12
「で、おまえがかけた魔術がそれか」
口元に運ぼうとしていたフォークの手を止めて、うわあ、とでも言いたげな面持ちになったロウェンをキリは半眼で見遣った。
「何? 同じ男として同情せざるを得ないって?」
「いや、そういうわけじゃないが……。そいつが目覚めたときのことを思うとな。本人は勿論、周囲も大変な混乱に陥ったんじゃないか」
「それはまあね。適当な紐でぐるぐる巻きにして窓の外にぶら下げておいたから、発見した人は気の毒だっただろうけど」
目の前の皿にあった赤い木の実を一つ口に放り込み、キリは頷いた。
噛み砕くと、ナッツに似た食感とドライフルーツを思わせる甘みが口の中に広がる。
そのほど良い甘さに、キリの頬がほころんだ。
このルシカという実は、キリにとって数少ない、何も加工せずとも食べられる物の一つだった。
元々、特別なアレルギーもなく極端に好き嫌いのないキリは、故郷で食事に苦労したことはない。
だが、こちらの世界に来てからその事情は一変してしまった。
全く想像もしていなかったことであるが、あろうことかこっちで普通に調理されている食材の中で、キリが問題なく食べられる物は全体の四分の一くらいでしかなかったのだ。
残りの四分の三のうち、四分の二は調理方法次第で大丈夫だが、後の四分の一はどうにもこうにも体質的に受け付けない。
余程ではない限り死ぬほどのことはないが、うっかり口にしようものなら頭痛に目眩に吐き気、腹痛や蕁麻疹、痺れなどの症状に苦しむような羽目になる。
(安全に食べられる物が四分の一だなんて、どんなルーレットなんだか)
気候や土壌、生態系など諸々が全く異なる世界である以上、仕方がないと言え。
そんなことを考えながら、キリは机の上に並ぶ皿をちらりと見下ろした。
すでにその大半が、空になっている。ちなみにそこにのっていた料理は、キリがこの宿屋の主人に頼み込み、人のいなくなった遅い時間の厨房を借りて作らせてもらった物だ。
こうして夜遅くに自分たちが他に誰もいない食堂の隅で夕食を食べていると言うのは、そういった経緯からだった。
別に各自で食事してもいいのだが、キリの食事は別にロウェンにも問題なく食べられるものなので、まとめて作ることにしたのだ。一人前が二人前に増えてもたいして手間が増えるわけでもないし、期待のこもった目で見られてしまっては無下にするのも気が引ける。
必然的な事情があってのこととはいえ、一応今の自分の料理の腕がそれなりではある自覚はあった。
曲がりなりにも『聖女』という立場上あるまじきことだが、実際のところ魔術や武術よりもはるかに役立つスキルであったりする。
事実、この技術がなければキリはまともに物を食べることができないので、早晩逃避行は行き詰まっていただろう。まあ、こんな風に役に立つとは、教えた方も思ってなかっただろうが。
(と言っても、シュゼットには及ばないけど)
一瞬、キリの脳裏を榛色の瞳の少女がよぎった。
シュゼット・ユノー。彼女はキリの世話役兼旅中の雑用役で随行した貴族の娘だった。
子爵令嬢という身分でありながら、家政に長けた彼女がいなかったら、キリの旅は相当悲惨なことになっていたに違いない。
その記憶に引きずられるように、この三年近く共に旅をした面々を思い出した。
召喚されたキリに最初に声を掛けて来た、ウィステリアの第五王子であるフォルカー・ディス・ウェスタイン。そして実際にキリを呼び出した魔術師のキニス・ミュラー。
護衛とキリへの武術の指導のため、フォルカーに指名された騎士のエドガー・ガーラント。
瘴気の捜索と治癒師の役目を兼ね、同行を命じられた神官のネイ・ディアム。
そして最後に、歴代の聖女の足跡に通じていることから助言のためにキリたちに同行したレジオン・ローズバーグ。
彼ら六人にキリを加えた総勢七名で、これまで各地を巡って来た。
(今更だけど、完全にあの人たちを嫌いになれてたら、もっと楽だったんだけどなあ……)
ほんの少し、苦い気分になった。
それでもすぐに気を取り直して、キリは皿の間に頬杖を突いた。
「祝典の準備のために頑張ってたお城のひとたちには、さすがに申し訳ないと思うけどね。でも、あの馬鹿が馬鹿な真似をしでかさなかったら、そもそもこんなことにはならなかったわけだし。全部あの男――というか、あのひとたちが悪い」
認めるのは癪だが、突然の王太子の不在とキリの失踪によって祝典が台無しになってしまったのは確かな事実である。
しかし、これでもキリは一応、祝典には出るつもりだったのだ。勿論、その後で逃亡することは確定だったのだが。
「あの男も、少しは私と同じ気持ちを味わえばいいんだって」
言い切るキリに、ロウェンは困り切った微苦笑を浮かべた。
「……おまえ、ほんっとに腹に据えかねたんだな。でも話を聞く限り、それで反省できるような頭の出来かどうかはかなり微妙だけどな」
「んなもん期待してないわよ。してないけど、ああなっちゃったら周囲の女性に害を及ぼしようがないでしょ。私が知ってるだけでも、どれだけの女性が泣かされたか」
因果応報という言葉が、これほど相応しいことはないだろう。
「そんで、そいつに女に変化する呪いをかけたってわけか……」
「悪い? 命があるだけまだましでしょうが」
最後に残っていたルシカの実を食べながら、キリはそっぽを向いた。
王太子に魔術をかけたことについて、キリには一切後悔はない。
元々結婚に夢は持っていないが、それでも自分を利用すること以外考えていない男相手となどありえない話だ。
なのにあのろくでなしときたら、キリが断るや否や無理矢理既成事実を作ろうとしてきたのである。
その結果、一生解けるか分からない魔術をかけられたとしても、自業自得以外の何物でもないだろう。
思い返すだにむかっ腹が立ってきたキリの向かいで、ロウェンは軽く首を傾げた。
「でも、だったらむこうも必死でおまえを探してるだろう。俺が言うことじゃないが、こんなところでのんびりしていていいのか?」
「そのとおりだけど、でも仕方ないし。陸路でタジェスに向かうとしたら、道中必要な物を買い揃えられるような町なんてここ以外にないんでしょ」
キリは王都から遠く離れた目的地の名を口にし、仕方ないと肩を落とした。
タジェスは大陸北西部に位置するウィステリアにおいても、更に北方にある土地だ。
ちなみに、この三年近く『瘴気』の色濃い地を巡り『浄化』を続けて来たキリだったが、彼の地についてはまだ訪れたことはない。
行かなかった理由は実に明快である。単純に、その地が聖女による『浄化』を必要としていなかったからだ。
どういうことなのか原因は未だに解明されていないが、どうやら『瘴気』の発生しやすい土地には何らかの要因があるらしい。
それは逆に言えば、『浄化』しなければならない場所はすでにある程度確定されているということでもある。
つまり、決まった場所だけ『浄化』すればそれで問題は片付くというわけなのだ。
そういった意味において、今までただの一度も『浄化』を必要としたことのないタジェスは特別な土地だった。
まあ、寒冷の厳しい気候と、中央から離れた地理的な条件ゆえに実際住むには色々と大変なこともあるようなのだが、それについては脇に置いておく。
ここで問題になるのは、そういった事情ゆえに目指すその地とそこに至るまでの道程についてキリに全く土地勘が働かないということだ。
さすがにある程度の地図は頭に叩き込んでいるとはいえ、実際の地理や地形についてはほとんど無知と言ってもいい。
これでも一応、魔術という特殊技能はあるから野宿ぐらいはどうとでもなるものの、さすがに山中での食料調達に時間を割く余裕はない。
それくらいならと、多少のリスクは承知の上でキリはこうして人目のある町中に立ち寄ることにしたのだった。自分一人だけなら躊躇ったが、幸いというべきか、今のキリにはロウェンという連れがいる。
さすがに一人よりは二人の方が追手に気づかれにくいだろう、との判断ゆえだ。
(……でも)
ロウェンに気づかれないよう、キリは小さく息をついた。
いい加減、このあたりが潮時だろう。
「……ロウェン」
「ん?」
「これで、ある程度のことは分かったでしょう? だから、ここで終わりにしましょう」
タジェスまではまだ距離はあるが、それでも一緒に行くのはこの町までだ。
「何言ってんだ、おまえはタジェスに行くんだろ」
「そうだけど、ロウェンがこれ以上私の件に関わる理由はないでしょう? ここまで連れて来てくれただけで充分助かったし」
これから先は自分一人で行く、とキリが続けると、ロウェンは形容しがたい表情になった。
「うーん……。まあ、おまえがそう言う理由も分からなくはないんだがな」
「ロウェン?」
想定とは異なった反応を返されて、キリは訝しげにロウェンを見た。
妙に居心地が悪そうに、こめかみを掻いている。
「分からなくはないんだが……。ただ、そもそも俺の行く先っつーか、帰る先がタジェスだからな。別行動を取る意味はないと思うぞ」
「……はあ?」
「一応、俺はあそこの責任者だしな」
「はい?」
この男は、何を言っているのだろうか。
彼の意図するところが理解できずに首を傾げるキリに、ロウェンは一瞬だけ気まずそうに目を泳がせた。
それでも、再び正面へと向けられた濃紫の目は、真っ直ぐにキリのそれを見つめて来た。
「何となく言わなかっただけなんだけどな。正式な俺の名前は、ロウェン・レーヴァだ。そんで、多分こっちの方がおまえには重要なことなんだろうが……」
「な、なに」
どこまでも真面目なロウェンに、キリは身を退き気味にして問い返した。
なんだろうか、不吉な予感がする。
「で、付け加えるとタジェスの領主をやってるんだな、これが」
「…………………………………はい?」
かなり長い沈黙の後、キリはすっかり呆けた顔で向かいの男を見返した。




