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(……そうだった、そうなってたんだった)
直前までこの上なくシリアスな話をしていた筈なのに、この破壊力はどうしたことか。
すっかり全身の力が抜け落ち、キリは半身を起こしていた姿勢のまま、前に倒れ込んだ。
上掛けに顔を埋めて、昨日フォルカーに聞かされた衝撃的な話を反芻する。
キリは突っ伏したまま右手を上げ、よろよろとした声でネイを制止した。
「ちょっと、待った」
「うん」
「確認するけど、ネイもあの馬鹿殿下の話は聞いてるのよね……?」
「……う、うん」
キリは首だけを横に向けてネイを見た。何とも微妙そうな表情をしている。
深く息を吐き、キリはじっと彼を見据えた。
「だったら、掛け値なしに正直な感想を教えてほしいんだけど」
「感想って、ミヅキ……」
眉を八の字にしているネイに、キリは詰め寄った。
「いや、私には男の人の心情は分からないし。だったら同性のネイの意見を聞きたいと……」
「んな無茶な!」
「どこが! 素直な感想を聞きたいってだけでしょうが!」
「そんな、不敬罪で僕に死ねと!?」
ほとんど仰け反るような勢いでキリから距離を取ったネイの顔は真剣そのものだ。
必死で目を逸らすネイをこちらに向けさせようと、キリが身を乗り出した瞬間にその音はした。
コン、と鳴った軽いノックの響きに、二人同時にそちらを向く。
「……どうぞ?」
そうキリが許可すると、両開きの扉の一方が動き、背の高い姿が現れた。
短めの黒髪と鋭い灰色の瞳。武人であると一目で分かる鍛えられた体躯。王立騎士団長であり、付け加えればキリの武術の指導も受け持っていたエドガー・ガーラントだ。
見上げるような長身にも関わらず、静かな身のこなしで近づいて来る彼を、キリは呆れ顔で見返した。
「……治癒師であるネイはともかく、あなたもフォルカーもついでに元王太子も、よくこんな時間に女性の寝室に来ようだなんて考えるわね」
こちらの世界、というか王宮での常識からすると、夜更けに女性の自室に訪れて良いのはその伴侶か年少の家族くらいの筈なのだが。
(まあ、女扱いされてないってことかもしれないけど)
個人的にはそれでも構わないが、しかしこういったことがあればあちこちで不要な誤解を招きかねないというのも事実である。とにかく、面倒事はお断り願いたいのだ。
「それを言われたら耳が痛いが、今は勘弁してくれ。……それとフォルカーはともかく、あの馬鹿野郎と同列に扱われたら、ちょっと泣くぞ」
「泣けば?」
器用に片眉を上げるエドガーに、キリはつっけんどんな答えを返した。
キリの中で、この男とフォルカーは一括りの扱いである。そうである以上、彼に対してネイ相手のように穏便な態度を取るつもりはなかった。
「それで、わざわざこんな時間に会いに来た理由は何なわけ?」
明らかに一線を画するキリに、エドガーは微苦笑を浮かべた。
軽く両手を上げるその様子に敵意は感じられないが、だからと言って信を置くかはまた別の話だ。
「警戒するのも無理ないけどな、せめて話を聞いてからにしてくれ」
「それは、あくまで話の内容によるわね。事と次第に依っては件の馬鹿と同じ目に遭うわよ?」
「ちょ……っ!」
キリの言葉に、言われたエドガーは勿論、はらはらと二人のやり取りを見ていたネイも青褪めた。
「ミヅキ、それ冗談にならないから……」
「大丈夫、冗談じゃなくて本気だから」
「……ミヅキ。マジで、それは止めてくれ」
呻くように言うエドガーと硬直しているネイに、キリは軽く肩を竦めた。
「当然本気で言ったんだけど、そんなに怯えるようなこと?」
興味をひかれてキリが問いかけると、男声二つのユニゾンが返ってきた。
「当たり前だ!」
「当たり前だよ!」
二人のその顔は、明らかに血の気が引いている。
「じゃああれは、それなりに効果があったってことか……」
唇に指先を当てて考え込むキリの横で、エドガーがネイに「席を外してもらえるか」と頼んだ。
気掛かりそうにこちらを見て来る若葉色の瞳に、キリは軽く頷いてみせる。
扉から出て行く細い背中を見送るキリに、何故かエドガーが恐々と訊いて来た。
「……なあ、ミヅキ。おまえ、何だってあの馬鹿殿下にあんな魔術をかけたんだ?」
「いや、あのときはあんまり深く考えてなかったというか、というか完全に頭に血が上ってたというか……」
王太子に押し倒された時にキリに押し寄せて来たのは、恐怖ではなく激しい怒りだった。
もう、誰にも踏みにじられたくないと、焼けつくようにそう思ったのだ。
そうしてその感情に流されるままに、キリは自分に可能な最大限の力を使った。
性別という属性を変換させるのは確かに難しい魔術だが、これでも一応『聖女』である。
キニスに歴代最弱だと評されようとも、その程度の魔力はあるのだ。
「結構全力で呪ったから、キニスにも解けないだろうと踏んでたんだけどね……。もう一生そのままでいろとすら思ってたんだけど。まさかあれが解けるとは」
本当に、フォルカーから話を聞かされた時には愕然とした。
キリが呆れたような感心したような口調で呟くと、ごくりと喉を鳴らしたエドガーが戦々恐々と口を開いた。
「そのことでおまえに訊きたいんだが……、解呪の条件って一体何だったんだ?」
「え?」
思いがけない質問に、キリは瞬いた。
「条件って……、だってあの馬鹿は無事に男に戻れたんでしょ? だったら分かるんじゃないの?」
「戻ったのは知ってるが、詳細を聞く前にその当人が拉致されたからな。下種の勘繰りってわけじゃないが、知らないままでいるのも気になる……っつーか、怖い」
引き攣ったエドガーの顔に、キリはうーんと空中を見た。
人差し指で頬をかきながら、しばし考える。
(まあ、別に隠すほどのことじゃないか)
「そう、ね。ひとによっては大したことじゃないかな。でも、あの馬鹿にはすごく難しいことだった。だからこそ、条件にしたんだけど」
それは王道中の王道である解呪の方法だ。
「口で説明するならとっても簡単な方法。誰でも必ず聞いたことがある筈」
それこそ、物語にすら出て来るような古典的なことだ。
「……それって?」
訳が分からん、というようなエドガーにキリはあっさりと告げた。
「心から愛する人のキス」
定番中の定番だが、あの男にとって、誰かを愛することはひどく困難だろうからと、キリはそれを選んだ。
内心の比率としては嫌がらせが九割、冗談が一割というところだろうか。
それなのに、こんな短期間で解けようとは、心底予想外だ。
(あー、でも、その後の展開の方が遥かにぶっとんでたか)
「私が死ぬまであのままかも、とすら予測してたから、解けたのは喜ばしいことなんだろうけど……」
キリは半笑いになって続けた。
「まさか、こんなオチがつくことになるとは……」
「オチって、おまえな」
「だってね、呪いが解けただなんて聞かされたら、どんな相手だろうと思ったのに。それがあのひとだったなんて、ちょっと、すごく驚いた」
目が点になるというのは、まさにああいう心境に違いない。
(まあ、「愛する人」って言っても色々あると思うんだけど)
友愛であれ家族愛であれ、あるいは親愛や敬愛であったとしても有効である。
ついでにつけ加えると、キリは別にキスの場所も指定していない。
つまり、頬でも額でも手の甲でも唇でも問題はないのだ。
(そういった意味で、私すっごく優しいんじゃない?)
とはいえそんな意見は胸の奥にしまいつつ、キリは軽く首を傾ける。
「エドガーだってそうでしょ?」
「驚くのを通り越して、顎が落ちるかと思ったぞ。いきなり男に戻ったって報告が届いたその直後に、その本人が副官に掻っ攫われたって話が飛び込んで来たんだからな。こっちは訳が分からねえって」
エドガーの言葉に、キリは常にジークフリートに付き添っていた男性を思い浮かべた。
王太子の側近であり副官でもあった彼――リドリス・メノンヴィル。
会話らしい言葉を交わしたことはないが、それでも幾度かは顔を合わせたことがあったので、キリはたやすくその姿を思い描くことができた。
艶のある漆黒の髪と、灼けるような黄金の瞳を持った青年はたしかに常にジークフリートの影のようにその傍らにいたのだが――。
キリは、ははと乾いた笑いを零した。
「こうなっちゃったらもう、どこか遠いところで幸せになって下さいね、っていう感想しか出てこないわ……。毒気を抜かれたって言うか」
「……ほんとに、何がどうしてこうなったんだ?」
「そんなの私に訊くな」
遠くに目を泳がせているエドガーに、キリはすっぱりと言い切る。そして、ふとその表情を一変させた。
「でも、この展開はあなた達には都合が良かったでしょ。色々な意味でね」
潜められたキリの声音に、エドガーの眼差しが真剣なものに変わった。
「……ああ、そうだな」
「フォルカーの即位式はすぐに執り行うの?」
「時間も費用もないからあいつはやりたくないんだが、そうも言ってられなくてな。誰がこの国を治めるのか、明確に国内外に示す必要がある。……『瘴気』が収まって各地が落ち着きだした途端に、あれこれと欲のある奴らが出て来たからな」
力のある貴族や領主、他国の上層部などが動き始めてる、とエドガーが苦く言った。
「それは……。どこもかしこも、図太いと言うか強かね」
「その上、王太子は行方知らずだからな。実際今凄い勢いで王宮内の勢力図が書き換えられつつある」
ふうん、とキリは零した。
「あの馬鹿に付いて、実権を握ろうとしてたレジオンとキニスには全くの想定外だったでしょうね。これまでの努力がまさしく水泡に帰したわけだから」
旅の間、彼らが密かにジークフリートに報告を上げていたことに、エドガーとフォルカーが気づいていたことをキリも知っている。
ここから離れた王宮にいる二人に、キリは心の中でざまみろと舌を出した。
「それでも、この国と民にとってはそっちの方がいいんじゃないの。フォルカーなら、間違いなく国民のことを最優先にした施政をとるでしょ」
「それは、本気で言ってるのか?」
「勿論。フォルカーが治めるのなら、少なくともこの国に暮らす人たちは今よりずっと幸せになるでしょうよ」
「……だったら、あいつの隣に立つ気はないか?」
キリは一瞬目を見開いた。それでも一切迷うことなく口にする。
「断じて御免こうむるわ。……あなたも、結局はそういう話になるんだ」
冷めた目線を向けるキリに、エドガーは静かに首を横に振った。
「おまえがどう考えてるかは想像がつく。だが俺は、そういう意味だけで言ったんじゃない」
「………………………………」
キリは黙ってエドガーの顔を見つめた。
「なあ、ミヅキ。これからおまえはどうするつもりなんだ。どうやってもおまえが元の世界に戻れないことは知ってるんだろ。おまえはこの先ずっとこの世界で生きて行くしかない。だったらあいつの傍ってのは悪い選択じゃないんじゃないか? 現実的におまえが『聖女』である以上、利用されずに生きて行くのは無理だ」
ふうん、とキリは肘を立ててその手のひらに顎を乗せた。
「フォルカーならまだマシだから妥協しろって?」
「言葉は悪いがな、でも実際そうだろ」
キリの面にふっと冷ややかな笑みが浮かぶ。
「お断りよ」
短く言い切り、キリは窓の外に広がる空を見上げた。
「昨日、フォルカーにも同じ話をされたけどね。……私の生きたい場所は、ここじゃない」
「そうして、無駄にあがいて時間を浪費していくのか」
現実を容赦なく突きつけようとするのが、エドガーのやさしさだということくらい分かっていたが――。
キリはそれ以上答えることはせず、ただ笑んでみせた。




