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第五十一話 休ませる場所

◆


 葛花の奥に開いた道は細く、低かった。


 大人なら身を屈めなければ通れないほど、葛の蔓が頭上を覆っている。


 紫を含んだ霧の向こうでは、先を行くセイランの背さえ、ときどき花房の陰へ隠れた。


 リリアはシリルの背で揺られていた。


 意識は、ほとんど霧の底へ沈みかけている。


 それでも、アンの声だけは聞き分けられた。


 案内役の女に抱かれたアンが、何度もこちらを振り返ろうとしている。


「リリアは?」


「後ろにおられます」


 女が静かに答えた。


「離れておりません」


「……見えない」


「すぐ後ろです」


 それでもアンは不安そうに、こちらへ手を伸ばそうとした。


 シリルが歩調を少し速める。


「お嬢様」


 リリアは掠れた声で呼んだ。


 自分でも、きちんと声になったのか分からない。


 それでも、アンには届いた。


「リリア」


「います」


 そこまで言うと、もう息が続かなかった。


 アンは泣きながら、小さく頷いた。


 シリルの肩越しに、その姿がぼやけて見える。


 アンが生きて、ここにいる。


 その事実だけが、沈みかける意識をかろうじてつなぎ止めていた。


 後ろからは、ヴィクトルの足音が続いている。


 普段なら、もっと静かで一定の足取りだった。


 今は、ときおり落ち葉を深く踏み込む音が混じる。


 右肩の傷が、限界に近づいているのだろう。


「王の騎士」


 セイランが前を向いたまま言った。


「倒れる前に言え」


「倒れません」


 ヴィクトルの答えは短い。


「倒れるかどうかを聞いているんじゃない」


 シリルが言った。


「傷の具合を言え」


 ヴィクトルは少し黙った。


「右肩はかなり痛む。足にも力が入りにくい。だが、歩けます」


「最初からそう言え」


 シリルの声には苛立ちがあった。


 けれど、怒っているわけではない。


 ぼんやりした意識の中でも、リリアには分かった。


「あと少しだ」


 セイランが言った。


「もうすぐ着く」


 シリルの肩に力が入る。


「どこに」


「休ませる場所だ」


「答えになってない」


「答えすぎれば、隠れ場所ではなくなる」


 シリルが小さく舌打ちした。


「相変わらずだな」


「お前もな」


 それだけだった。


 けれど、その短いやり取りの間に、リリアの知らない時間があるように思えた。


 シリルはセイランを知っている。


 セイランも、シリルを知っている。


 薄く目を開けると、霧の向こうにセイランの背が見えた。


 深い色の長衣。


 見通しの悪い道でも、迷う様子はない。


 その姿を見ていると、右腕の奥が静かに疼いた。


 怖さとは違う。


 安心とも違う。


 遠い場所へ置いてきた何かが、霧の向こうからこちらを見ているような、不思議な感覚だった。


◆


 やがて霧が薄くなり、左右を塞いでいた葛の壁が開いた。


 その奥には、苔むした低い石垣がある。


 石垣脇の古木には、三本の黒紫の紐が結ばれていた。


 シリルがそれを見る。


「隠れ道の印か」


「ああ」


 セイランが答えた。


「この先に、目隠しの仕掛けが残っていることを示している」


「紐そのものに力があるわけじゃないんだな」


「ただの印だ」


 セイランは石垣の周囲を示した。


「水路と葛の香り。斜面に沿わせた幕。それらで、下の道からは建物が見えにくくなっている」


「犬は」


「花と薬草の匂いで迷う。完全に撒けるわけではない」


「つまり、追手が来ない保証はない」


「保証などない」


「嫌な答えだな」


「嘘よりはましだ」


 石垣の向こうには、小さな建物が斜面に沿うように隠れていた。


 木と石で造られた低い建物。


 黒い屋根の軒には、東国風の飾りが下がっている。


 庭からは水の流れる音がした。


 石の間を抜ける細い水路の先には、白い湯気が漂っている。


 湿った木と薬草。


 それに、温かな湯の匂い。


 リリアは浅く息を吸った。


 地下の湿気とも、石室の冷たさとも違う。


 身体を閉じ込める場所の匂いではなかった。


 それでも、安心より先に、指先がシリルの肩を掴んだ。


 知らない建物。


 知らない人。


 知らない土地の匂い。


「リリア」


 シリルが小さく呼んだ。


「ローゼンベルク家じゃない」


 リリアは、自分が肩を掴んでいることに初めて気づいた。


「王室の塔でもない」


「ここは休むための場所だ」


 今度はセイランだった。


 リリアは、かすかに目を向ける。


「お前を休ませるために、ここへ連れてきた」


 戸が開き、中から数人の女が出てきた。


 皆、東国風の衣をまとっている。


 先頭に立つ年配の女は、この場所で治療を担う医女長らしかった。


 髪をきちんと結い上げ、袖口を紐で留めている。


 その後ろには、若い医女が二人控えていた。


 医女長が深く頭を下げる。


「お待ちしておりました」


 その視線が、アンを抱いている女へ向く。


「ファリダ様。アン様をこちらへ」


 案内役の女――ファリダは、アンを抱いたまま頷いた。


 リリアは、その名を胸の内で繰り返す。


 ファリダ。


 祀院の輪へ続く道を案内し、アンを抱いてここまで運んだ女。


 セイランが医女長へ告げる。


「子どもが二人。一人は消耗が激しい。右足も負傷している。もう一人は脱水と疲労、それに強い恐怖がある」


 続けて、ヴィクトルを見る。


「ローダンの騎士は、右肩から胸に裂傷」


 そして、シリルへ目を向けた。


「守り人も確認してもらえ」


「俺は怪我してない」


「それを決めるのは医女だ」


 シリルは不満そうに黙った。


 医女長が頷く。


「承知いたしました」


 まずアンへ近づこうとした。


 その瞬間、アンの肩が跳ねた。


「リリアと一緒がいい」


 震える声だった。


 リリアはシリルの背で、どうにか顔を上げる。


「アン様」


「離れたくない」


 また涙がこぼれた。


 医女長はすぐに膝を折り、アンと同じ高さまで目線を下げた。


「では、同じお部屋へ参りましょう」


「リリアも?」


「はい。お二人とも一緒です」


 それでもアンは、リリアから目を離さない。


 シリルが言った。


「置いていかない」


「……約束?」


「約束する」


 少し間を置いて、シリルは付け加えた。


「嘘だったら、俺がここを壊す」


 医女長がシリルを見る。


 セイランは何も言わなかった。


 アンは涙を拭い、小さく頷いた。


◆


 通されたのは、床へ厚い敷物を敷いた静かな部屋だった。


 壁には薄布が掛かり、窓には紙を張った戸がある。


 部屋の隅には小さな火鉢と、湯気の立つ器が置かれていた。


 寝台の代わりに、低い寝具が二つ並べられている。


 リリアは、それを見たまま動けなくなった。


 そこへ寝てよいのだろうか。


 汚れた服のまま。


 泥のついた身体で。


 血と汗の匂いまでまとっている。


 シリルが身体を下ろしかけると、リリアの腕が反射的に彼の肩へ回った。


「リリア?」


「汚れます」


「何が」


「そこが……」


 リリアは寝具を見る。


「泥がついてます。血も……」


 医女長は表情を変えなかった。


「汚れてよいものを用意しております」


 リリアは女を見る。


「汚れたものは洗えば済みます。今は、あなたが倒れないことが大切です」


 すぐには、その意味を受け止められなかった。


 汚すな。


 触るな。


 近づくな。


 そう言われることには慣れている。


 けれど、汚れてもよいと言われた時、どうすればよいのかは知らなかった。


 シリルは何も言わず、ゆっくりとリリアを寝具へ下ろした。


 柔らかな感触に、肩が跳ねる。


「痛んだか」


「いいえ」


「なら、力を抜け」


「……はい」


 アンも隣の寝具へ下ろされたが、すぐに身体を起こそうとしてふらつく。


「リリア」


「お嬢様」


 リリアが手を伸ばすと、アンも手を伸ばした。


 指先が触れた瞬間、アンはすぐにその手を握る。


「いた」


「はい」


「夢じゃない?」


「はい」


「リリア、怒ってない?」


「怒ってません」


「私、勝手に出ていったのに?」


「怒ってません」


 アンはしばらくリリアの顔を見つめ、握っている手へ少しだけ力を込めた。


「ねえ、リリア」


「はい、お嬢様」


 アンの眉が下がる。


「それ、やめて」


 リリアには意味が分からなかった。


「……何を、でしょうか」


「お嬢様って呼ぶの」


 指先が止まる。


「名前で呼んでほしい」


「ですが……」


「アンって」


 リリアは言葉を失った。


 そんな呼び方をしてよいと思ったことは、一度もなかった。


 アンはローゼンベルク侯爵家の令嬢で、自分はその家に仕える使用人だ。


 三年前の事件のあとには、近づくことさえ許されなかった相手でもある。


「私には、そのようにお呼びすることは……」


「どうして?」


「お嬢様は、お嬢様ですから」


「今は違うよ」


 アンは小さく言った。


「ここ、お屋敷じゃないでしょう?」


 リリアは答えられない。


「お父様も、お母様もいない」


 アンは手を離さなかった。


「お嬢様じゃなくて、名前で呼んでほしい」


 胸の奥が苦しくなる。


 心の中では、何度も呼んできた。


 アン様。


 待っていてください。


 アン様。


 私が行きます。


 けれど、本人の前でその名を口にすることは、それとはまるで違った。


「……アン」


 声になりかけて、止まる。


 胸が大きく打った。


 叱られるはずはない。


 それでも身体のどこかが、許されないことをしようとしていると告げている。


 リリアはもう一度、息を吸った。


「アン……様」


 ようやく言えた。


 アンの目が大きくなる。


 リリアの肩に力が入った。


 けれど、アンは泣き腫らした目のまま笑った。


「うん」


 握られた手が温かい。


「今は、それでいい」


「……アン様」


 もう一度。


 今度は、少しだけ自然に声が出た。


「なあに?」


 アンが返事をする。


 リリアの胸の奥で、小さなものがほどけた。


 主人へ呼びかけたのではない。


 自分が忘れてしまった時間を、今も覚えていてくれる一人の少女の名だった。


「アン様」


「うん」


「生きていてくださって……本当によかったです」


 アンの顔が、またくしゃりと歪んだ。


「リリアも」


 小さな声だった。


「リリアも、生きててよかった」


 リリアには、すぐ返事ができなかった。


 ただ、握られていた手を、今度は自分から握り返した。


 医女長は二人の様子を見守っていたが、何も口を挟まなかった。


 やがて、若い医女たちへ小さく指示を出す。


「湯を。傷を拭く布も。甘い茶は薄くしてください」


「はい」


 一人が動きかけ、戸口の外にいるヴィクトルへ気づいた。


 彼は壁へ左手をつき、さらに悪くなった顔色のまま立っている。


 それでも、部屋へ入る気はないようだった。


「騎士様もお手当てを」


 若い医女が言った。


 ヴィクトルは短く頭を下げる。


「リリアさんとアン様の安全を確認してから――」


「確認は終わりました」


 医女長の声が飛んだ。


「ここで倒れれば、運ぶ手間が増えます」


 ヴィクトルが黙る。


「……失礼しました」


 シリルが言う。


「行け、王の騎士」


「分かった」


「素直だな」


「反論する体力を節約している」


 ヴィクトルは別の医女に支えられ、隣室へ向かった。


 セイランは戸口から、その様子を見ていた。


 何も言わず、ただリリアとアンから目を離さなかった。


◆


 セイランが部屋へ入ろうとした時、シリルが前へ立った。


「ここから先は俺が見る」


「医師ではないだろう」


「守り人だ」


「知っている」


「なら、下がれ」


 若い医女たちの手が止まる。


 リリアは寝具の上から、ぼんやりと二人を見ていた。


 セイランはシリルより背が高く、年齢も立場も違うのだろう。


 それでも、シリルは退かなかった。


「今は、この子たちを休ませる」


 セイランが言った。


「そのためにここへ連れてきた」


「休ませる名目で何をする」


「何もしない」


「鎮静薬は」


「本人の同意なしには使わない」


 答えは早かった。


「黒百合を抑える薬は」


「使わない」


「記憶に影響する薬や処置も」


「させない」


「誓えるか」


 セイランが黙った。


 ほんの一瞬だった。


 それから、リリアを見る。


 アンの手を握ったまま、リリアはほとんど眠りかけている。


 けれど「薬」という言葉を聞いた途端、指に力が入っていた。


 セイランは、それを見ていた。


「誓う」


 低い声だった。


「黒百合を抑える薬も、記憶に触れる処置もさせない。鎮静が必要になった時も、まず本人へ説明する」


「傷や熱を治すための薬は」


「何を使うのかを話す。その上で、本人に聞く」


「嫌だと言ったら」


「命に関わる緊急時でない限り、無理には使わない」


「治療が終わったあとは」


 セイランは、シリルから目を逸らさなかった。


「どこへ行くのか。誰に会うのか。何を知りたいのか」


 一つずつ言う。


「本人の意思を聞かずには決めない」


 そこでようやく、シリルは黙った。


 セイランはリリアを見ながら続ける。


「この子は眠る。食べる。傷を癒す。必要なら泣く」


 リリアは、薄く目を開けた。


「それ以外のことを、今はさせない」


 それだけでよい時間が、この世にあるのだろうか。


「信用はしない」


 シリルが言った。


「それでいい」


「俺はここにいる」


「好きにしろ」


 セイランは部屋へ入らず、戸口から下がった。


◆


 医女長は、アンの手首に残った赤い跡を濡れた布で丁寧に拭いていた。


 アンは時折肩を揺らしたが、リリアの手を握っている間は泣かなかった。


「痛みますか」


「少し」


「では、強くは触りません」


「怒らない?」


 アンが尋ねた。


 医女長の手が止まる。


「怒りません」


「私、勝手に出ていったの」


「今は叱る時間ではありませんよ」


 アンの目に涙が浮かぶ。


「お父様は怒るわ」


 リリアは、その手を握り返した。


 ハインリヒの顔が浮かぶ。


 怒るかもしれない。


 けれど、今ここにはいない。


「今は休んでください、アン様」


 その名を口にすると、まだ胸が少しだけ跳ねた。


 アンはそれに気づいたのか、ほんの少し笑う。


「でも、リリアが」


「私も休みます」


「約束?」


「約束します」


 アンは一度目を閉じたが、すぐに開いた。


「寝たら、リリアいなくならない?」


「いなくなりません」


 しばらくして、アンはようやく目を閉じた。


 疲れきった十二歳の少女の顔だった。


 ローゼンベルク家の令嬢でも、人質でも、黒百合を呼ぶための餌でもない。


 ただ、怖い思いをしたアンという一人の少女だった。


 リリアは、その手を見つめた。


 医女長が、今度はリリアの右足へ目を向ける。


「固定を確認してもよろしいでしょうか」


 その言葉に、息が浅くなる。


 見せる。


 確認される。


 それだけで、身体のどこかが逃げようとした。


「右腕じゃない」


 シリルが横から言った。


「足だ」


 リリアは頷いた。


 医女長は近づかない。


 返事を待っている。


 自分の許可を。


 そのことにも戸惑った。


「……お願いします」


「ありがとうございます」


 医女長は静かに手を伸ばした。


「まず、足先を確認します」


 固定板を外す前に、足先へ触れる。


「冷たさは分かりますか」


「はい」


「指を動かせますか」


 リリアはゆっくりと足の指を動かした。


「動きます」


「痺れは」


「ありません」


「では、布を少し緩めます。痛む時は、すぐにおっしゃってください」


「はい」


「我慢しなくて結構です」


 返事に詰まる。


 どうすれば「我慢しない」ことになるのか、まだよく分からない。


 医女長が固定板の布を少し緩める。


 すぐに痛みが走った。


 リリアの指に力が入る。


「痛みますか」


「……少し」


 シリルが横から言う。


「少しじゃないだろ」


 リリアは自分の足を見る。


「……痛いです」


「分かりました」


 医女長はすぐに手を止めた。


「身体は冷やさぬようにして、腫れているところだけ冷たい布を当てましょう。腫れが落ち着いてから、改めて確認します」


 叱られない。


 ため息もつかれない。


 痛いと言ったら、本当に手が止まった。


 リリアには、それが不思議だった。


◆


 戸の向こうから声が聞こえた。


「自分でできます」


 ヴィクトルだった。


「できるかどうかではありません。右肩を上げないでください」


 若い医女の声が返る。


「ですが」


「上げないでください」


「……分かりました」


 シリルが小さく笑った。


「向こうでも怒られてる」


 リリアは目を開ける。


「ヴィクトルさんは」


「別室で手当てされてる。心配するな」


「でも、怪我が」


「お前が心配して治るなら苦労しない」


 いつもの言い方だった。


 リリアは細く息を吐く。


「シリルさんも、後で診てもらってください」


「俺は――」


 言いかけたところで、医女長がシリルを見る。


「確認します」


 シリルは口を閉じた。


「……分かった」


 リリアは、そのやり取りを聞きながら目を閉じた。


 部屋は温かい。


 アンの手が、自分の手の中にある。


 シリルは近くにいて、ヴィクトルも戸の向こうにいる。


 セイランは、廊下の先にいるのだろうか。


 分からないことが、まだたくさんある。


 祀院は、なぜローゼンベルク家にあれほど執着するのか。


 黒百合の巫女とは何なのか。


 母のことも。


 父のことも。


 自分の過去も。


 何もかも、まだ霧の向こうにある。


 けれど今は、アンの手が温かい。


 その温度を確かめていても、誰にも叱られない。


「リリア」


 寝言のような声だった。


「はい」


「いてね」


「います」


 ほとんど声にならなかった。


 それでも、アンの指から少し力が抜けた。


 安心したのだろう。


 リリアも目を閉じる。


 眠るのは怖い。


 目を開けた時、また地下の小部屋へ戻っていたら。


 石室だったら。


 祠の輪の中だったら。


 そんな恐怖が、まだ身体のどこかに残っている。


 けれど、隣にはアンの手がある。


 少し離れたところには、シリルの気配がある。


 戸の向こうでは、ヴィクトルが医女に言い聞かされていた。


 リリアはようやく、長く息を吐いた。


 眠ってもよいのかもしれない。


 ただ、疲れた身体を休ませるために。


 リリアの意識は、今度こそ静かに沈んでいった。


◆


 戸の外で、セイランは一人立っていた。


 部屋の中から、二つの寝息が聞こえる。


 どちらも細く、不安定だった。


 それでも、途切れず続いている。


 ファリダが静かに近づいた。


「セイラン様」


「祀院は」


「逃走しました。王室騎士団も葛花の外縁におります。まだ、この場所までは気づかれておりません」


「時間の問題だな」


「はい」


 ファリダは閉じた戸を見る。


「リリア様には、何と説明なさいますか」


「今は何も」


「ですが、いずれは」


「いずれでいい」


 セイランも戸を見る。


 その向こうで、自分が何者なのかさえ知らない少女が眠っている。


 あまりに多くを奪われ、それでも誰かを守ろうとしてきた少女が。


 セイランは戸へ手を伸ばしかけた。


 けれど、触れなかった。


「今は、眠ればいい」


 ファリダは深く頭を下げた。


 セイランは中へ入らない。


 声もかけない。


 ただ、戸の前から動かなかった。



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