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どうにも納得しきれない点はあったものの、それでも何より優先すべきは、可能な限りの最速で目的地に向かうことである。
そう、無理矢理にでも割り切り、キリは素知らぬ顔で同行してくるロウェンの存在を黙認することにした。
実際、道案内できる地元の人間がいるということは非常にありがたかったということもある。
彼のおかげでキリの旅は予想以上に順調に進み、そうして本日の昼過ぎにはタジェスに到着した。
北方にあるタジェスへの道行はなかなかに厳しかったが、それでも地元の人間であるロウェンがいたため、かなり楽な道程ではあった。少なくとも、キリ一人であればここまで早く進んでは来られなかっただろう。
「――でも、なあ……」
誰に聞かせるわけでもなく、キリはぼそりとぼやきをこぼした。
ここに至るまでの経緯を思い返し、その場に立ったまま考えこむ。
(正直都合の良すぎる展開だけど、ロウェンに作為は感じられないんだよなあ……)
勿論自分が騙されているという可能性もなくはないが、しかしどうにも彼からはそういった気配は見られないのである。
(――『命を救ってもらった恩を、仇で返す人間だと思われるのは心外だ』、か)
そう言ったロウェンが嘘を言っているとはとても思えなかった。
この三年でそれなりにキリも腹の探り合いには慣れたつもりだが、これはどう考えるべきだろうか。
(そもそも、うっかり海で助けた相手が、タジェスの人間だなんてどういう巡り合わせよ)
それどころか、本命中の本命であるレーヴァ家の――それも、当主だなんて有り得るだろうか。
キリはかりかりとこめかみを掻いた。
認めたくはないが、自分の運の悪さは折紙付きだ。何せ問答無用で異世界に拉致されるなどという最悪の外れクジを引かされたのだから、それは間違いない。
そんな自分がこんな運のいい成り行きにぶつかるなど、策略としか思えないのだが。
これが三年前のことだったら、何も考えずきっと素直に喜んだだろう。だが、生憎キリは今の自分がそこそこすれている自覚はあった。
それでも、同時に無理もないことだろうとも思ってもいる。
何しろ、ある日突然連れ去られ、故郷に帰りたければ協力しろと脅された身だ。しかも、更に性質が悪いことに、彼らはキリが抵抗しにくいように意識を操作までしたのである。
キリがそのことに――自らの意識に干渉されているという事実に――感づいたのは、召喚されてから数カ月が経った頃だった。最初は曖昧な違和感だったが、次第にその疑念ははっきりしていった。
そもそもが、である。キリがこちらの世界に来たのは全くもって自分の意志ではない。一人の少女を――しかも異世界の人間を、自分たちの都合だけで強制的に連れて来るような相手を、普通は信用などしない筈だ。
なのに、キリは何故か彼らの言うことを鵜呑みにし、それどころか好意を抱いてしまった。
(そんなこと、まともならありえない)
その可能性に思い至ったとき、キリは足下に開いた大きな黒い穴に落ちて行くような錯覚を覚えた。
それはすなわち、彼らが自分の心というか精神に、何らかの作為を及ぼしているということだからだ。
――正直なところを言うと、知らないままでいればそのまま穏やかな心境でいられたのだろうと、そう思わなくもない。
だが、キリは気づいてしまった。
もしこのことを悟られたとしたら、彼らはどう出るだろうか。確実な推測はできなかったが、ロクなことにはならないだろうと、さすがにそれくらいは察しがついた。
だからキリは、極力彼らの不審を招かないように努めたのだ。そうして、密かに情報を集めて来た。
「それで一番、可能性がありそうなのが『ここ』なんだけどね……」
キリがこのタジェスを目指したのには、明確な理由がある。
実はここは、最初の『聖女』が召喚された土地なのだ。ただ、次代以降の全ての『聖女』がウィステリアの王宮で呼び出されているため、それを知る人間は数少ないのだが。
だが、キリにとってそれ以上に大事だったのは、この地の初代領主が同時に魔術師であり、そして大魔術師エルアイオンの唯一の弟子だという事実である。
エルアイオンは『瘴気』の『浄化』の方法を模索した結果として『聖女』の召喚を行ったという。
そして同時に彼女を帰還する方法も生み出し、その術を自ら記した魔術書に残したそうだ。
だが彼の死後、その魔術書がどうなったのかは誰にも知られていない。彼の知識と技術の結晶である魔術書は、忽然と姿を消しているのだ。
ではなぜ、キリを含めた歴代の『聖女』の召喚が絶えることなく続いていたのか――、それはエルアイオンの弟子である魔術師が、写本を書き残していたからである。
面倒なことに、魔術は特殊な魔法文字でないと書き記すことはできず、またその術を使えるものでなければ読み取ることは不可能という非常に制限がかかったものなのだ。
付け加えると、エルアイオンが作成したという原本は二十数冊にも及ぶ大作であったりする。
おそらく弟子は、それらが散逸してしまうことをおそれたのではないだろうか。
驚くべきことに、件の弟子はその魔術書を全て自身で書き写したのだそうだ。しかもそれはたった一組ではない。正確なところは定かではないが、写した数は三十組近くに及ぶのだという。
(いくら、魔術書を完全に読解できる者が他にいなかったとはいえ……)
想像するだに、何とも御苦労なことである。
だがその話を知ってから、キリは何となく彼らのことは憎めなくなった。現在の自分の苦労の元凶であるのは確かなのだが、それでも一応彼らは、歴代『聖女』が無事に戻れる道もきちんと残してはくれたのだ。
むしろ頭に来るのは、後世に『聖女』の帰還を妨害しようとして、それらの写本の全てを棄損したというかつてのウィステリアの国王である。
(振られたからって故郷に戻れないようにするなんて、ほんと情けないというか)
そんな男だから見向きもされなかったんだろうが、おかげでそれ以後の『聖女』たちは大迷惑である。いや、迷惑どころの話ではないが。
――それでも、たとえ帰れなくとも、彼女たちが全てを諦めていたわけではないことをキリは今までの旅で知っていた。
少々話は逸れるが、そもそも異世界に呼び出された人間が、自国の言語で意志の疎通がはかれるわけがない。今キリが言語に不自由なく過ごせているのは、エルアイオンの生み出した魔術の恩恵ゆえだ。
そもそも、最初に召喚された『聖女』はこちらの世界の言葉がまるで分からず、双方共に苦労することになったらしい。
そういった経緯から編み出されたのが、それまで見聞きしたことのない言語であっても理解できる魔術である。とんでもなく難しい術式らしいが召喚よりは簡単なので、必然的に『聖女』を呼び込む際には常にセットで使われるようになったそうだ。
ただ、この魔術にはおそらく開発した本人も気づかなかった効果が含まれていた。今まで見聞きしたことのない言葉を解するということは、何もこちらの世界だけの話ではなかったのだ。
それはつまり、ここではないあちこちの異世界から招かれた『聖女』の言語もそれに該当する、ということである。
そのことに気づいた『聖女』たちは、自分たちの後にこの世界に連れてこられる同胞のために、幾つもの手記を残していた。
もしもこちらの世界のものではない言語に気づき、読解する者がいるとしたらそれは『聖女』である可能性が高い。
その確率にかけて、彼女たちは自らの知識を密かに記した。
三年かけて巡った地で、キリはそれらを見つけた。
様々な場所、別々の時代に刻まれた彼女たちの軌跡を知り、キリは自らの道を決めた。
自分が帰れる保証はない。この先どうなるかも、分からない。
ただ――。
ぎゅっと、拳を握り締めた。
「諦めてたまるもんですか」
キリが密かに決意を固めていると、最近聞き慣れつつある足音が近付いて来るのが聞こえた。




