「母の死の真相」
ヴィクトリアの協力は、思っていたよりも、ずっと早く、形になった。
アスカニア公爵家には、王都の旧家として、長い歴史と、独自の情報網があった。
ヴィクトリアは、自分の家令を通じて、ヴァイス侯爵家の旧使用人を、密かに、捜索した。
エルナの母、フィオネ・ヴァイスが、五年前に亡くなった当時、屋敷に勤めていた使用人は、合計で十二名いた。
そのうち、九名は、母の死後すぐに解雇されていた。
継母シルヴィアが、人事を、刷新したからだった。
九名の所在が、ヴィクトリアの家令の手によって、ひと月で、洗い出された。
そのうち、最も重要な証言を持ちうる人物が、二人、見つかった。
ひとりは、当時の屋敷付き侍医、トルステン・ベアー。
もうひとりは、母の専属侍女だった、ハンナ・ロート。
ヴィクトリアは、二人の身柄を、安全な場所に保護した上で、エルナとジルベストに、引き合わせた。
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その朝、エルナは、ヴィクトリアが手配した、王都郊外の小さな別邸を、訪れた。
別邸は、白塗りの板張りの、二階建ての小さな家だった。
ヴィクトリアの祖母が、晩年に隠居していた家で、いまは無人のものを、急遽、人が住めるように整えてあった。
窓の外には、雪解けの庭が、淡く、広がっていた。
応接間に、痩せた老人が、一人、座っていた。
トルステン・ベアー、七十二歳。
かつてヴァイス侯爵家に三十年、仕えた屋敷付き侍医だった。
ハンナ・ロートは、すでに高齢で、別の街で病臥しており、書面の証言だけが、机の上に、置かれていた。
エルナは、トルステンの正面に、座った。
ジルベストは、彼女の隣に。
ヴィクトリアは、扉のそばに、控えた。
「ベアー先生」
エルナは、低く、声を、かけた。
「お久しぶりに、ございます」
「……お嬢様」
トルステンの声は、震えていた。
「お顔を、覚えて、おいででしたか」
「はい。十二歳の頃まで、よく、お話を、いたしました」
「私も、覚えております。──お嬢様の、お母様の、お顔を」
トルステンの瞳に、涙が、滲んだ。
彼は、しばらく、その涙を、押さえていた。
それから、ゆっくりと、呼吸を整え、口を開いた。
「お嬢様。
私は、五年間、ずっと、ひとつの罪を、抱えて、生きて参りました」
エルナは、頷いた。
答えを、待った。
「奥様、フィオネ様は、ご病気で、お亡くなりに、なられたのでは、ございません」
トルステンの声は、震えていた。
「あれは、緩慢な、毒殺で、ございました」
エルナの体が、わずかに、動いた。
だが、彼女は、すぐに、姿勢を、立て直した。
「……続けてください」
「はい。
奥様は、五年前の、冬の終わりに、お倒れになりました。
私は、最初は、流行り病かと、診ました。
ですが、症状が、わずかに、奇妙でした。
熱が、上がり下がりを、繰り返し、食欲が、ゆっくりと、落ちていく。
血の気が、皮膚から、ひと月かけて、引いていく」
エルナの指先が、膝の上で、かすかに、震えた。
「私は、ある日、奥様の朝の薬湯を、自分で、味見いたしました。
そこに、わずかに、ある植物の成分が、混じっておりました。
『黒蕊草』の、抽出液です。
これは、少量ずつ、長期間、摂取し続けることで、心臓を、ゆっくりと、弱らせる毒でございます」
エルナは、自分の指を、見た。
指は、震えていなかった。
だが、心臓の奥で、何かが、低く、唸っていた。
「黒蕊草は、王国で、所持が、禁止されている毒草です。
それを、屋敷で、誰が、手に入れ、誰が、奥様の薬湯に、混ぜていたのか。
私は、調べました」
「誰、ですか」
「シルヴィア様、で、ございました」
エルナの喉が、小さく、鳴った。
エルナの背後で、ジルベストが、わずかに、息を、呑んだ。
「シルヴィア様は、当時、まだ、お父様の愛人でしかありませんでした。
ですが、お屋敷に、しばしば、お泊まりになっていました。
お泊まりの際、台所と、薬の保管庫に、自由に出入りされておりました。
私は、シルヴィア様が、薬湯に何かを混ぜているところを、二度、目撃いたしました」
「……それを、父に、お伝えになりましたか」
「お伝え、いたしました」
トルステンの声が、低く、なった。
「ですが、お父様は、私を、屋敷から、追い出されました。
『そのようなことを、二度と、口にするな』と、おっしゃって。
そして、奥様の薬湯は、その後も、続きました。
ひと月後、奥様は、お亡くなりに、なりました」
エルナは、長く、目を、閉じた。
そして、開けた。
瞳の奥に、薄い火が、灯っていた。
「父は、知っていたのですか」
「はい。
お父様は、シルヴィア様の行為を、ご存じの上で、黙認されました」
「なぜですか」
「シルヴィア様と、その娘イリス様を、いずれ正式に、家へ迎え入れる、おつもりだったからです」
エルナは、しばらく、黙った。
──父は、母を、見殺しにした。
──愛人の腹の子を、愛するために。
その認識は、屋根裏の指輪を握った夜の認識よりも、ずっと、深い場所に、降りていった。
だが、エルナは、泣かなかった。
長く、屋根裏で、誰にも泣き顔を見せられないことに、慣れていた彼女は、今も、泣き顔を、出さなかった。
代わりに、机の上に置いていた、母の指輪を、握った。
水色の石は、いつもと同じ光を、返した。
「ベアー先生」
「はい」
「ハンナ・ロート様の証言は、どのような内容ですか」
ジルベストが、机の上の書面を、エルナに、差し出した。
ハンナの字は、震えていた。
だが、内容は、はっきりしていた。
『私は、ヴァイス侯爵奥方様の、専属侍女として、長く、お仕えいたしました。
奥方様は、お亡くなりになる三日前、私を、お部屋にお呼びになり、こう、おっしゃいました。
『ハンナ。私は、もう、長くないでしょう。
だが、私は、エルナのスキルを、信じています。
あの子は、決して、無能ではありません。
もし、あの子が、教会の鑑定で、無能と判じられても、それは、教会が、間違っているのです。
あの子は、私が知る、誰よりも、まっすぐな、強い子です。
今夜、あの子を、私の部屋に、一人だけ、連れてきてください。
私の指輪を、この手で、あの子に、渡します。それだけは、誰にも、奪われないように、と』
私は、奥方様のお言葉の通り、その夜、お嬢様おひとりを、奥方様のお部屋へ、お通しいたしました。
指輪を、お嬢様の掌に、直接、握らせたのは、奥方様、ご自身でございます。
それが、私の、最後の、お役目で、ございました』
エルナは、書面を、長く、読んだ。
母は、知っていた。
母は、エルナのスキルを、信じていた。
母は、教会の鑑定が、間違うかもしれないことを、予感していた。
そして、母は、最後の夜、ハンナの手引きで、エルナ自身の掌に、指輪を、握らせた。
──奪われては、ならない。
──奪われては、ならない、と、母は、知っていた。
エルナは、母の指輪を、両手で、握った。
握った両手の隙間から、水色の石が、わずかに、燭台の灯を、返した。
「ベアー先生」
エルナの声は、低かった。
「証言を、文書にしていただけますか」
「もちろんで、ございます。お嬢様」
「ハンナ様の証言と、合わせて、王宮の然るべき場に、提出いたします」
「お任せ、いたします。
私の残された人生は、もう、長くありません。
お嬢様の、お母様の、無念を、晴らすことに、使えるのでしたら、本望でございます」
エルナは、深く、頭を、下げた。
トルステンも、深く、頭を、下げた。
老いた侍医の額は、机の上の書面の脇に、しばらく、置かれていた。
ジルベストは、彼女の隣で、革手袋越しに、彼女の腰に、軽く、手を、添えた。
別邸の窓の外で、雪解けの水が、屋根から、ひと筋、落ちていった。
庭の一角で、最初の、淡い花が、雪の下から、わずかに、芽を、出しかけていた。
冬は、もう、終わりかけていた。
帰路の馬車の中で、エルナは、母の指輪を、見続けていた。
「奥様」
ジルベストが、低く、声を、かけた。
「父を、訪ねます」
「……いつ、ですか」
「明日に。──同行は、貴方様だけで、構いません」
ジルベストは、頷いた。
それから、革手袋越しに、エルナの肩を、軽く、抱き寄せた。
彼女は、それを、避けなかった。
馬車の窓の外で、王都の屋根が、薄い夕日に、染まり始めていた。
冬の終わりの、最後の夕日だった。
エルナの肩に、ジルベストの腕の重みが、かかっていた。
痩せた肩は、その重みを、初めて、心地よく、受け止めていた。




