22
我ながら随分性格が悪くなったものだと、シュゼットから聞いた道順をなぞりながらキリは独り言ちた。
必死に隠してはいたが、シュゼットがフォルカーを慕っていたことはずっと知っていた。
そしてだからこそ、自分が元王太子の妃になることを彼女が誰より望んでいたということも気づいたのだ。
元々『聖女』は故郷に帰れないことを前提で召喚されるものだ。そうである以上、当然『浄化』後もこの世界に滞在し続けることになる。
なかったことにするには利用価値が大き過ぎ、しかし野放しにするには危険があり過ぎる存在の扱いなど、限られてくる。
(歴史上の記載によると、『聖女』は大概『浄化』の旅に同行した王族とか有力な大貴族とかと結婚して終わり、なのよね)
ちなみに、フォルカーが旅に同行することとなったのは、元王太子に押し付けられたからというのも大きい。
キニスとレジオンも、主にそれを気にして自分やフォルカーを監視していた節があった。つくづく鬱陶しいと一体何度思ったことか。
(かと言ってシュゼットを責めるんじゃなくて、利用しようとしているんだから、私もどっこいどっこいだけど)
シュゼットのことは、まあ、召喚当時であったならどうしようもないほど落ち込んでいただろうが、三年経ってキリもそれなりに擦れている。
馬鹿殿下とキニスとフォルカーが口を噤んでいるのだから、せっかくだから使わない手はないだろうと、彼女が来るのを待っていたのだ。
(自分のしたことをフォルカーに暴露されるか、黙ってる代わりに協力するかどちらか選べ、って結構穏当だと思うんだけどねー)
シュゼットにしてみれば脅しでしかなかったかもしれないが、そのあたりはスル―だ。
人気のない広い廊下の中途で、キリは足を止めた。
足下にある緑色の菱形を確認し、周囲とは一見何も変わらない白い石壁を見つめ、きょろきょろとあたりを見回す。
キリは一度頷き、シュゼットに教えられた通りの符丁で壁を鳴らした。
コンコンコン、コン、……コン、ココンッ……。
その響きに呼応するように、何もなかった白壁にうっすらと扉の輪郭が浮かび上がる。
キリは先程のものとはまた別の拍子で扉の中央を叩いた。
それから、ふわりと半透明な扉の取っ手が現れる。
その冷たい感触をキリが握ると、何の抵抗も無くカチャリと回る感覚がした。
一瞬だけ何を言おうか考えたが、出て来たのはひどくありきたりな言葉だ。
「失礼します」
そうしてキリは、ゆっくりと扉を押し開いた。
「これは……」
目の前に広がる光景に、キリはつい言葉を途切れさせていた。
あの馬鹿殿下は論外にせよ、フォルカーならば一応大丈夫だろうと、確かにその程度には信用していたのだが……。
しかし、だ。
「……何か、私よりもいい身分ね」
室内に足を踏み入れたキリは、実に座り心地の良さそうな長椅子の上で足を伸ばし、分厚い本を手にしていたロウェンを半眼で眺めた。
その冷たい視線を見返し、ロウェンが軽く肩を竦める。
「そうでもないぞ、一応事情があってのこの待遇だからな」
言いながら床上に足先を下ろすロウェンの動作に、キリはわずかに眉を顰めた。声のトーンがやや低くなる。
「処置はネイがしたって聞いていたから任せておいたんだけど、見込み違いだった?」
だが、想定とは違いロウェンは苦笑いで訂正した。
「言ってやるな、これは別に神官殿のせいじゃない。俺、というかうちの体質の問題だな」
「? どういうこと?」
「この前言っただろ、タジェスでは魔術師は非常に出にくいんだ。だが、その代わりなのか何なのか、あの土地出身の人間は魔術に関する耐性がやたらと強い。つまり、治癒もまたしかりだ」
治癒も含め魔術全般が掛かり難いのだと言われ、キリは眉間の皺を深くした。
「確かに、最初にロウェンを治した時に、術の効き方が悪いとは思ったけど……。ネイでも?」
治癒師としては一級の腕を持つ彼が治療してもこうなのか。
苦り切った顔でキリはロウェンへと歩み寄り、軽く手をかざした。手のひらから、淡い光が放たれる。
それから少し経つと、大人しくしていたロウェンの表情が僅かに緩められた。
強張っていた肩のラインが和らいだのを確認し、キリは静かに尋ねる。
「で、今の体調はどんな感じなの」
「火傷そのものは全部綺麗に治してもらったんだけどな、正直やたらと体がだるい。おまえのときはここまでじゃなかったんだが」
「私が治癒が得意で良かったわね。……もっと早く来るべきだったのに、遅れてごめんなさい」
それには素直に頭を下げた。何せこの負傷は、自分が引き起こした火事が原因だ。しかも庇ってもらった結果である。
色々と事情があってのこの訪問だったのだが、それでもここまで待たせてしまったのはさすがに申し訳ない。
「でも、それとこれとは話が別なんだけどね」
ふっと低くなったキリの声音に、ロウェンが来たか、と言いたげな表情になった。
「それとこれの詳細を聞いていいか?」
白光が消失した己の左手を下げ、キリは間近にあった濃紫色の瞳を見下ろした。
常に見上げていた相手の顔をこういった角度から見るのにはやや違和感があるが、今はそんなのは些細なことだ。
「……ロウェン、あなたは『誰』?」
真っ向から見据えたキリに、ロウェンはどう答えるか困ったようだった。
「それは、随分と哲学的な問いだな」
「茶化さないで」
鋭い口調でキリは返すが、ロウェンの双眸に揺らぎはない。
「『誰』と言われてもなあ……。けど、俺がおまえに言ったことに嘘はないな。タジェスの領主だってことも、レーヴァ家の者だってことも全部事実だ。おまえは、他に何が知りたいんだ?」
「あなたとフォルカーの関係。単なる顔見知りって程度の付き合いじゃないんでしょ。こっちに戻ってから一度フォルカーと会ったんだけど、そのときの口振りで分かるわ。……というより、分からせるように言ったんだろうけど」
フォルカーがロウェンを語る口調は、彼らがそれなり以上に親しい間柄であるとすぐに察せられるようなものだった。あれで気づかない方がどうかしている。
「一言で言うなら友人兼、遠縁だな。子供の頃からだ」
実にあっさりと説明され、キリはどんな顔をするべきか悩んだ。
確かにこの部屋の様子からして、隔離こそされているもののロウェンの扱いは客人に対するそれだ。
彼が怪我人ということも考慮しての対応なのだろうが、どう考えても罪人相手のものではない。
(これは火傷のことさえ除けば、心配することもなかったかな)
いや、彼が無事であったのは直に確認できたので、別にそれはそれで良かったのだが。
それでも、何と言うか、すっきりしないのだ。
特に怒っているわけでもないし、悲しんでいるわけでもない。ただ、どうにも心の中がもやもやするのだ。
はああああああっ、とキリは深く深く息を吐いた。
頭の中は、正直ぐちゃぐちゃだった。
誰もの立ち位置が異なるのは当たり前のことだ。
何を大事にするかもそれぞれだし、物の見方も価値観も、全てのひとが己で選ぶ話だ。
同じ人間がどこにもいない以上、考えることも行動することも、皆が違う。
そんなことは、言われずとも分かり切っている。
(分かってるんだけど……。だけど、いい加減、あれこれ悩むのにも疲れて来た)
キリの中で、何かがぷつりと切れた。
とにかくもう、このぼんやりとした疑問というか感情をはっきりさせたい。
キリはきっとロウェンを見た。もしかしたら睨むような目になっているかもしれないが、知ったことか。
「おい、どうした?」
「……もう、いい加減うんざりしてきた」
地の底を這うような低音で、キリは呻くように言った。
すうっと深く息を吸い込む。
「―――――――何なのよ、一体! どいつもこいつも、色々色々事情があり過ぎ、っつか裏の顔隠し過ぎっていうか! もー、やだ! もうキレた!」
これまでキリの中で溜まりに溜まった鬱憤が、ぎりぎり保っていた表面張力を突き破り怒涛のように溢れ出た。
「そんなに腹の探り合いとか騙し合いとかしたいんなら、そっちだけで勝手にやればいいものを、他人を巻き込むなってのよ! ってゆうか、この国が滅びようが世界が危機に陥ろうが私の知ったことか! 自分たちの世界のことくらい自分たちで何とかしろってのよ! 異世界の人間に頼んな、この根性なし!」
一息に言い切ったが、それでもまだまだてんで言い足りない。
「そもそも、拉致って犯罪なんだからね! 異世界人だろうと何だろうと、問答無用で連れ去った時点で犯罪者でしょうが! そんなん相手に誰がなびくか、どこまでひとを馬鹿にしてんのよ!」
視界の端で、非常に居た堪れなさそうにしているロウェンの顔が見えた気がしたが、爆発したキリの感情は収まらなかった。
「しかも帰れないことを隠したままさんざん私を利用しておいて、その挙句、事後承諾であんな馬鹿と結婚だなんてやってられっか! ふざけんな! いっそ、あのとき全員呪っとけば良かった――っっっ!!」
渾身のキリの絶叫が、室内中に響き渡った。
さすがにここまで一気呵成にまくしたてれば、息が切れようというものだ。
不気味なまでにしん、と静まり返った空間に、ぜいはあとキリが呼吸する音だけが響く。
「それは、さすがに止めてくれ」
音もなく開かれていた扉の前から、この部屋に居る筈のない第三者の声があがった。




