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このウィステリアは世界で唯一『聖女』の召喚を行える国であり、そのために貴女を呼び出したのだ――、そう聞かされたキリは目を点にした。
「いや、それ、人違いですから」
ぶんぶんと首を横に振りながらキリがそう返したのは、ほとんど脊髄反射と言っていい。
(『聖女』? 『召喚』? そんなのどこの漫画や乙女ゲームの世界だっ!)
自分はどこにでもいるごく普通の女子中学生で、到底そんな大役が務まるような器ではない。これは絶対に何かの間違いだ――、そう訴えたのだが、しかし現実は無情だった。
キリをこの場に呼び出したといういかにも怜悧そうな魔術師のキニスは、けんもほろろに次のように言い放ったのである。
だったら、それを証明してみろ、と。
静かな威圧に気圧されるキリに、キニスは顎である一角を示した。
振り返ると、その場所にはキリの腰の高さくらいの六つの白い台座がある。
石造りのいかにも高価そうなそれは、よく見るとうっすらとした淡い光を帯びていた。
「? 光る、石?」
「そうだ」
感情を伺わせない声音で頷くと、キニスは突然ぱんっと両の手を打ち合わせた。
鋭い響きに肩を跳ね上げたキリだったが、続いて目にした光景には思わず感嘆の声をあげていた。
「わあっ……!」
一体どこから来たのだろうか。たくさんの白い蝶たちが、ふわふわと宙を舞っていた。その翅は、キリが今まで見たことも無いような眩しいまでの白さだ。
見惚れているキリの視界の隅で、キニスがくいと指先を動かす。すると、空中に銀色の虫籠が現れた。数えてみると十七個ある。それが目の前の蝶々と同じ数だとキリが気づいた次の瞬間には、蝶たちは一匹ずつその銀の箱の中に納まっていた。
「え?」
目前で起こったことに目を瞬かせているキリに、キニスは一つの籠を手渡してきた。
「とりあえず、この籠をあるべき台へ載せてみろ」
「えっ」
「いいから早くしろ」
伝わってくる重圧に押され、キリはしぶしぶ台座へと近寄った。
(あるべき台にって……)
そんなことを言われても、何が何だかさっぱり分からない。
だが、改めて虫籠を覗き込んだとたんに、その疑問は氷解した。
遠目には気づかなかったが、よく見ると白い翅には繊細な紋様が浮き上がっていた。うっすらとした青い線は海を思わせるような流線で、それらが複雑に絡み合っている。
(これは、同じ色のところってことでいいのかな?)
戸惑いつつもキリが淡い青色に包まれた台座の上に箱を置くと、即座に次が押しつけられた。翅に見える線の色は、赤だ。
一目見て、キリはさっきの台から見て左斜め前にあった台座にそれを運んだ。
促されるままに、キリは他にも緑や黄、黒に白銀などの紋様を持つ蝶を分類していく。
そして、キリが最後の一つを載せ終えると、背後で新たな声があがった。
「――どうだ?」
弦楽器の低音を思わせるような響きは、最初に自分に名前を問いかけてきた男性のものだった。
短く訊かれ、キニスは何かを確かめるように台の上を見渡した。順繰りに、言葉を口にする。
「風が二つ、火が二つ、水が三つ、土が二つ、光が五つ、闇が三つ」
彼はそれから青灰色の瞳でキリを一瞥した。
「一応、『視分け』は間違いありません。『精霊眼』を持っていることは確かです。更に細かな能力については……、後は実践で図るのが妥当でしょう」
(………え?)
淡々とした説明に、キリは遅まきながら自分がやらかしてしまったことに気がついた。
彼らの意図するところはよく分からない。だがおそらくこの場において、キリが取るべきだった正解とは、何も出来ない振りをすること、ではなかったのだろうか。
(うわあああっ、私の馬鹿!)
つい従ってしまったが、何も素直に彼らに言われたとおりにする必要はなかったのである。
今更ながらその事実に思い至り頭を抱えたが、とはいえしでかしてしまったことはすでにどうしようもない。
自ら退路を絶ってしまったような、嫌な予感がひしひしとした。
そうして、全くもってありがたくないことにキリのその予想は的中したのだ。
後に説明されたところによると、あの白い蝶は魔力の塊を形にしたもので、翅の紋様は込められた魔力の属性を示していたらしい。
魔術を使える者でなければ刻印の色を視ることができないゆえに、魔術師の適性の有無――『精霊眼』というらしい――を確かめるために行われている試験の一つだと知らされ、キリは落ち込んだ。
それでも、一応キリもこのまま話が進んではやばいという直感はあったので、何とか誤魔化そうとはしたのだ。
だが、続いて見せられた一冊の本にそんな思惑は玉砕させられることとなった。
その一冊の本とはすなわち、いわゆるところの魔術書である。
無造作に渡された本の表紙をキリがめくると、中には淡い光を放つ文字が並んでいた。
そこにあったのは、当然母国語である日本語ではない。勿論英語でも中国語でもフランス語でもアラビア語でもロシア語でもなく、キリが今まで目にしたこともない言語である。
なのに、だ。
生まれて初めて読む字だというのに、何故かキリにはその文字の並びがどんな発音でどういった意味を表しているのかが分かったのだ。
(えっ、嘘。分かる? 何で?)
そんなことを気にしているような場合ではなかっただろうと、今にしてみればそう思う。
しかし、そのときにはそんなことには思い至らなかったのだ。『魔術書』を読むような機会など一生に一度でもあるものではないと、好奇心の赴くままについつい読み進めてしまった。
――そして、それが敗因だった、のだろう。
その直後にキリは、魔術を記した魔法文字を読み解けるのはあくまでその術を使用できる者限定、という事実を聞かされたのである。
ある意味自業自得と言えなくもないが、こうした経緯でキリの「単なる一般市民です」という主張はすっぱり黙殺されることとなった。
それからあれこれとやりとりした結果、キリは今自分が帰れないという事実を呑みこまざるを得なくなった。
魔術書には自分を帰還させる魔術はあるそうなのだが、その術を発動させるためには現在溢れている『瘴気』が妨げになるのだという。
つまるところ、キリが元の自分の世界に帰りたいのであれば、『瘴気』をどうにかしない限り不可能だというのだ。
そこまで言われてしまっては、キリに選択肢などあるわけがない。




