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 少し歩いたその先でロウェンに促されたキリが目を向けると、そこには白と深い藍の二色で構成された壮麗な城塞が見えた。

 青い空を背景にそびえるその様は、あたかも一幅の絵のようだ。


「これって……」


 遠目に見ても圧倒されるようなその威容に、キリはそれ以上の言葉を発することはできず絶句した。

 まず、でかい。

 さすがに王都のヨーリック城よりは規模が小さいが、それでもこれは決して辺境の小城などではない。

 いや、建物自体はやや小ぶりにしても、敷地の広さはそれ以上なのではないだろうか。

 声を失うキリに、ロウェンがあっさりと言う。


「レーヴァの本家はあの中にある。ちなみにあちこちに見える青色は、特殊な塗料を塗った石材を配置してあるんだ。あれは雪を張り付けにくくしてくれる。何しろここは雪が深いからな。高所から雪の塊でも落ちてきたら下手したら死者が出かねない」


 お伽噺の絵本に出て来るような外観とは裏腹の現実的な説明に、キリは黙りこんだ。

 峻厳な地形と秀麗な街並みについ気圧されかけていたが、おかげで我に返ったとも言う。


「それはつまり、あそこにあなたの実家があるってことよね」


 改めて小高い丘の上からその光景を見下ろしながらキリが聞くと、ロウェンが少し考えるような間の後に口を開いた。


「ああ。だから……、いいのか?」

「え?」


 この男には珍しく歯切れの悪い口調に、キリはとっさにその顔を振り仰ぐ。


「何? どうかしたの?」

「あー、いや、な。前にも話したが、俺は一応ここの領主でな。大概の人間には顔を知られてるわけだ。それで、そんな俺が人を連れてるとなると間違いなく注目されるんだが」

「………………………………」


 そう言えばそうだった。

 道中できるだけ人気のない道を選んでいたため忘れかけていたが、今のキリは追手持ちなのである。

 そんな自分がロウェンと、しかも彼の地元を歩いているとなれば、居所を突き止められるのが更に早くなるだろう。

 少しだけ考え、キリは言った。


「この季節だから、薄手の外套を着ててもそんなに変でもないでしょ。最近は日が落ちるのも早くなってるし。数時間経って暗くなりかけた頃にフードを目深に被って行けばそこまで目立たないんじゃないの」


 正直なところそうして待つ僅かな時間も惜しい。

 それでも、出来る限り自身に辿り着かれるのを後回しにしたいというのも本音だった。

 だが、それはあくまでキリの事情だ。


「だから、何ならロウェンには先に帰ってもらっても大丈夫なんだけど。というか、曲がりなりにもご領主様がこれだけ長い間不在でいいわけ?」


 本当に今更の疑問を口にすると、ロウェンはしれっとした顔で答えた。


「ああ、ラースに連絡を入れてもらってるから、俺が無事なことは伝わってる筈だ。それに、留守を任せてるうちの者たちは優秀だからな。余程の事でもない限り問題はない」

「……なら、いいけど」


 彼がいいというのならいいのだろう。

 キリはそう匙を投げ、夕暮れとなるのを待つことを決めたのだった。











 そうして、キリがどうにか無事にレーヴァ本家を訪れたその翌日のことである。

 レーヴァ家の敷地内の一角にある蔵の中で、キリは一人途方に暮れていた。


(うわ、やった……)


 埃よけに掛けられた布を引き剥がしたとたん、もうもうと巻き上がる白い埃にキリは即刻己の行動を後悔した。

 慌てて口を噤むが、それはいささか遅かったらしい。

 こほこほと咳きこみながら、白く染まる視界に目を瞑る。これは、髪や服もかなりの惨状になっているかもしれない。


「ここ、いつから掃除してないんだろ?」


 時間を置いてから、そろそろと両目を開いたキリは、呆れ混じりに高い天井を見上げた。

 一体どれだけの奥行きがあるのか。確かに、こんな大きな蔵を定期的に整理するなどやってられないだろうが。


「それでも、埃まみれなのはまだいいにしても……」


 独り言ち、内部を見回した。石造りの建物の中はひんやりとして、薄暗い。

 だが、それでも周囲を見通せるのは、遥か頭上の小さな窓から差し込む陽光のおかげだった。

 等間隔で並ぶ明かりとり用の天窓が、灰色の床の上に四角形の白い光を落としている。


「いいから見せてくれって、そう言ったのは私だけどね……。でも、ちょっと早まったかな?」


 眉尻を下げてキリがぼやいたときだった。


「どうだ、何か見つかりそうか?」


 そんな言葉と同時に、扉の向こうからロウェンがひょいと顔を覗かせる。

 腕一杯に古びた紙の束を抱えたキリは、重さにふらつきながらどうにか半身を返す。


「何かっていうか……って、ロウェン?」


 何故かそのまま不自然な体勢で硬直していたロウェンに、キリは瞬いた。


「どうかした?」

「いや、おまえ、どうかしたって……」


 言葉を探すように躊躇った後、ロウェンは呆れたようにキリを見下ろした。


「おまえ、随分派手にやったな」

「って、ああ……」


 彼の視線を追いかけて、その意味を理解したキリは曖昧に頷いた。


「派手に見えても、基本的には多少物の場所を移動させただけだもの。さすがに掃除は大変だろうけど」


 大小様々な物で溢れかえった床上は、足の踏み場もないというまでではないが、せいぜい一人の人間が歩ける程の幅があるくらいだ。

 だが、元々これらが収まっていた棚自体は空いているのだから、別に戻せばいいだけの話である。

 キリはよたよたと前に進み、持っていた古紙の山を近くの木箱に突っ込んだ。


「にしても、よくもまあこれだけ物が収納されてたわよね。というより、ここの整理をしたのっていつの話よ?」


 ぱたぱたと肩や腕をはたきながらキリが言うと、ロウェンは記憶を探るように目を細めた。


「……少なくとも、ここ十年は記憶がないな」

「十年なんてもんじゃないでしょう。こんなに積もった埃なんて、私見たことないし」


 事実、キリのすぐ横にある棚もすでに元の色がわからないくらいに白く薄汚れている。

 古びた家具や色々な道具を見つめ、キリはぼそっと呟いた。


「使われないまましまわれているだけなんて、物が可哀想だと思うけどね」


 留守がちの両親の代わりにキリの面倒を見てくれていた母方の祖母は、昔気質で非常に物を大切にする人だった。

 奥にしまわれて使われない方が可哀想だと、古い道具も大切に手入れし、丁寧に使い続ける姿を折に触れてキリは見て来たのだ。

 不意に浮き上がって来た記憶に、キリは思わず手を伸ばしていた。

 無造作に置かれた木の椅子のひびが入った背もたれをそっと撫でていると、キリの隣をすり抜けたロウェンが奥へと足を進めて行った。


「結構狭くなってるから、気をつけてね」


 ロウェンを追いかけてキリも歩き出したが、唐突に目の前で止まった背中に、危うく踏鞴を踏みそうになった。

 追突しそうになったのをどうにか堪え、その場に踏み止まる。


「ど、どうかした?」


 背後から問いかけると、ロウェンはすぐに振り返った。


「ああ、悪い。ちょっと、久しぶりに見たからな」

「って、何を?」

「あれだ、……そう言えば、ずっとここにしまわれてたんだな」


 そう言ってロウェンが示したのは一枚の絵だった。先程キリが覆っていた布を剥がしていたので、すぐに中身が見えたのだろう。

 興味をひかれ、キリは訊いてみた。


「……あの絵に描かれているのって、誰なの?」


 それは、随分と時代を感じさせる古い人物画だった。

 こういった類の知識のないキリにはこれがどれほど昔の物なのかも分からないが、ひび割れた額縁や剥離しかけた絵の具の様子から、相当前に描かれたことは想像がつく。

 キリの質問に、ロウェンの肩がくっと揺れた。


「おまえが聞くか。まあ、これも因果かな」

「?」


 苦笑を浮かべた濃紫色の目は、どこか遠くを見ていた。

 彼のその目鼻立ちと、絵の中の女性のそれとがどことなく似通って見えて、キリは目を瞬かせる。

 微苦笑のまま、ロウェンはその絵を見つめて言った。


「うちの御先祖で、レーヴァ家の初代当主だ。他でもない、大魔術師エルアイオンの唯一の弟子でもあるな」


 思いがけないその言葉に、キリは小さく息を呑んだ。


「え……、このひと、が?」


 長い年月を経て絵の具は色褪せてはいたが、それでもなお鮮やかな銀の髪と紫の瞳。すらりとした体つきは華奢だが、凛とした立ち姿に弱々しい印象は全くなかった。

 そのひとの書く文字を、キリは知っていた。幾度となく、目にしたことがある。だがまさか、こうしてその姿を見ることがあるなどとは、思いもしなかった。


「うん……。フェリシア・レーヴァだよね。このひとの写本、色んなところで見たもの」


 王宮や、神殿、各地の学院にこれらの本は保管されていた。

 師匠であるエルアイオンの魔術書を何百冊も書き写し、後世のために残したという魔術師。

 ――このひとは、膨大な数の書をどんな思いで写していたのだろう?


(さぞかし、大変だっただろうなあ……)


 キリは視線を遠くへと彷徨わせた。

 これが魔術書でなければ、いくらでも代わりの人間に頼めただろうに。

 しかも、だ。それだけ苦労して書いた物を一人の馬鹿王のせいで台無しにされたのだから、返す返すも気の毒としか言いようがない。


「約三十組の写本だからな、王宮には当然厳重に保管されてるだろうし、この家にも一式残ってる」

「でも、それすら例の『狂王』にやられたんでしょ」


 現存する全ての魔術書の写本を棄損し、帰還の術式を失わせたという『狂王』サースティン。


「ああ、それも本人が直々に此処まで来たそうだ。んな熱意があったら別のことに使えと思うんだが……」

「同感」


 疲れた顔のロウェンに、キリは深く頷いた。

 彼の王のせいで、それより以後に呼び出された自分たちがこうして余計な苦労をさせられることになったのだ。

 故人相手に不可能だとは分かり切っているが、それでも叶うのならばぼこぼこに殴り倒してやりたい。


「その写本、書庫にあるけど見るか? 肝心の所が破り捨てられてるから役には立たないだろうが、ちょっと外に出て息抜きした方がいい。おまえ、何時間ここに籠もってるか分かってるか」

「えーと、どれくらい?」

「四時間は過ぎてる。こんな埃だらけの所にずっといたら、胸を悪くするぞ」


 どうやら、キリが思った以上に時間が経っていたらしい。


「あまり根を詰めるなよ。確かにこの蔵にはうちの先祖……というか、エルアイオンに縁のあるものがあるって言ったのは俺だけどな。でも、そもそもおまえの期待する手がかりがあるなんて保証はないんだ。……期待し過ぎると、後できついぞ」


 最後に付け加えられた一言はそっけなかったが、それでも彼が自分を気遣っていることは伝わってきた。

 キリはくすり、と笑みをこぼした。

 どうやらロウェンは自分よりも四歳上だということだったが、時折見せるこうした言動は年下の自分が見ても可愛らしく思う。

 甘い声で優しい言葉をかけながら平然と人を騙くらかしていた男たちを見慣れている分、ロウェンの態度はむしろキリを安心させた。


「そうね」


 キリはさらりと頷き、次いで、その表情を微妙なものに変えた。


「でも……、ちょっとここ、このままにしておいて大丈夫なの?」

「…………………………………………………」


 蔵の内部は物で溢れており、万が一大きな地震でも起きたらここにいる人間はすぐさま圧死しそうだ。

 その惨状を改めて目にし、ロウェンはしばらく沈黙していた。


「……全部終わったら、責任もって片付けてもらう。まあ、俺も手伝うが」

「うん、そのときは協力よろしく」


 確かに、どう考えてもこれは一人では手のつけられない量だった。



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