ついに90階層です……!
【70】
扉の上に刻まれた数字を、しばらく見つめた。
最初の目標だった45階層は、もうとっくに通り過ぎている。
「それじゃあ……入りますか?」
ルナが杖を持ち上げた。
ガイルさんが深く息を吐く。
「……ここからは本当に気をつけるぞ……!」
「さっきからずっと気をつけてますよ?」
「お前の基準じゃなくて、普通の人間の基準で言ってるんだ」
「は~い!」
ルナは相変わらず明るい。
でも、ガイルさんの表情はさっきまでよりずっと真剣だった。
70階層より先は、記録そのものが少ない。
どんな魔物が出るのか、どんな地形なのかすら詳しく残っていない場所もあるらしい。
俺たちは扉を開けた。
ギィィ……。
熱い風が顔を覆った。
「うわ~~!」
目の前には巨大な峡谷が広がっていた。
赤い断崖がどこまでも続き、その間を細い道が蛇行している。
遠く下の方からは赤い光が見えた。
「あれ、まさか……」
ルナが崖の下を覗き込む。
「溶岩ですか?!」
ガイルさんが顔をしかめた。
「たぶんな……」
「落ちたらどうなるんですか?」
「なんで毎回落ちることから考えるんだよ。縁起でもない……」
「へへ、ちょっと気になっただけです~」
まさか、わざと落ちてみたりはしないよな……?
70階層から74階層までは、似たような峡谷地帯が続いた。
道は狭く、あちこちから熱い蒸気が噴き出している。
魔物もこれまでよりずっと大きかった。
71階層では、馬車を何台もつなげたくらいの長さがあるラーヴァワームが崖を突き破って現れた。
72階層では、翼を広げると普通の建物よりも大きく見えるブレイズワイバーンが二体、空から降りてきた。
「あんなのがBランクなんですか?」
俺が聞くと、ガイルさんが頷いた。
「上位ではあるけど……そうだ」
「ものすごく大きいですね~」
「俺もここまで来るのは初めてだけど、この深さならあれくらいの大きさも珍しくないんだろうな」
ルナがワイバーンを見上げた。
「お肉、どれくらい取れるんでしょう……」
「ブレイズワイバーンよりお前の方が怖くなってきたよ……」
結局、ブレイズワイバーンはルナの氷魔法で翼を封じられ、
俺が地面へ引きずり落として、あっさり終わった。
もちろん全部は持っていけなかったので、ルナはしばらく残念そうにしていた。
75階層へ着くと、雰囲気が一気に変わった。
今度は熱い峡谷じゃない。
どこまでも広がる真っ白な雪原だった。
「うぅ……寒いです」
ルナがすぐ俺の横へ寄ってきた。
「さっきは暑いって言ってただろ……」
「それはさっきの話です!」
冷たい風が顔を叩く。
雪は膝近くまで積もり、
遠くには巨大な氷柱がいくつもそびえていた。
セリアさんがマントを強く引き寄せる。
「一日で夏と冬を両方味わってる気分なんだけど?」
「ダンジョンって本当に変ですね~」
そう言いながらも、ルナは少し楽しそうだった。
76階層。
巨大なアイスベアが二体。
77階層。
雪の中に潜んでいたフロストウルフの群れ。
78階層では、氷の下から長い蛇型の魔物まで飛び出してきた。
体長は数十メートルはありそうだった。
「これもまた、ものすごく長いですね……」
ルナが言った。
「可愛い?」
俺が聞く。
「いいえ!」
返事が速い。
79階層に着く頃には、みんな少し疲れていた。
ガイルさんとセリアさんも歩く速度が落ちている。
俺たちも少し休んだ方がよさそうだった。
「ここで少し休もう」
ガイルさんが言った。
俺たちは風の弱い氷壁の横に腰を下ろした。
パンと干し肉を食べ、
水を少しずつ飲む。
ルナが鞄の中を確認しながら言った。
「思ったより食料が減ってますね……」
「……自分が食べたとは考えなかったの?」
セリアさんが返した。
「でも、このペースならまだ大丈夫そうだね」
ガイルさんが地図を広げる。
「80階層には守護者がいるみたいだ」
「またですか?」
ルナの目が輝く。
「なんで嬉しそうなんだ……」
「今度は私が先に倒したいです~!」
「それは入ってから決めるぞ」
しばらくして。
俺たちは80階層の扉を開いた。
中には巨大な氷の洞窟が広がっていた。
天井には鋭い氷柱が無数にぶら下がり、
中央では何かが蹲っていた。
それが、ゆっくりと立ち上がる。
「……!」
人間の何倍もある巨大な体。
全身は分厚い氷の鎧みたいな結晶に覆われ、
両腕は木の幹よりも太い。
ガイルさんが険しい顔で言った。
「フロストタイタン……!」
「ランクは?」
「……Aランクだ」
ルナが目を大きく見開いた。
「!!!!!!!」
今回は嫌いじゃないらしい。
フロストタイタンが俺たちを見つけた。
「ウオオオオオ!!」
咆哮と同時に両腕を振り上げる。
ドォン!!!
床を叩きつけた瞬間、氷の破片が四方へ弾けた。
そして同時に、
天井から無数の氷柱が落ち始める。
「早く避けろ!」
ガイルさんが叫んだ。
だがルナは杖を構えた。
「《アイスウォール》!」
ドォン!
巨大な氷壁がせり上がり、氷柱を受け止める。
「……氷の魔物に氷魔法を使うんだな」
俺が言うと、ルナが答えた。
「防ぐだけなら関係ないじゃないですか!」
それもそうか?
その時、フロストタイタンが前へ突進した。
思ったより速い……!
奴の拳がガイルさんへ向かう。
「ガイルさん!」
俺が動こうとしたが、もう間に合わない。
ガイルさんは経験のおかげか、剣で完璧に受け止めた。
それでも衝撃で体が大きく後ろへ押し出される。
「くっ……!」
「ガイル!」
セリアさんが叫んだ。
フロストタイタンが再び腕を振り上げる。
ガイルさんはまだ完全に体勢を立て直せていない。
俺はすぐに二人の間へ入った。
ドン!
飛んできた拳を片手で受け止める。
「……!」
ガイルさんが俺を見る。
「大丈夫ですか?」
「……ああ」
俺はフロストタイタンの手を押し返した。
巨大な体が後ろへ揺れる。
その隙にルナが杖を持ち上げた。
「今度は私がやります!」
魔力が周囲へ集まる。
いつもよりずっと強い。
ガイルさんもすぐに気づいた。
「ちょっと待て……!」
「《ライトニングバースト》!」
カッ――!
巨大な雷光が氷の洞窟いっぱいに広がった。
フロストタイタンの体が大きく揺れる。
氷の鎧のあちこちに亀裂が走った。
俺はそのまま跳び上がり、
ひびの入った胸元を拳で殴りつけた。
ドォン!!
フロストタイタンが後ろへ倒れる。
ズゥゥン……!
洞窟全体が揺れた。
しばらく静寂が流れた。
ルナが満足そうに杖を下ろす。
「今回は結構強めに使いました~!」
ガイルさんが呆然とルナを見つめる。
「……」
セリアさんが小さく笑った。
80階層の守護者を倒したあと、
俺たちは少し休憩した。
その時、ガイルさんが突然言った。
「……昔の俺だったら……」
「はい?」
俺はガイルさんを見る。
彼は倒れたフロストタイタンを見つめながら言った。
「昔の俺だったら、ここまで来たら絶対にもっと下へ行こうって言ってたと思う」
セリアさんが静かに彼を見る。
「仲間が疲れてようが関係なく、ここまで来たんだから戻れるわけがないって考えてた」
ガイルさんは少し笑った。
「でも今は……少し変わった」
「どう変わったんですか?」
「危険なら戻るべきだと思えるようになった」
彼が俺たちを見る。
「どれだけ深くまで行けても、生きて帰れなきゃ意味がないからな」
セリアさんが少し微笑んだ。
「やっとちゃんと学んだんだね~」
「……遅かったよな……」
「かなりね」
「ひどいな」
ガイルさんが笑った。
俺もつられて笑った。
俺たちは再び進み始めた。
81階層からは氷の地帯も終わり始めた。
83階層では古代都市のような廃墟が現れ、
85階層からは崩れた石造りの建物の間を進むことになった。
魔物の数はむしろ減った。
その代わり、一体一体がずっと強くなっている。
巨大な鎧を身につけたアンデッドナイト。
石でできた翼を持つガーゴイル。
そして88階層では、人間の身長の五倍くらいありそうな巨大な一つ目の魔物まで現れた。
「あれは……!」
ルナが見上げる。
「大きいですね!」
「感想、それだけ?」
「可愛くないですからね~」
……。
ここまで来るうちに、俺たちも移動の仕方に慣れていた。
戦う必要のない魔物は避け、
道を塞ぐ奴だけを素早く倒して進んだ。
そうして長い廃墟地帯を抜けた時、
目の前にまた石の扉が現れた。
【90】
「……」
ガイルさんがその場で立ち止まった。
セリアさんも何も言わない。
ルナだけが扉の前まで歩いていった。
「90階層ですよ~!」
ガイルさんがゆっくり数字を見上げる。
「……本当にここまで来たんだな」
「はい」
「90階層を越えたパーティーは、ほとんどいないって言ってましたよね?」
俺が聞くと、ガイルさんが頷いた。
「ああ」
そして少しして、
ガイルさんが笑った。
「ここから先は、本当に誰も知らない領域に近い」
ルナが扉に手を置いた。
「じゃあ、もっと面白くなりますね~!」
「……やっぱりそう言うと思った」
俺は扉の上に刻まれた数字を見つめた。
【90】
99階層まで到達したというSランクパーティー。
そして、誰も到達したことのない100階層。
いつの間にか、
そこはもう本当に遠くない場所まで来ていた。
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