初めての商隊護衛は、思ったより平和です!
レーベンの城壁が完全に見えなくなった後も、商隊は東へ続く広い街道を進み続けた。
6台の馬車が一定の間隔を空けて並び、護衛を担当する冒険者たちは、商隊の前後と左右に分かれて歩いていた。
俺たちを子供扱いした赤髪の男は、商隊の先頭を担当している。
彼と一緒にいた残りの3人は、それぞれ馬車の両脇と後方へ散っていた。
「リオンさんとルナさんは、先頭の馬車の近くにいてください」
商隊を率いるブラムさんが言った。
「お二人がどこにいるか分かるだけでも、安心できますからね~」
「俺たちは、ずっと馬車の上にいてもいいのですか?」
「もちろんです。必要な時だけ手を貸してくだされば十分ですよ」
本当にそれだけでいいのだろうか。
護衛依頼というから、ずっと周囲を警戒しながら歩くものだと思っていたが、予想よりも自由だった。
ルナはすでに先頭の馬車の荷台の隅に座っていた。
腕の中には、エルマさんが用意してくれた食料の鞄をしっかり抱えている。
「ルナ」
「はい?」
「出発してから、まだほとんど時間が経っていないよ」
「私も分かっています」
「それなのに、どうしてもう食料の鞄を開けようとしているの?」
ルナは鞄の上に置いていた手を、そっと背中へ隠した。
「ちゃんと閉まっているか確認しようと思ったんです~」
「……? 紐まで解きながら?」
「中もしっかり確認しないといけませんから」
やはり、俺が持っていたほうがよさそうだ……。
俺はルナから食料の鞄を受け取り、自分の隣へ置いた。
「昼までは駄目だからね」
「まだ朝ですよ?」
「だからだよ」
「旅の途中では、普段より早くお腹が空くかもしれないじゃないですか」
「馬車に座っているだけなのに?」
ルナは答えられなかった。
代わりに、遠くに広がる野原を眺めながら口笛を吹いた。
街を離れると、周囲の景色はあっという間に変わっていった。
道の両側には広い平原が広がり、遠くには低い丘や小さな森が見える。
畑で働いていた人々が、通り過ぎる商隊へ手を振ることもあった。
初めてレーベンへ来た時は、山を下りた直後だったため、周囲をゆっくり眺める余裕がなかった。
こうしてのんびり街道を進んでいると、人間たちが暮らす世界がどれほど広いのか、少しずつ実感できた。
「お兄様、あれは何でしょう?」
ルナが道の向こう側を指差した。
木の柱の上に、平たい板が取り付けられている。
板には複数の方向を示す矢印と文字が書かれていた。
「道を案内する標識みたいだね」
「ラグナはどちらですか?」
「あっち」
俺は東を指す矢印を確認した。
【ラグナまで90km】
その下には、他の村の名前も記されていた。
「ラグナまで90kmと書いてあります!」
「うん」
「とても遠いですね~」
「馬車で3日ほどかかると言っていたからね」
「私が後ろから押せば、1日でも着けるのではありませんか?」
「絶対にやめて」
ルナなら、本当に馬車を吹き飛ばしてしまうかもしれない。
道端を歩いていた赤髪の男が、俺たちの会話を聞いたのか振り返った。
「絶対に押すな」
さっきまで俺たちを疑っていた男が、今はとても真剣な顔をしていた。
「馬が驚いて逃げ出したら大変だ」
「少しくらいなら大丈夫ではありませんか?」
「少しという基準が、俺たちとは違いそうだから言っているんだ」
「なるほど~」
ルナは素直に頷いた。
赤髪の男は安堵したように息を吐いた。
そういえば、まだ他の護衛冒険者たちの名前を聞いていなかった。
「あの」
俺が声をかけると、赤髪の男は緊張した表情で振り返った。
「な、何だ?」
「まだお名前を聞いていなかったので」
「ああ……」
彼は無意味に姿勢を正した。
「俺はロウェンだ。Cランクの剣士で、今回の護衛隊では臨時の責任者を任されている」
彼は後ろを指差した。
「大柄な剣士がバルト。弓使いがニア。魔法使いがクロエだ。俺たち4人は普段から一緒に行動しているパーティーだ」
バルトさんは、ロウェンさんより頭一つ分は大きな男だった。
背中には幅の広い大剣を背負っている。
弓使いのニアさんは短い茶髪の女性で、常に鋭い目つきで周囲を見回していた。
魔法使いのクロエさんは、淡い金髪を長く編み込んだ女性だった。
「よろしくお願いします」
俺が挨拶すると、ロウェンさんも頷いた。
「ああ。さっきは悪かった」
「何がですか?」
「お前たちを見て、実力が足りないと思っていたからな」
「気にしていません」
「ところで、一つだけ聞いてもいいか?」
「はい」
ロウェンさんは俺の腰の剣をちらりと見た。
「本当に、その剣でヴェノムドレイクを倒したのか?」
「はい」
「魔法がかかっているとか、有名な鍛冶師が作った剣というわけではないのか?」
「山にいた頃から使っている剣です」
「……どんな山なら、そんな剣を使うことになるんだ?」
俺は少し考えた。
父さんが直接作ってくれた剣だと言えば、説明がさらに面倒になりそうだ。
「とても高い山です」
「それは場所ではなく、高さの説明だろう……」
「人がほとんど来ない場所です」
「そんな山で何をして暮らしていたんだ?」
「ええと……修行をしていました」
ロウェンさんはしばらく俺を見つめた。
「これ以上聞いてはいけない気がしてきた……」
最近、多くの人がこういう形で会話を終わらせる気がする。
その時、馬車の反対側を歩いていたクロエさんがルナへ近づいてきた。
「ルナさんは魔法使いだと聞きました」
「はい。魔法を使えますよ~」
「どの属性を使うのですか?」
「属性ですか?」
「火や水、風、土といったものです」
ルナは指を一本ずつ折った。
「火も使えますし、水も使えます。風も土も使えますよ」
クロエさんの足が止まった。
「え?」
「光も使えますし、氷も使えます。治癒魔法も少し使えますよ~」
「全部ですか?」
「はい~。たぶん?」
「……全属性適性?」
クロエさんは信じられないという表情を浮かべた。
「そんな人がいるなんて、聞いたこともありません……」
「父さんがいろいろ教えてくれました」
「お父様も魔法使いだったのですか?」
「うーん……」
ルナが俺を見た。
俺は静かに首を横へ振った。
父さんが竜だということは、わざわざ話さないほうがいい。
「魔法にとても詳しい方でした」
ルナが答えた。
間違いではない。
父さんは、並の人間の魔法使いよりもはるかに多くの魔法を知っていたからだ。
クロエさんは感心したようにルナを見つめた。
「今度、機会があれば魔法を見せてもらえますか?」
「もちろんです~」
「私も見てみたいです」
後ろからニアさんが言った。
「城壁の上からアーマーボアの群れをまとめて吹き飛ばしたという噂が本当なのか、気になっているんです」
「あれは本当に、少し押し返しただけですよ」
「それを聞いたら、余計に見たくなりました!」
護衛の冒険者たちは、少しずつルナの周りへ集まり始めた。
最初は俺たちを疑っていたのに、今では好奇心に満ちた表情をしている。
反対に、俺はやることがなくなった。
馬車の上に座って周囲を見回したが、危険そうなものは何もない。
遠くでは鳥が飛び、草原では小さな動物が動いていた。
「護衛依頼というのは、いつもこんなに平和なのですか?」
俺が尋ねると、ロウェンさんは首を横へ振った。
「いつもではない」
「魔物がよく現れるのですか?」
「街道から大きく離れなければ、強い魔物と出会う可能性は低い。だが、ゴブリンや狼くらいなら出ることもある」
「なるほど」
「盗賊が現れる場合もあるな」
「盗賊?」
「他人の持ち物を奪う人間たちだ」
そんな人間もいるのか……。
山では父さんとルナ以外、ほとんど誰とも会わなかった。
人間同士で物を奪い合うということなど、考えたこともなかった。
「では、盗賊が現れたら捕まえればいいのですか?」
「できるだけ生け捕りにしろ」
「生け捕りですか?」
「魔物とは違って、人間を勝手に殺すわけにはいかないからな」
それは重要な違いだった。
力加減には、もっと気をつけなければならない。
「分かりました」
「そんなに真剣に答えられると、逆に不安になるんだが……」
ロウェンさんが小さく呟いた。
昼が近づいた頃、商隊は街道沿いの広い空き地に止まった。
大きな木が何本か日陰を作っており、近くには小さな小川も流れていた。
「ここで昼食にしましょう!」
ブラムさんが声を上げた。
御者たちが馬に水と餌を与えている間、商人たちは馬車から食料を取り出した。
俺たちも、エルマさんが用意してくれた鞄を開けた。
中には、厚いパンに肉とチーズを挟んだものがいくつも入っていた。
その隣には、茹で卵と干した果物もあった。
「わあ~!」
ルナの目が輝いた。
「これがお昼ご飯ですか?」
「うん。でも、ゆっくり食べるんだよ」
「はい!」
ルナは返事と同時に、パンへ大きくかぶりついた。
まったくゆっくり食べていない。
「美味しいです~!」
俺も一つ食べてみた。
パンは少し固かったが、中の肉とチーズがよく合っている。
冷めていても十分美味しかった。
「エルマさんの料理は、冷めても美味しいですね」
ルナは二つ目のパンを手に取りながら言った。
「そうだね」
「三つ目も食べていいですよね?」
「まだ二つ目も食べ終わっていないじゃないか」
「先に許可をもらっておくんです」
その時、ロウェンさんが俺たちの隣へ座った。
彼が食べていたのは、固い黒パンと干し肉だけだった。
ルナはロウェンさんの食事を見つめた。
「それがお昼ご飯ですか?」
「ああ」
「それだけですか?」
「護衛中は、普通この程度だ」
ルナは俺たちのパンと、ロウェンさんの黒パンを交互に見た。
そして、エルマさんが作ってくれたパンを一つ差し出した。
「一つ食べますか?」
「いいのか?」
「はい。たくさんありますから」
俺は食料の鞄を確認した。
たくさんと呼べるほどではなかったが、一つや二つなら分けても問題なさそうだった。
ロウェンさんはパンを受け取り、一口食べた。
「……美味いな」
「そうでしょう~?」
ルナは自分が作ったわけでもないのに、誇らしげな表情を浮かべた。
結局、バルトさんとニアさん、クロエさんにも一つずつ分けることになった。
「この宿はどこにあるんだ?」
バルトさんが尋ねた。
「『金鹿亭』です」
「そうか……。次にレーベンへ行くことがあれば、必ず泊まってみよう」
皆がエルマさんの料理を褒めると、ルナはさらに嬉しそうな表情を浮かべた。
昼食が終わろうとした、その時だった。
森に接した草むらから、がさがさと音がした。
ニアさんが真っ先に弓を構えた。
「何か来ます」
冒険者たちは、すぐに立ち上がった。
商人たちは慣れているのか、馬車の後ろへ下がった。
俺も剣の柄へ手を置いた。
草むらが大きく揺れ、灰色の毛を持つ狼が何匹も姿を現した。
普通の狼より少し大きく、口元からは涎が垂れている。
「グレイウルフだ!」
ロウェンさんが剣を抜いた。
「全員、持ち場を守れ! 7匹だ!」
「後ろに、さらに5匹います!」
ルナが言った。
「何?」
しばらくすると、本当に狼が5匹追加で姿を現した。
合計12匹だ。
狼の群れは、ゆっくりと俺たちを囲み始めた。
ロウェンさんたちの表情が険しくなった。
「普通の群れより多い……!」
「俺がやりましょうか?」
俺が尋ねると、ロウェンさんは少し考えた。
「できるだけ商隊から離れるな。一緒に相手をしよう」
俺たちを守ろうとしているようだ。
まあ、悪い判断ではない。
だが、12匹を1匹ずつ相手にしていたら、昼休みが長引くかもしれない。
ルナは、まだ残っているパンを見つめていた。
「ルナ」
「はい?」
「あの狼たちを、商隊から少し離れた場所まで押し飛ばせる?」
「どれくらい遠くまでですか?」
「あの木のところまで」
「分かりました~」
ルナは立ち上がると、狼たちへ向けて手のひらを差し出した。
クロエさんが驚いた表情で尋ねた。
「詠唱しないのですか?」
「え? 絶対に必要なのですか?」
「いえ、普通は……」
ルナの手の前に風が集まった。
次の瞬間。
ドンッ――!
強い風が空き地を駆け抜けた。
12匹の狼が、同時に空中へ浮かび上がった。
そのままぐるぐると回転しながら吹き飛ばされ、遠く離れた木の前の草原へ次々と落ちていく。
幸い、死んではいないようだった。
狼たちはふらつきながら立ち上がると、尾を脚の間へ巻き込み、森の中へ逃げ去った。
空き地が静まり返った。
クロエさんは口を開けたまま、狼たちが消えた方向を見つめていた。
「あれが……少し押し返しただけなのですか?」
「はい!」
ルナは頷いた。
「怪我をしないように、力を調整しました~」
ロウェンさんとバルトさん、ニアさんが同時に俺を見た。
「どうして俺を見るのですか?」
「いや」
ロウェンさんはゆっくりと剣を鞘へ戻した。
「二人と一緒にいると、俺たちが護衛する必要はあるのかと思ってな」
「でも、依頼は6人で受けたのですよね?」
「はは。まあ、そうなんだが……」
狼がいなくなったことを確認すると、商人たちは歓声を上げた。
「もう終わったのですか?」
「馬車にも傷一つありません!」
「やはり、お二人が同行してくださって本当によかった!」
ブラムさんは笑顔で俺たちへ近づいてきた。
「本当にお見事です!」
「ルナがやったことです」
「お兄様にもできるじゃないですか」
「俺がやったら、狼が怪我をするかもしれないから」
力を調整したとしても、剣で狼を押し飛ばすのは難しい。
「ところで、魔物の素材は別に精算されると言っていませんでしたか?」
ルナは、狼たちが消えた森を見つめながら尋ねた。
「逃げたから、素材はないよ」
「あ……」
ルナの肩が落ちた。
「では、お金は貰えないのですか?」
「商隊を守ったのだから、基本報酬は貰えるだろう?」
「ですが、追加報酬も貰えたかもしれないのに……」
ルナは残念そうな表情を浮かべた。
クロエさんが笑い声を上げた。
「殺さずに追い払っただけでも、十分すごいですよ」
「次は捕まえます」
「食べるために?」
俺が尋ねると、ルナは少し考えた。
「グレイウルフは美味しいのですか?」
「分からない」
「それなら、ガルムンさんに聞いてから捕まえればよかったですね」
ガルムンさんは今、レーベンにいる。
これからは魔物と出会うたびに、食べられるかどうか自分たちで判断する必要があるのかもしれない。
短い騒ぎが終わると、商隊は再び出発した。
馬車が動き始めると、ルナは残しておいたパンを取り出した。
「さっき戦ったので、もう一つ食べてもいいですよね?」
「魔法を1回使っただけじゃないか……」
「魔法を使うとお腹が空くんです~」
「本当に?」
「うーん……少しは?」
嘘をついているようには見えなかった。
俺は悩んだ末、パンを一つ渡した。
「これが最後だからね!」
「今日の昼食の最後という意味ですよね?」
「今日のおやつまで含めて最後」
「ええ、それはあまりにも厳しいです……」
ルナはパンをとても大事そうに食べ始めた。
さっきまでは二口か三口で食べていたのに、今回は少しずつかじっている。
日が西へ傾き始めた頃、遠くに小さな村の屋根が見え始めた。
ブラムさんが前方を指差した。
「今日は、あの村に泊まる予定です!」
「もう最初の村ですか?」
ルナが体を起こした。
「規模は小さいですが、旅人がよく泊まる場所です。宿と食堂も何軒かありますよ」
「食堂ですか?」
ルナの目が再び輝いた。
つい先ほどまでパンを大事そうに食べていた姿は、完全に消えていた。
「お兄様、早く行きましょう!」
「馬車の速度は、俺が決めているわけじゃないよ」
「少し押せば……」
「駄目」
前を歩いていたロウェンさんも、俺と同時に言った。
ルナは唇を尖らせた。
商隊は夕焼けの中、ゆっくりと最初の宿泊地へ向かって進んでいった。
初めての護衛依頼は、思っていたよりも平和だった。
狼の群れが現れはしたものの、ルナが一度風を起こしただけですぐに終わってしまった。
この先も、こんな穏やかな旅が続けばいいのだが。
その時の俺たちは、翌朝何と出会うことになるのか、まだ何も知らなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!




