第97話 共同研究の始まり
届けは翌日、出された。
ヴィルヘルムがそれを受け取った。「共同研究、エルフと平民。……前例が」と言いかけて、彼は口を閉じた。閉じて、印を押した。
「前例は、今日作る」
彼はそれを、私の口癖のような調子で言った。教授が私の口癖を使っていた。
共同研究の場所は禁書棚になった。
グリムヒルドが柵の鍵を私に預けた。「二百年で鍵を預けたのは、お前が二人目だ」。一人目が誰なのかは、聞かなかった。聞けば答えてくれただろうが、答えを聞くには、まだ準備が足りない気がした。
私たちはあの本を最後まで読んだ。
三十枚。「精霊は、人の挑戦の熱で動く」から始まる本。
熱は根に集まる。根は脈に変える。脈は精霊に届く。精霊は動く。エルフは精霊と契約する。契約は、脈の通り道を作る。
「……契約は、道だ。力ではない」
エルフィーナが羊皮紙を指で押さえた。押さえた指に、わずかに力が入っていた。
「エルフは契約を力だと思っていた。契約すれば精霊が従うと。……違う。契約は、脈が精霊に届く道を作るだけだ。道があっても、脈が弱ければ、精霊は動かない」
「……脈は、人の挑戦の熱」
「そうだ。……エルフの魔法は、人間の挑戦で動いていた。三千年。エルフはそれを知らなかった。知らずに、人間を三十年で死ぬ子どもと呼んでいた」
彼女の声は平らだった。平らすぎた。
「……祖父に、言えますか」
「……言えん。八百年の家が、三十年で死ぬ子どもの熱で生きていたと。……言えん」
彼女は羊皮紙を閉じた。
最後の頁の隅。日本語の書き込み。私はそれをもう一度見た。
『これは、エルフの、二千年前の、本だ。俺が、森で、写した。――ハル』
エルフィーナはそれを「読めない書き込み」だと思っている。読めない書き込みは、この世界に多すぎる。彼女はそれを気にしなかった。
私は気にしていた。
ハルはこれを二千年前のエルフの森で写した。写して、王都の禁書棚に置いた。置いて、下水を作って、勇者になって、消えた。
(……なぜ、この本を写したんだ)
精霊が人の挑戦の熱で動く。それを知って、彼は何をしようとしたのか。
下水は上町で止まった。最強を取りに行った。
その二つが、どうしても繋がらなかった。
禁書棚を出るとき、エルフィーナが螺旋階段の途中で足を止めた。
細い窓から坂が見えた。学院の門。門の前に、小さな栗色の点がある。
「……あの娘」
彼女はそれを見ていた。
「あの娘の周りに精霊がいる。森より多く。……あの娘の挑戦力は九十五。……あの娘は、資格がない」
彼女は指先で空を撫でた。撫でて、止めた。
「……根の脈が弱いのに。あの娘の周りだけ、脈が届いている。……なぜだ」
私は答えられなかった。板のあの線の先に、まだ何も書けていない。
「……近づく、と言いましたね。理由を聞きに行くのは、その後だと」
彼女は階段を降り始めた。
「今日は弁当を二つもらう。……あの娘と、話す」




