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 しかし、それからほんの十数分後のこと。

 幸い人目につくことなく、無事塔へと入り込んだキリは、げんなりと言った。


「前言撤回」

「はあ?」


 唐突にそう口にしたキリに、前を歩いていたロウェンが怪訝そうな顔で振り返った。

 キリはそれについて詳しい説明をすることなく、短く続ける。


「後悔するのは私の方だったってこと」


 と言っても、『精霊眼』を持たない彼に自分の意味するところは分からないだろうが。


(でも、こんなの説明なんてしたくないしなあ)


 心の中でそんなぼやきを零しながら、キリは光の消えた虚ろな瞳を空中へと彷徨わせた。

 念のために耳を澄ませてみたが、やはり周囲はしん、と静まり返っていた。辛うじて聞こえてくるのは微妙に高さの異なる自分たちの靴音くらいだ。

 塔の内部に火の気がないので、光源は明かり取りから差し込む月光だけ。

 それでも、闇に慣れた目では充分に屋内の様子を見て取ることはできるのだが――。


(むしろ、見えない方が良かった、ほんと良かった!)


 表情こそ取り繕いつつも、キリは内心でそんな叫び声をあげた。

 こんな光景を目の当たりにしなければならないというのなら、『精霊眼』などない方がどれだけ良かったか。

 自分が引っ張り込まれたこの異世界は、どちらかというとファンタジー寄りの世界なのではないかとこれまで思って来たのだが、どうやらその認識は改めなければならないようだ。


(明らかに、これホラーだし!)


 なのに、それが『視える』のはここにいる自分一人だけだときているのだから、正直泣きたい。


「……キリ?」


 不可解そうな眼差しをロウェンがこちらへと向けて来ているのは感じたが、かと言って目の前に映るこれらについて一体どう話したものか。

 ロウェンは眉間に深い皺を寄せているキリの顔を見つめ、静まり返った通路の奥を見遣り、最後に己の腰に下げた剣を見下ろした。

 それからおもむろに片腕の袖をまくり上げ、ぼそっと言う。


「なあ、キリ」

「……何?」

「いやな、なんでか知らないけどな、俺の腕、鳥肌が凄いんだが」

「………………………そう」


 言葉少なに頷き返す。それは、無理もないだろう。というか、自分だってそうだ。


「そう、じゃねえって。それだけじゃなく、俺の剣もやたらと反応してる。今ここで何が起きてるか説明しろ」

「剣?」


 想定外の単語にキリが瞬くと、ロウェンは手のひらで剣の柄を軽く叩いた。


「ああ、魔光石の結晶でできた剣だからな。俺自身が感じ取ることはできないが、魔術的な異変があったらこれが反応するから分かる」


 その言葉にキリは呆れ返った表情になった。


「何なの、そのマジックアイテムは。そんなの持ってたなら、さっさと……」


 言いかけたキリは、不意に口を噤んだ。

 そう言えばロウェンと出会ったときに、気になっていたのだ。

 よくよく考えれば、彼が捕縛しようとしていた海賊たちの中に魔術師がいた可能性は高い。だが、ロウェンはそんなのを相手にして、曲がりなりにも死にかけた程度で済んでいる。

 当初は余程の強運の持ち主なのかと思っていたのだが――、先日の鉱山の爆発についても合わせれば話は別だ。


「ロウェン、その剣って、どういう代物なの?」

 目を眇めるキリに、ロウェンは「どうって、言われてもな……」と肩を竦めた。


「まあ、うちに代々伝わる家宝というか。事実かどうか知らないが、初代当主が造ったものだと言い伝えられてるな。魔術を使えない伴侶のために、作り出したものらしい。といってもうちの領地で魔術が使われることはほとんどないんで、宝の持ち腐れだったんだが」


 最近ではかなり有効活用してるけどな、と呑気に続けるロウェンに、キリは思わず顔を覆った。


「おい、どうした?」

「……何でもない」

「何でもないっていう顔じゃないけどな」

「……いや、別に。――あえて言うと、ロウェンのご先祖様って、色々凄いなって思っただけで」

「色々って、おまえな。……そりゃあ、確かに、否定はできんが」

「そうよ」


 本当に件の人物はキリにとって、呆れるべきか感心するべきか、若しくは感謝するか、あるいは恨むべきなのかわけがわからないひとである。

 とはいえ、だ。


(そんな強力な保険があるなら、一応大丈夫か)


 キリは軽く首を振り、気を取り直して顔を上げた。

 それからおもむろに指を伸ばし、それを示しながら口を開いた。


「あそことあそこ、それからあの奥、それにあの柱の横」


 指先の動きを、目で追っていたロウェンが首を傾げて問いかけてきた。


「俺には見えないが、何かあるのか?」


 そう言いながら、腰から外した剣を鞘ごとかざしているロウェンにキリは短く答えを返した。


「幽霊……というか、幽霊みたいに見える残留思念、かな」


 ここら一帯がそれらで溢れかえっている、とキリが伝えると、ロウェンの顔が明らかに引き攣った。

 うすら寒いような表情を浮かべているその気持ちはよく分かるが、でも実際に目の当たりにしている自分よりはずっとマシの筈だ。

 と言っても、キリが見たところ、それらが害を与えようとする気配はないようだったが。

 それなら先に進むだけだと、すたすたと歩き出したキリの腕を、青い顔のロウェンが掴んで来た。


「ちょ……っ! どういうことだ」


 珍しく狼狽えているその顔を少しだけ面白く思いながら、キリは首を竦めた。


「多分だけど、キニスが魔法陣に何かをしたのよ。ただ、この結果は想定外だったんじゃないかな」

「もうちょっと詳しく話せ」


 キリはどう説明したものかと一瞬だけ考え込んだが、今更取り繕っても仕方のないことだと思い直した。


「私……というか、代々『聖女』の召喚を執り行っていた魔法陣がこの最奥にあるのはロウェンも知ってるでしょ。簡単に言うとそれがおかしくなっていて……。少なくとも、あるべき形じゃなくなってる」

「そうしたら、どうなるんだ?」


 うーん、とキリは首を傾けた。


「……何だ?」


 濃紫色の双眸を見上げながら、キリは「本当に聞きたい?」と問いかけた。

 世の中には知らない方がいいこともある。これは、間違いなくそちらに分類される話だろう。

 そう念を押すキリに、ロウェンは嫌そうな表情になった。


「知らないで決断するより、知って決断する方が遥かにマシだ」

「潔いわね」


 即断即決は事実助かるが。


「人のことを言えた立場か?」

「それは否定しないけど」


 思わず溜め息まじりの声になった。キリがこちらの世界に来て以降、毎日が怒涛の展開であり、悠長に考えて決断しているような余裕などなかったため必然的にこうなっただけなのだが。


「端的に話すと、魔法陣は単に魔術を発動させるためだけのものじゃないの。……アルティリエより後の次代の『聖女』たちは、己の故郷に帰れなかった。この話は、ベイネルでもしたけど」

「ああ」


 足早に歩くキリの隣で、ロウェンが頷きを返した。


「つまり、彼女たちはこの世界で亡くなっている。――だったら、彼女たちの墓標はどうなったのかしらね」


 キリの言葉に、濃紫色の瞳が大きく見開かれる。


「それ、は」

「分かり切ったことだけれど、『聖女』は『瘴気』を浄化する力を持っているわ。そして、その力は魔術だけに限らず、身体そのものにも大量に存在している。言いたくはないけど……故郷に帰れないと知った上で『聖女』たちの召喚を続けて来た人間たちが、その利用価値を知った上で死後彼女たちを静かに葬ってくれたと思う?」


 キリがそれに思い至ったのは、ベイネルを訪れてからのことだった。

 どこまでも澄み切った気配を漂わせていたあの遺跡と、この塔の中にたちこめている空気はあまりにも違い過ぎる。

 重く絡み付き、どこまでも沈んで行くようなこの思念。これらはおそらく、歴代のキリの先達たちのものだろう。


「じゃあ、彼女たちは……」

「魔法陣を強化するために、その遺骸を捧げられた。若しくは、取り込まれたってことでしょうね。キニスが魔法陣に働きかけたことで、その思念が溢れ出てるのよ。魂そのものじゃないけれど、生前の姿を取っているから、たくさんの女性たちの幻影がここを彷徨ってる」

「……………………」


 ロウェンは固い表情で、あたりを見回した。だが、その目は彼女たちに気付くことなく素通りしていく。

 そんな彼が、キリは心底羨ましかった。こんな眺め、『視え』ないにこしたことはない。


「……それにしてもキニス・ミュラーは、一体何をしたくてこんな真似をしたんだ?」


 肌寒さを感じたのか、己の腕をさすっているロウェンに、キリは渋い顔で答えた。


「断言できないけど……、おそらく、召喚の魔法陣そのものを手に入れようとしたんだと思う。直接魔術を使うためにってわけじゃなくて、今後自分の立場を有利にするための材料の一つにしようとしたんじゃないかな」


 すでにキリが一通りの『浄化』を終了した以上、後数十年は召喚の魔術を行う必要はないにしても、未来で再び同じ術式を執り行うことはこの国における既定路線の筈だ。

 だとしたら、この魔法陣が喪われるかもしれないというリスクは、それだけで充分取引の材料と成り得る。


(キニスなら、フォルカー相手にそれぐらいの取引を持ち掛けてもおかしくないもんなあ)


 だが、そこまでしなければならない程に、彼は追い詰められていたのだろうか。

 そう考えかけていたキリは、小さく息をつき、緩く首を振った。

 現時点で何も確定していない以上、ここであれこれ悩んでも無意味だ。


「まあ、見た目はともかく、それ以外は無害みたいだから……。とにかく、急ぐわよ」


 色々と思うところはあれども、何はさておき今は目的地に向かうべきだと、キリは足を速めることにした。

 幾度も角を曲がり、暗い通路の奥に向かう途次のあちらこちらで、倒れ伏している人影を見かけた。

 服装から、彼らが侵入してきた私兵だということはすぐに見て取れたので、放置して先へと急ぐ。

 倒れた原因は間違いなく魔法陣から溢れ出た『瘴気』にあてられてのことだろうから、今すぐ対処しなければならないほどの緊急性はないだろう。


(というより、この場合最大の問題なのは……)


 速度を緩めることなく進みつつも、キリは思わず口をへの字にしていた。

 大概、こういうときの嫌な予感と言うのは当たるものなのだ。


(あー、やだ。もー、やだ)


 といいつつも、そもそも自分に選択の余地などはないわけで。

 心の中でそんな愚痴をこぼしているキリの目に、目指す部屋の扉が見えて来た。

 くっと唇を引き結んだキリは、とうとうその取っ手を掴み、戸を押し開いた。



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