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扉が開かれるのと同時に飛び込んで来た、どんっとした轟音に、キリは息を呑んでいた。
腹に響く重い音と、切れ切れに耳へと届く怒鳴り声。これは、明らかに尋常な事態ではない。
同じことを、フォルカーも思ったらしい。
「一体、何が起きている」
冷たく冴えた瑠璃色の双眸が、血相を変えて駆け込んで来た兵士に向けられる。
キリ――より正確に言えば、それに加えてロウェンとエドガーも――は、息を詰めながらその様子を見守っていた。
奇妙に静まり返った室内に、感情を窺わせないフォルカーの声が響く。
「それは、どういうことだ」
いっそ淡々としたその声音に、キリは粟立った腕をさすった。これは怒鳴られるよりも遥かに怖い。
それは兵も同じだったのか、キリと同年代くらいかと思われる若い青年は平伏したまま声を上ずらせた。
「ジークフリート王子の失踪はフォルカー様の画策によるものだと、マクファーレン侯が王宮に私兵を向かわせたそうです。王太子を陰謀で陥れるような王子は相応しくないと仰って、自らの甥であるヴィクトル様を玉座につけるようにと主張されております」
先刻耳にしたばかりの名に、キリは脳内に埋もれていた記憶を引っ張り出した。
一通りの王族と政治中枢にいる貴族の名前、そして血縁関係については、最低限度の教養ということでシュゼットに教え込まれてはいる。と言っても、それが必要になったことなどなかったので、ほとんど忘れかけていたのだが。
(ええと、ヴィクトルって、十一王子だったっけ? さっきの話じゃないけど王族は大半が早死にしてるから、王位継承権はフォルカーに継ぐ第三位だった筈で……)
そう言えば、彼の母親はウィステリアでも有数の貴族であるマクファーレン侯爵家の出だったか。
キリは国内における様々な力関係と、フォルカーとヴィクトルそれぞれを支援する貴族たちの布陣を思い浮かべ、小さく頷いた。
何がどうして今の事態になったのか、おおよその推測がついた。
おそらくだが、マクファーレン侯は王になるのがジークフリートだったら大人しくしているつもりだったのだろう。確かにあの馬鹿なら、適当におだてて手の上で転がしておけばさして問題はなかった筈だ。
しかし、フォルカー相手にそんな手が通じるわけもない。
母親は異なれど、どちらも名門貴族出身の母から生まれた兄王子と弟王子と比較すると、王宮内におけるフォルカーの立場は実はかなり弱い。
聞くところによると、彼の母親はあまり裕福でない男爵家の令嬢であったそうなので、実家による支援などないようなものだ。
それでも現在のフォルカーが確固たる地位を築いているのは、ひとえに彼自身の実力と成果と人望によるものである。
(そんな清廉潔白で知られる王子様相手に、賄賂や胡麻擂り、お為ごかしなんて通用しないもんなあ)
件の侯爵の悪評は、これまで一切政治に関わることのなかったキリですらも耳にしているのだ。
彼が評判通りの人間ならば、確かにフォルカーが王となったら最後かもしれない。
に、してもだ。
それはそれとして、どうして侯爵はこの時機に挙兵したというのだろう?
キリが内心でそう首を傾げていると、更に新たな訪問者が現れた。
余程急いでいたのか、息を切らして部屋に入って来たのは、キリよりも年下と思しき少年だった。
フォルカーのプラチナブロンドよりももっと金色に近い明るい髪色に、澄んだ水色の瞳。今はまだ少年らしいあどけなさが色濃いが、成長したらきっと目の覚めるような美青年になることだろう。
色合いは違えども、フォルカーとよく似たその面差しを一目見れば、彼が『誰』であるかすぐに分かった。
「兄様……っ!」
フォルカーの姿を真っ先に目に留めたヴィクトルは、心底安堵したように呟いた。
「良かった、ご無事で……」
愛らしさの残る顔立ちをくしゃりと泣きそうに歪めて、ほっと息を吐いている。
しかし、フォルカーはそんな異母弟に厳めしく言った。
「ヴィーク、見たところおまえ一人のようだが、どういうことだ。護衛はどうした」
愛称で呼び掛けたフォルカーを、弟王子は焦りの滲んだ表情で見返した。
「うまく紛れていましたが、よく見ると近衛兵の中に、王宮では目にしたことのない顔がありました。伯父の館で見かけたことがあります。あの様子だと、かなりの数が密かに伯父の私兵と入れ替わっているようです。……このままでは保護と言う名目で伯父に囲い込まれるだろうと思ったので、隠し通路を使って一人で来ました」
成程、身分に相応しい上等な衣服が妙に薄汚れているのはそういうことかと、キリは納得した。
隠し通路はキリも通ったことがあるが、ろくに掃除がされていないので土と埃で大変なのだ。
というか、掃除の行き届いている隠し通路という物自体おかしいが。
そうしてよく見ると、綺麗な金髪には蜘蛛の巣らしきものが張り付いているようだ。
だが、そんなことに気付く様子もなく、ヴィクトルは懸命にフォルカーに説明している。
弟の話に、兄であるフォルカーは動じることなく顎に手を当てた。
「やはり、内乱を起こす気か。つくづく分かりやすいな、あの侯爵は」
その声音は冷静ではあったが、苦かった。
「馬鹿兄貴はともかく、おまえが王になったら身の破滅だからな。だったら、甥に王冠をかぶせて密かに牛耳ろうと思ったんだろ」
フォルカーに同意するエドガーも呆れ顔である。
しかしそんな彼らに、ロウェンが不可解そうに疑問点を投げかけた。
「にしても、奴らはどこから入りこんだんだ? 外部の人間がこんなに早く王宮の最深部に入り込めるなんておかしいだろうが。こいつがそんなぬるい警備をさせてるわけもないし」
こいつ、と顎で示されたフォルカーも眉間を寄せて考え込む。
そのやり取りに、躊躇いがちにヴィクトルが口を開いた。
「あ、それは、定かではないのですが。おそらく侵入口は宝物庫の一角です。半月前に火事があったでしょう、その際に結界の一部が破られていたそうで……」
その台詞に、フォルカーとエドガー、そしてロウェンの三人が示し合わせたかのように口を噤んだ。
「……………………………………………………………………………」
奇妙に長い沈黙が、その場に落ちた。
何故だろう、とっさにこちらへと向けられた濃紫と瑠璃と灰色の三対の視線がやたらと痛い気がする。
たらたらと背中を流れる冷や汗を感じながら、キリは空中に目を泳がせた。
(それって、私が時間稼ぎにやったあれか!)
捜索の媒介に使われることのないよう、キリはそれまで滞在していた部屋を盛大に燃やしてから王城を脱走していた。
その際、ついでにというか陽動を兼ねて、宝物庫に眠る魔術具の幾つかを発動させてから飛び出して来たのだ。
封印を解かれた術具の暴走が想定以上に派手だったので、あれは沈静するのにかなり時間がかかるだろうと安心して逃げた訳なのだが……。
(これは……。おそらく、原因は、私、なんだよなあ……)
失敗した、と一瞬だけ思ったが今更だ。
元々、キリが逃亡した直截の元凶はあの馬鹿殿下だし、更に遡ればそれを防ごうとしなかったキニスとレジオンとシュゼットにも原因はある。もっと言うと、そもそもキリをこの世界に召喚しなかったら、こんな事態にはなっていなかった筈なのだ。
そして、キリをここへと呼び出したひとたちが、真っ当にその責任を果たしているとは到底言えないわけで。
(だから別に、このまま放っぽっといてもいいんだけど)
これまでの自分への扱いを思えば、それは決して不当な対応ではない。
そんなことをキリがつらつらと考えていると、一際大きな爆音が響いた。
「これは!?」
「どうした!?」
「何が起きたんだ!?」
口々に言い合う男性陣を横目に、キリは両手で耳を押さえた。
基本的に非戦闘職である自分には、こんな鼓膜まで揺らすような轟音には縁がないのだ。
どくどくと鳴る心臓の音を意識しながら、扉の外を窺ったキリは、目にした光景に息を止めた。
このヨーリック城は、大陸内でもその名が知られるほどに美しい王城だ。
だが今、その城の一角が赤く染め上げられている。
「――――――っ!」
キリの背後から、息を呑む音があがった。それが誰のものかは見ていないキリには分からなかったが、そんなことはどうでもいい話だ。
そう、ここで問題なのは。
「やばいわね、あそこにあるのが何なのか、侵入した兵たちは分かってるの?」
後ろを振り返り、キリは真顔で問いかけた。
その眼差しが真剣そのものだったからか、ヴィクトルの肩がびくりと跳ねたが、キリは無視して先を続けた。
「聞かせてちょうだい。隣にある宝物庫については、別にどうでもいいの。でもあの場所は特別なのよ」
そう訊ねるキリの心臓は、うるさいくらいに暴れていた。
本当に、どうして彼らはあの塔へと足を踏み入れたのか。
宝物庫については仕方がない。何せ、現在侵入しているのは「あの」マクファーレン侯の抱える私兵なのだ。雇い主を思えば、彼らに素行の良さなど望むべくもないのだから、火事場泥棒を狙ってもおかしくない。
だが、その隣の塔に被害が及ぶとなれば、話は別だ。
「いえ、あの塔のことを知る者は王族と一部の関係者のみです。確かに伯父は力のある貴族ですが……。部外者にそんな極秘情報が漏れるような真似は致しません」
ぶんぶんと首を振るヴィクトルに、偽りの色は見られなかった。
「でも、知ってて入っても面倒な話だが、知らなくて入っても同じことだよな」
キリの危機感を理解しているのか、そう言うエドガーも非常に渋い顔になっている。その彼の横にいるフォルカーも、立て続けに起きる厄介事に珍しく険しい表情だ。
「知らないとはいえ、よくもあんな危険物に手を出したもんだよな」
そしてロウェンも、うんざりとした口調である。彼は現時点では関係者ではないのだが、生家の立ち位置を考えれば知識があって当然だろう。
「それはそうだけど。でも、こんな時にキニスは何してるわけ? 曲がりなりにも当代一の魔術師様でしょうが」
至極普通の疑問をキリが口にすると、フォルカーの頬がわずかに強張った。
面によぎったそれは、強いて言えば逡巡、だろうか。
「……え、もしかして」
顔を引き攣らせたキリに、エドガーも血相を変えた。
「おい、まさか」
「まさか、だけど……」
低くなったエドガーの言葉に、キリのそれが被さる。
一瞬顔を見合わせたキリとエドガーは、次いで同時にフォルカーを見た。
「確証はないが、その可能性はあるな。ここまで迅速に兵を侵入させるには、内部に手引きする者がいないと無理だ。必要な人間以外には警備の詳細は伏せていたが、彼らならある程度知ることができただろう」
キリはこめかみに指先を当てて、呻くように言った。
「彼じゃなくて、彼ら、なのね……。確かに私が穴を開けたとはいえ、あの結界ならすぐに自己修復しただろうし。それでも破れるとしたらキニスくらいか。そんで、レジオンなら兵士の配置状況は推測できるだろうしね」
旅の間はフォルカーの指揮に従ってはいたが、基本的にあの二人はジークフリートの陣営に属していた身である。ただ、あくまでそれは損得を踏まえた上での話だっただろうから、元王太子の即位が遠のいた今、彼らは身の振り方を変えたのだろう。
(フォルカーが玉座についたら、間違いなく既得権益が脅かされると思ったんだろうけど)
まあ、それでなくともジークフリートがキニスとレジオンに約束していた、魔術師への優遇と次代宰相の地位は間違いなく反故となっただろうが。
それにしても、とキリは密かに嘆息した。
自分も決してひとのことを言えた身ではないが、それでも、皆が皆ここまで自分の都合しか考えていないとなると頭が痛くなってくる。
自身には関わりのない話なのだから、この国がどうなろうともう知るか、どうとでもなれ、と思わなくもないのだが――。
額を押さえていたキリの耳に、抑揚のないエドガーの声が聞こえて来た。
「それで、おまえはどうするんだ」
「王宮に駐在している騎士団の所に行く。侯爵もさすがにあの精鋭相手に直に兵をぶつける気はない筈だ。おまえが不在でも、副団長なら間違いのない采配をとっているだろう。抜け道を進めば、私兵に出くわすこともない」
フォルカーはすぐにそう返したが、そこでキリが口を挟んだ。
「そうして無事に騎士団に合流できたとしても、キニスが出てきたらどうするのよ。あれでも筆頭魔術師なんだけど、策はあるわけ?」
成程、隠し通路を全て把握しているフォルカーであれば、目的の場所まで辿り着くことは難なくできるに違いない。だが、問題はその後なのだ。
腕の立つエドガーと見た目に反して魔術と武術に優れたフォルカーだが、それでも本気でキニスと相対してどこまでやれるというのか。
正直、かなり分が悪い。
(……でも、なあ)
キリはつい肩を落とした。
これ以上、彼らに関わり合いになりたくないというのがキリの本音だ。だが、現在キニスの居るであろう場所は、あそこ以外に考えられない。
全くもって、非常に気は進まないのだが――、しかしそうしなければ困ることになるのは自分で。
本当に仕方なく、キリは重い口を開いた。




