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 どさくさに流されてこの場に同席することになったが、自分にはこんな風にのんびりしている余裕などない筈なのである。

 だから、出来る限り急いでここを発つべきなのだ。

 ただ問題なのは、どうやって目指す場所へ向かうかということだった。


(ええと、このインザナは王都から見たら西北西にあるから、もうちょっと東か……。ほんとは海を行くつもりだったんだけど)


 しかしロウェンの話によると、おそらく今は目的地に近付けば近付くほどあの不思議生物が海に密集しているらしい。


(最悪魔術を使えばどうとでもなるけど、そうしたら私の居場所があのひとたちに気づかれる危険があるからなあ……)


 だとしたら、後は陸地を行くしかないのだが。

 しかしそうすると、今度は自分の姿が人の目につく頻度が高くなってしまう。

 このウィステリアでは十六歳が成人ということなので、十八歳のキリが一人出歩くことについてはさほど違和感はないだろうとは思う。

 ただ、明らかに自分の外見はこの国周辺のそれとは異なるため、そういう意味で気に留められる可能性は考えられた。


 ……どうすれば、極力目立たずに目指す場所まで行けるだろう。


 考え込んでいたキリは、不意に何かの気配を感じて顔を上げた。


「?」


 前を向いたとたん、真っ直ぐにこちらを見ていた濃紫と琥珀の二対の眼差しがぶつかる。

 思わず瞬いたキリに、ロウェンはやや呆れたような光を目に浮かべ、ラースは面白がるような笑みを向けた。いや、それどころかラースは更に口元に手を当てて、くぐもった声をあげている。


「な、なに? どうかした?」


 不意打ちを食らったような心境で問いかけると、ロウェンは何とも言えない様子で溜め息を一つついた。


「別に。単に百面相ってのはこういうのを言うんだろうな、と思っただけだ」

「え!?」


 キリはとっさに頬に手をやった。自分は一体どんな顔をしていたのだろうか。

 うろたえるキリに、それまで鳩のような声で笑っていたラースの面持ちがふと変わった。


「ねえ、キリ」


 それまでとは違う落ち着いた声音の呼びかけに、キリは慌てて背筋を伸ばした。


「は、はい」

「何となくあの場の勢いで君をここに連れて来ちゃったわけだけど、もし良かったら君のことについて聞かせてくれないかな? 死にかけてたロウェンを君が拾ってここまで連れて来たってのは話の流れで分かったんだけど。ほんとは、君はどこかへ向かう途中だったんだよね?」

「え、ええ」


 思いがけない質問に、キリの心臓が跳ね上がった。


 彼にそんなことを訊かれるとは予想外だったので、どう答えるべきか少し戸惑う。

 なんせ、今の自分は追手持ちだ。いや、逃亡直前にやらかしたことを思えば、正真正銘のお尋ね者でもあるのだが。

 嘘はつきたくない。しかしそうかと言って素直に行く先を告げるわけにもいかずひそかに冷や汗を流していると、ロウェンが不機嫌そうに口を挟んだ。


「何だ、それ。気に入らないな」

「気に入らないって?」


 先の言葉を繰り返すラースに、ロウェンは更に不愉快な顔で続けた。


「おまえのその顔。気になることがあるなら素直に言えっての。こいつから何が聞きたいんだ?」


 低い声に、ラースは「うーん」と少し困った笑顔になった。


「別に他意はないんだよ。ただ、ここ最近海賊退治にかかりきりになってたロウェンは知らないだろうけど、つい先日国内に御触れが出たんだよね」

「はあ?」


 ラースの発言が想定外だったのか、ロウェンの声に困惑が滲んだ。


「詳細は不明なんだけど、該当する人物に心当たりがあるようだったら報告しろってね。十代半ばから後半くらいの年齢で、黒髪に黒い瞳の女性」

「そりゃ、ウィステリアの国民で黒い髪と瞳ってのは数が少ないが、でもそれでもそこそこいるだろ」

「うん、だから更に条件があるんだよ。どう見てもこの国出身ではないと思われる顔立ちっていうのがそれなんだ」

「……だったら、一応は絞られるな」


 その要件に該当する者がこの場にいる事実に思い至ったのか、ロウェンは微妙な面持ちになった。

 ……とはいえ、彼もラースも目の前にいるキリがまさしくその当人であると即座に結び付けることはないだろうが。

 キリの背中が、すっと冷たくなった。


「まあ、別に俺もわざわざ報告するつもりはないんだけどね。ただ、そんなことがあるから、この先の道中で彼女がちょっと困ったことになるんじゃないのかなーと心配になっただけで」

「なるほど、な」


 その懸念は無理もないと思ったのか、ロウェンも軽く頷いて同意を示した。


「そういうことだとしたら、こいつが面倒な目に遭う可能性はあるか。……でも、何だってそんな話が出回ってるんだろうな」

「……ロウェンってほんと中央について関心が薄いよね」


 呆れ返ったラースの声に、ロウェンはややむっとした表情になった。


「仕方ないだろ。元々俺の所は僻地だし、情報が来るのはどうしたって遅くなるんだから」

「それ以上に興味がないからって気もするけどね。……その様子だと、先日の王都での騒ぎも知らないんだろ」

「王都?」


 その響きに、キリの肩がわずかに揺れた。

 幸い二人が気づいた様子はなさそうだが、キリは内心の動揺を悟られないよう、懸命に表情を取り繕う。

 今は、この話の先を聞くことの方が重要だ。


「先週行われた、建国記念の祝典。今年はさんざん噂になってただろ。特別な年ってことで」

「ああ、例の『聖女』様が列席するって話だろ。これまでずっと公の場に出てこなかったのが、任務を終えたことでようやく姿を見せるって結構な騒ぎだったよな。そりゃ盛り上がるだろ」

「その筈だったんだけどね……。ところが、肝心のその聖女様は体調不良という名目で現れなかったんだよ。しかもそれだけじゃなくて、王太子までも欠席でね。一連の行事は第五王子が取り仕切るっていう異例のことになった」

「なんだ、それは」

「ようやく聖女様を拝見できるって、国民は期待してたからひどい肩透かしだよね。……下馬評ではその場で王太子と『聖女』との婚姻が発表されるんじゃないかってことも言われてたし」


 キリはさりげなくその場で目を伏せた。鏡を覗かなくても、現在自分の眉間に寄っている皺がどれだけ深いかが分かる。


「確かに大半の国民はそう思ってただろうけどな。……って、おいこら待て」

「ひゃっ !?」


 不意に伸びて来た後ろ手にがしりと襟をつかまれ、キリは引っくり返った声で叫んだ。

 音をたてず密かに移動を開始していたこちらの動きをどうやって察知したものか、会話に集中しきっていた筈のロウェンが涼しい顔でキリを捕獲していた。


「何すんの!」

「そりゃあ、いかにも不審な行動を取ってた奴がいたからだろ」

「だからって、猫の子みたいにするんじゃない!」


 襟首を引っ掴まれた状態に文句をつけるキリに、ロウェンは「まあそうだな」と手を放した。だが、それでキリが解放されたわけでもなかった。


「……ロウェン」

「何だ」

「何だじゃなくて。この手は?」


 キリは半眼で己の手――正確に言うと、その手首を捕らえているロウェンの手を見下ろした。


「こうでもしないと、おまえ今すぐここから飛び出してくつもりだろ」

「……………………………」


 沈黙したのは、返す言葉がなかったからだ。完全に行動を見透かされている。

 彼の長い指先で作られた枷は、振り払えない強さでありながら、けして痛みを与えることはないような絶妙な力加減でキリの手首を囲っていた。


「ロウェンー。女の子相手にあんまり強硬な手に出るのはどうかと思うよ?」


 二人のやりとりを見ていたラースが、やれやれといった様子でテーブルの上に頬杖をつく。


「手加減はしてるぞ。……それと、おまえも少しは人の話を聞け」


 台詞の前半をラースに、後半をキリに向けて言うと、ロウェンは握った手首を軽く揺らした。

 強い光を宿した濃紫色の瞳が、キリの双眸を覗き込む。

 そうして、彼が口を開こうとした、そのときだった。


「!」


 息を呑んだのは、男性二人のうちのどちらだったのか、それとも両方だったのだろうか。

 弾かれるように頭を上げたロウェンとラースが、同じ方向に目を遣っている。

 張り詰めたその空気に、キリは目を見開いた。


 ……嫌な、予感がする。


 体を固くするキリの前で、ラースが短く「ロウェン」と呼びかける。


「ああ」


 ロウェンが静かに頷き返す。


「左の突き当たり。開け方は分かるね?」

「ああ。任せていいか?」

「ま、貸し一つってことにしとくよ。あと、備品一式もそのまま持ってきな」

「助かる」

「ちょ、二人とも何を言ってるの!」


 ひとをそっちのけにしてやりとりを交わす二人にキリは声を荒げたが、彼らは完全にそれを無視した。

 それどころか、だ。


「行くぞ」


 ロウェンがぐい、とキリの手を引いた。

 強い力に引きずられ歩き出したキリは、それでもどうにか首を回して背後を振り返る。


「ラースさん!?」


 訳が分からず呼びかけるキリに、ラースは場違いにのんびりした笑顔を向けた。


「じゃあね、キリちゃん。気をつけて。あ、あとご飯すっごい美味しかったら、よかったらまた作りに来てくれた嬉しいなー」


 ひらひらと手を振られ、キリは返す言葉が見つからない。

 家の外で何かがどんっ、打ちつけられるような音がした。ざわつく人の声がする。そして、たくさんの忙しない足音。


「こっちだ」


 奥へと進んで行くロウェンの足取りに、一切の迷いはない。

 力強い手のひらに右手を取られ、キリは引かれるままに彼について歩き出した。


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