「鑑定盤の真実」
ヴァイス侯爵家の判決の翌月、王宮魔導院では、新しい仕事が始まっていた。
王太子レオハルトの命のもと、教会管轄下にあった鑑定の儀の運営は、王宮魔導院の監督下に移されることになった。その第一段階として、王宮魔導院の研究者と教会の儀式執行者の合同チームが、王宮の中央教会に入り、鑑定盤の改造装置の解体作業を開始した。
クラウス・ヘルガードは、その合同チームの首席だった。
中央教会の儀式室、鑑定盤の真下。普段、誰も足を踏み入れない地下の小室に、銀の細い管と、十数個の小さな歯車と、小さな銀の鈴が組み合わさった複雑な機構が納められていた。これが、鑑定盤の判定結果を上下三段階に操作するための、改造装置の本体だった。
クラウスは、革のノートを片手に、機構を丁寧に観察した。
「……これは、見事だ」
機構を見て、彼は思わず感嘆した。
「儀式執行者の手元の、銀の小鈴を揺らすことで、地下のここに信号が送られる仕組みだ。歯車の組み合わせで、判定結果をF級に表示する、上方修正、下方修正の三種類が選択できる。鑑定盤の表面に、何の異変も出ない。これを、教会の鍛冶師が独力で設計できたとは、思えないな」
教会の儀式執行者の代表、ベルント大司教の弟子で、まだ若い修道士、テオドル・グラーフが、肩をすぼめた。
「ヘルガード様。この機構は、四代前の大司教の頃、教会の鍛冶師と、当時の宮廷魔導院の研究者の合作で、設計されたと記録にあります」
「合作、か」
「はい」
クラウスは、ノートをめくった。そこに書かれている改造の年代を確認した。四代前、二百八十年前。当時の鑑定の儀の運営に、宮廷魔導院も関与していた、ということだった。
「これは、教会単独の罪ではない、ということだな」
「……はい」
クラウスは、低く息を吐いた。
「グラーフ修道士」
「はい」
「貴方は、これから、教会と王宮の架け橋になる人間だ。これまでの教会の歴史を、すべて暴くことが、貴方の役目ではない。これから先、王国民が公正な鑑定を受けられるように、新しい運営を組み立てるのが、貴方の仕事だ」
「はい、ヘルガード様」
クラウスは、職人に、改造装置の解体を命じた。
銀の細い管が抜かれていく。歯車が、ひとつひとつ外されていく。銀の小鈴が、最後に外された。ベルント大司教が儀式の最中、手元で揺らしていた、小さな鈴。その鈴は、もう、儀式室には戻されない。
クラウスは、外された機構の部品を、王宮魔導院に運び込ませた。新しい運営のための教育材料として、保管される予定だった。
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その日の午後、ローエンクラム公爵邸の書斎で、クラウスはジルベストとエルナに報告を行った。
「奥様」
クラウスは、銀縁の眼鏡を軽く押し上げた。
「鑑定盤の改造装置の解体は、本日、完了しました。これから、王宮魔導院の管理下で、新しい鑑定の儀が運営されます。判定結果に、操作の余地は、もうありません」
「……ありがとう、ございます」
「並びに、奥様の真スキルについて、王宮文官府との協議の結果、正式な記録を王国の正史に記載することが、決まりました」
クラウスは、机の上に一枚の書類を置いた。
『王国正史 補遺
当代において、エルディアン王国に、SSS級のスキル『魔力無干渉』を有する女性が存在することを、認める。
その女性は、エルナ・ローエンクラム公爵夫人(旧姓ヴァイス)、十八歳。
鑑定結果は、王宮魔導院、宮廷文官府、教会の三者の合同確認により、確定する。
王宮は、彼女の身分の安全と私生活の尊重を最優先とし、彼女の意志に反する公的な活用を、行わないことを誓う』
エルナは、しばらく、その書類を見ていた。
書類の文字は、丁寧で隙のない、王宮文官の字だった。王宮、魔導院、教会の三つの印が押されていた。
「奥様」
クラウスが、低く続けた。
「正式な称号として、『無干渉のSSS級・エルナ・ローエンクラム』という肩書を、お受けいただくことも、提案されています。これは、王宮の正式な式典に出席される際の呼称となります」
エルナは、書類から顔を上げ、ジルベストの方を見た。
ジルベストは、答えなかった。答えるのは、彼ではなく、彼女自身だった。
エルナは、しばらく考えた。そして、低く言った。
「ヘルガード様」
「はい」
「私は、その称号を、辞退したく存じます」
クラウスは、わずかに首を傾げた。
「……奥様」
「私は、もう、誰かと比べられたくないのです。SSS級でも、F級でも、無能でも、最強でも、ありません。私は、ただ、ローエンクラム公爵夫人として、暮らしてまいりたいのです」
エルナの声は、淡々としていた。だが、その淡々さの中に、六年の重みが、確かにあった。
「私の六年間は、『F級』『無能』という名で、書き換えられてきました。今度は、『SSS級』『最強』という名で、書き換えられたくは、ありません」
エルナは、そこで、一度、言葉を止めた。首から下がる母の指輪に、指先が、そっと触れる。石の冷たさを確かめるように、しばらく、そのまま動かなかった。
それから、顔を上げた。
「私は、私自身の名で、生きたいのです」
クラウスは、しばらく彼女を見ていた。それから、銀縁の眼鏡を外し、目元を軽く押さえた。
「……分かりました」
「ありがとう、ございます」
「ですが、奥様」
「はい」
「正式な記録としては、王国正史に、残させていただきます。これは、奥様の六年間の、教会による誤判定への、王国としての公的な訂正です。これを記録しないと、奥様の前に、同じ目に遭った方々への訂正の根拠が、なくなります」
「……それは、必要なことですね」
「ええ。──ですが、貴女ご自身が、これを使って、社交界や公的な場で、特別な扱いを受けることは、ありません。貴女がそう望まれるなら、王宮も、その意向を尊重します」
エルナは頷いた。
「では、正史への記載は、お受けいたします。ですが、私自身は、ローエンクラム公爵夫人として、暮らします」
クラウスは、書類を丁寧に机の上で整え直した。それから、ノートに一筆、書きつけた。
「奥様の、辞退の意向を、王宮文官府に伝えます。これは、王国の新しい習わしの、最初の一例に、なるかもしれません」
「と、申しますと」
「強いスキルを持つ者が、それを使って、特別な地位や権力を得るのではなく、自分自身の、ただの市民、貴族、庶民として暮らす権利を認める。これは、これまでの王国には、なかった考え方です」
ジルベストが、低く口を挟んだ。
「クラウス。新しい考え方は、急に定着しないだろう」
「ああ。──だが、最初の一例が出ること自体、大きい」
クラウスは、書類を革のノートに挟んだ。
「では、奥様、ジルベスト。本日は、これにて」
クラウスが、書斎を出ていった。
ジルベストとエルナは、書斎に二人だけ残った。
ジルベストは、革手袋を外した。そして、エルナの手の上に、自分の素手を軽く置いた。
「奥様」
「はい」
「貴女は、本当に、それでよろしいですか」
「はい」
「『最強』という名を得れば、貴女には、これまで以上の安全と影響力が、与えられます」
エルナは、しばらくジルベストを見ていた。それから、わずかに笑った。
「公爵様」
「はい」
「私は、ここに、ただ、いさせていただければ、それで十分です」
「ここに?」
「公爵邸に。──貴方様の、隣に」
ジルベストは、しばらく答えなかった。
それから、長く息を吸った。
「……ええ」
「はい」
「ここに、いてください」
二人の素手が、机の上で、ゆっくりと絡まった。
窓の外では、雪解けの淡い春の光が、書斎の絨毯まで薄く届いていた。
エルナは、首から下がる母の指輪を、片手でそっと握った。
水色の石が、燭台の灯ではなく、初めて、春の光を返す。
エルナは、しばらく、その光の色を見つめていた。




