。
「じゃあ、誰かがこれを真似して作ったってこと?」
「その可能性はありそうですね」
石板の下のほうには、
比較的読みやすい古代共通語が少しだけ残っていた。
ガイルさんがゆっくりと読み上げる。
「……『魔物部隊誘導用魔道具』」
「魔物部隊?」
ガイルさんは次の一文を読んで、言葉を止めた。
「まさか……『魔王軍』……なのか……!」
「……」
ルナが目を瞬かせる。
1000年前。
魔王軍と人間たちの間で、とてつもない規模の戦争が起きたことがあると、父さんから聞いたことがあった。
魔王軍が魔物を移動させるために使っていた、古代の魔道具……。
そして今のラグナでは、
それとあまりにもよく似た鉄の欠片が見つかっている。
「まさか……」
セリアさんが低い声で言った。
「今ラグナで魔物を動かしている誰かが……この昔の技術を使ってるってこと?」
まだ確かなことは分からない。
でも、
その可能性はかなり高い気がした。
俺はもう一度、99階層のほうを振り返った。
1000年前の魔王軍の魔物……。
奴は死ぬ直前、ルナを見て――
『ルナ様』
と呼んだ。
そしてこの場所に残されていたのは、
魔王軍の魔道具。
「うーん……ルナ」
「はい~?」
「お前、本当に何も知らないんだよな?」
「もちろんです!」
ルナは少し考えてから付け加えた。
「……たぶん?」
「なんで最後に『たぶん』がつくんだよ……」
「私も急に自信がなくなってきました……」
ガイルさんとセリアさんが同時にため息をついた。
こうして――
俺たちは、誰も到達したことのなかった100階層へ辿り着いた。
ラグナダンジョン――
史上初の完全攻略だった!




