初めて出会った亜人は、宿屋の店員さんでした!
ブラムさんについて大広場の奥の通りを歩き始めてから、しばらくして俺たちは宿の前に到着した。
「ここです!」
ブラムさんが足を止めたのは、三階建ての大きな建物だった。
濃い茶色の木材と灰色の石を組み合わせて建てられており、入口の上には大きな木製の看板が掛けられている。
看板には、丸い月と酒杯が描かれていた。
『銀月亭』
「銀月亭……」
ルナが看板を読んだ。
「綺麗な名前ですね~」
「ラグナでもかなり有名な宿です」
ブラムさんが言った。
「値段はそこまで安くありませんが、部屋も綺麗で、食堂の料理も評判がいいと聞いています」
「料理が美味しいんですか?」
ルナの目つきが変わった。
宿泊費より、そっちのほうが重要らしい。
「とりあえず入ろう」
「はい!」
扉を開けると、暖かい空気と一緒に肉を焼く匂いが一気に流れ込んできた。
「……!」
ルナがその場で止まった。
宿の一階は広い食堂になっていた。
木製のテーブルが十数個並べられており、すでに大勢の客が夕食を食べている。
冒険者らしき人もいれば、旅人や商人もいた。
そして、その中には俺が初めて見る姿の人々も混じっていた。
あるテーブルには、人間よりも長く尖った耳を持つ男が座っていた。
別の場所には、背は低いが肩幅が広く、豊かな髭を生やした男が大きな杯を手にしていた。
そして。
「いらっしゃいませ!」
明るい声が聞こえた。
両手に何枚もの皿を持った女性が、こちらへ近づいてきた。
年齢は俺と同じくらいか、少し上に見える。
茶色い髪の間から……
耳が生えていた。
人間の耳ではない。
三角形をした茶色い耳だった。
さらに腰の後ろでは、長く柔らかそうな尻尾が揺れている。
「……」
思わず見つめてしまった。
ルナも同じだった。
女性は首を傾げた。
「どうしました?」
「あ、すみません」
俺は慌てて頭を下げた。
「初めて見たので……」
「初めて?」
女性は自分の耳に触れた。
「ああ~」
すぐに理解したように笑う。
「亜人を見るのは初めてなんですね?」
「亜人……」
ルナが小さく呟いた。
女性の耳がぴくりと動いた。
本当に動いた。
それを見たルナは、目を大きく見開いた。
「お兄様!」
「ん?」
「耳が動きました……!」
「俺も見たよ」
女性の耳がもう一度動いた。
ルナが一歩近づく。
「あの……もしかして……」
「ルナ」
俺はすぐに言った。
「触ったら駄目だよ」
「まだ何も言ってないですよ?」
「顔に全部書いてあった」
「えへへ……ちょっと気になっただけです」
女性が吹き出した。
「大丈夫ですよ。初めて見る人間は、だいたい同じような反応をしますから」
「じゃあ、本当に触ってもいいんですか?!」
ルナがすぐに聞いた。
「そういう意味じゃなかったんですけど……」
「あ……」
ルナが少し残念そうな顔をした。
俺はルナの肩を掴み、少しだけ後ろへ下げた。
「失礼しました」
「大丈夫ですって~」
女性は笑いながら言った。
「私はミア。猫系の亜人です。この宿で働いています」
猫の亜人。
確かに耳の形も、尻尾も猫に似ている。
「俺はリオンです」
「ルナです!」
「ブラムです」
「三人でお泊まりですか?」
「私はすでに商隊の者たちと別に部屋を取っています」
ブラムさんが言った。
「今日から宿を探しているのはこちらのお二人です」
ミアさんは俺たちを上から下まで眺めた。
「お二人なら、お部屋は一つ? それとも二つ?」
「二つでお願いします」
俺は即答した。
ルナが俺を見る。
「どうしてですか?」
「どうしてって……」
「山では同じ家で寝ていたじゃないですか」
「ここは宿だから」
「部屋が別だと、夜お腹が空いた時にお兄様を起こしに行くのが面倒です」
「俺を起こす前提で考えないで」
ミアさんが口元を押さえて笑った。
「仲がいいんですね~」
「兄妹です」
「ああ! なるほど!」
ミアさんは受付へ移動した。
「普通のお部屋を二つなら、一泊銀貨6枚ずつです。朝食込みですよ」
「銀貨6枚……」
ルナが静かに呟いた。
俺は少し安心した。
さっき通りで見た金貨単位の商品に比べれば、十分普通の値段に感じる。
「一週間くらい泊まるなら、少し安くなりますか?」
俺が尋ねると、ミアさんは頷いた。
「5日以上なら割引しますよ」
「では、とりあえず5日でお願いします」
「はい!」
ルナは隣で指を折りながら計算を始めた。
「銀貨6枚ずつ……二人で12枚……5日なら……」
しばらくして、ルナの動きが止まった。
「お兄様」
「うん」
「計算が面倒です……」
面倒なんじゃなくて、難しいんだろう。
「俺がやるよ」
ブラムさんが小さく笑った。
宿泊費を払った後、俺たちは部屋の鍵を受け取った。
「荷物はお部屋に置いてから降りてきてください」
ミアさんが言った。
「夕食もまだ注文できますよ」
その瞬間、ルナの耳がぴんと立ったように見えた。
……いや、ルナに獣耳はないけど。
「メニューは何がありますか?」
「今日は牛肉のシチュー、ハーブチキン、川魚の塩焼き、キノコのクリームスープ……」
「全部ください!」
「ルナ」
「……全部は駄目ですか?」
「二人で食べきれる分だけにしよう」
「私は食べられますよ~」
「それが問題なんだよ……」
その時、ミアさんが何かを思い出したように手を叩いた。
「あ、もしかしてお二人が今日、アイアンファングベアを持ってきた方たちですか?」
「もう噂になっているんですか?」
「城門のところからすごく騒ぎになっていましたから~」
ミアさんの尻尾が左右に揺れた。
「ものすごく大きな熊を、氷の橇に載せて引っ張ってきたって」
「私たちです!」
ルナが得意げに言った。
「氷の橇も私が作りました!」
「わあ、本当ですか?」
ミアさんがルナを見る。
「魔法使いなんですか?」
「はい!」
ルナは胸を張った。
「火も使えますし、水も、風も、氷も……」
ミアさんの目が大きくなった。
「えっ?! そんなにたくさん?」
「はい?」
「あ、いえ。何でもありません」
この反応……どこかで何度も見た気がする。
ルナが魔法の話をするたびに、みんな似たような顔になる。
俺たちは先に部屋へ荷物を置きに行った。
部屋はレーベンで泊まっていたところより少し広かった。
ベッドも柔らかく、小さな机と洗面台まである。
何より、窓の外からラグナの夜景が見えた。
日が完全に沈んだ街には、無数の魔法灯が灯っている。
「綺麗~」
ルナが窓に張りついて言った。
「山では夜になると、ものすごく暗かったのに~」
「そうだね」
遠くの広場には、まだ人々が行き交っている。
露店の灯り。
店の看板。
城の方向で輝く灯火。
まるで眠らない街のようだった。
「お兄様」
「うん」
「……お腹が空きました」
「感動が長続きしないね」
「夜景もいいですけど、下からお肉の匂いがしてくるじゃないですか~」
確かに一階から漂ってくる匂いはかなり強かった。
俺たちは再び一階へ降りた。
ブラムさんはすでに商隊の人たちと合流するために出ていったらしい。
ロウェンさんたちも、別の宿を取ったそうだ。
「こちらです!」
ミアさんが空いているテーブルへ案内してくれた。
しばらくすると、料理が次々と運ばれてきた。
牛肉のシチュー。
ハーブチキン。
ジャガイモと玉ねぎのスープ。
焼きたてのパン。
そして、川魚の塩焼き。
ルナは料理を見つめながら、両手を合わせた。
「この街……本当にいいところですね~」
「食べ物だけで判断しないで」
まあ、悪い街ではなさそうだけど。
「大事な基準じゃないですか?」
ルナはすぐに鶏の脚を掴み、一口かじった。
「……!」
目が大きくなる。
「お兄様」
「うん」
「レーベンより美味しいです!!」
「そんなにすぐ断定していいの?」
「少なくとも、この鶏はそうです……!」
……ずいぶん具体的だな。
はは。
俺もシチューを一口食べてみた。
肉は柔らかく、スープには香辛料の味がしっかり染み込んでいる。
山ではほとんど食べたことのない味だった。
「確かに美味しいね~」
「ですよね?」
なぜかルナが、自分で作った料理でもないのに誇らしげな顔をした。
隣のテーブルでは、さっき見かけた髭の濃い小柄な男が、大きな杯を一気に飲み干していた。
「くはぁ! やっぱりラグナの麦酒は最高だな!」
あまりにも声が大きくて、思わずそちらを見てしまう。
男は俺の視線に気づいたのか、こちらを見た。
「何を見ている、小僧?」
「あ、すみません」
「見ない顔だな……」
男は髭を撫でた。
「よそ者か?」
「今日着いたばかりです」
「そうか」
彼はルナが食べている料理の量を見て、一瞬止まった。
テーブルの上には、すでに空の皿が何枚も積まれている。
「……その小さい嬢ちゃんが、全部食ったのか?」
「はい」
「人間で合ってるのか?」
「はいぃ?」
ルナが顔を上げた。
手は握り拳になっている。
男は慌てて杯を持ち上げた。
「あ、いや、何でもないぞ」
ルナはしばらく男を見た後、俺に小声で尋ねた。
「お兄様」
「うん」
「あの方は人間なんですか?」
「たぶん、別の種族だと思う」
ちょうど皿を運びながら通りかかったミアさんが答えた。
「ドワーフですよ」
「ドワーフ」
「山や鉱山の近くに多く住んでいて、鍛冶屋も多いんです」
それを聞いたドワーフの男が大笑いした。
「その通りだ! 俺の名はゴルド! ラグナで鍛冶屋をやってる!」
「鍛冶屋ですか?」
俺は自然と腰に差した剣へ目を向けた。
ゴルドさんも、俺の剣に気づいた。
その瞬間、少しだけ表情が変わる。
「ほう……その剣」
俺は動きを止めた。
「どうかしましたか?」
ゴルドさんは目を細め、鞘を見つめた。
「いや」
少し考えた後、首を横に振る。
「鞘は普通だな」
「……」
父さんが作ってくれた剣そのものは、鞘の中に収まっている。
レーベンで買った新しい鞘しか見えていないらしい。
「なんとなく、いい剣を使っているように思えてな~」
「昔から使っている剣です」
「そうか……」
その時、ミアさんが再び俺たちのテーブルへやってきた。
「そういえば、さっきアイアンファングベアのお肉の話をしていましたよね?」
ルナがすぐに顔を上げた。
「はい!」
「ギルドで解体が終わったら、一部持ってくるんですよね?」
「そのつもりです」
俺が答えた。
ミアさんは少し考えてから言った。
「うちの料理長、魔物の肉を調理するのがかなり上手なんです~。状態がよければ、持ってきても大丈夫ですよ」
ルナの目が輝いた。
「本当ですか?!」
「ただし、下処理代と調理代はいただきますけど」
「いくらですか?」
「量にもよりますけど、普通なら銀貨数枚くらいです」
ルナは胸を撫で下ろした。
「ふぅ~、よかったです~」
「何を心配してたの……?」
「金貨1枚って言われるかと思ってました」
ラグナに着いてまだ半日も経っていないのに、もう物価に恐怖を感じ始めているらしい。
「アイアンファングベアのお肉は、上手に料理すれば美味しいですよ」
ミアさんが言った。
「特に背中の肉は柔らかいですし」
ルナが俺の腕を掴んだ。
「お兄様」
「うん」
「明日はギルドへ一番最初に行きましょう」
「……肉を受け取りに?」
「ど、どうして分かったんですか?!」
食事を終えた後、会計を済ませた。
思っていたより高かったが、払えないほどではない。
それでも、やはりレーベンより物価は高いな……。
ルナはしばらく伝票を見つめてから言った。
「お兄様」
「何?」
「ラグナでは、もっとたくさんお金を稼がないといけませんね」
「それはそうだね」
「食べたいものが多すぎますから」
「理由はそれなの?」
「とても大事な理由です!」
俺たちは部屋へ戻った。
眠る前に窓の外を見ると、街の明かりはまだ消えていなかった。
今日一日だけでも、初めて見るものばかりだった。
巨大な街。
亜人。
ドワーフ。
果てしなく並ぶ店と料理。
そして、ラグナの周囲でおかしな動きを見せているという魔物たち。
明日からは、この街で本格的に依頼を受けることになる。
どんな出来事が待っているかはまだ分からない。
だが、一つだけ確かなことがあった。
「お兄様~」
隣の部屋へ向かっていたルナが、扉の隙間から顔を覗かせた。
「明日の朝、まずアイアンファングベアのお肉を取りに行くんですよ」
「分かったよ」
「忘れたら駄目です」
「忘れないよ」
「本当ですよ?」
「ルナ」
「はい?」
「もう寝よう」
「は~い」
扉が閉まった。
……ラグナで最初に解決しなければならない問題は、どうやら熊肉らしい。




