第90話 魔導理論学士 ―二つ同時に―
魔導理論学士C級は、学院の資格だった。
資格院ではなく、学院が実施する。試験は論文の審査だ。学生が術式について論文を書き、教授会が審査する。合格すれば学士。受験料は学院の学生なら無料。
ヴィルヘルムが「書いてみろ」と言った。
「お前の三角形を論文にしろ。……教本に載せることはできんが、論文にはできる。論文は、教本ではない」
規定の隙間だった。教授にも、隙間を探す癖がついてきたらしい。
私は論文を書いた。
実技場の床に描いた三角形。風の陣。炎の維持の四百八十秒。アンナの百四十秒。レオポルドの鍋の炎。中庭の煮沸。三週間分の記録。板の裏に炭で書き溜めていたものを、羊皮紙に清書した。清書しながら、数字の一つひとつに日付を添えた。日付のない記録は記録ではない、と気象観測士の教本に書いてあった。
題は『燃焼における、第三要素について』とした。
審査の日、私は教授会の部屋に呼ばれた。
長机の向こうに教授が五人。ヴィルヘルム。若い教官。そして資格院から派遣された審査官が一人。学士の資格には資格院の認証が要る。
審査官は細面の若い男だった。見覚えがあった。
「……先週、古代エルフ語通訳士に合格したのは、あなたですね」
資格院の受付にいた、あの書記だった。私の職業欄に「分類不能」と書いた男だ。今日は審査官の席に座っている。
「はい」
「今週、魔導理論学士」
「はい」
「……同じ週に、二つ?」
声には驚きよりも困惑のほうが濃かった。
「資格院の統計では、C級資格の年間取得数は一人あたり〇・〇八です。……十二年に一つ。あなたは一週間に二つ」
「……駄目でしょうか」
「駄目ではありません。前例が、ないだけです」
彼は書類に何かを書いた。覗き込めない角度だったが、おそらく『前例なし』だろう。
私の名前の横に、そういう文字が増えていく。ヴィムの『分類不能』。ヘルガの『分類不能』。この書記の『保留』。そして『前例なし』。
審査は一刻続いた。
教授たちは論文を読み、読みながら質問した。「空気とは何か」「なぜ教本にないのか」「エルフの術式で同じことができるのか」。私は答えた。答えられないものは「分かりません」と言った。「分かりません」と言うたびに、若い教官が何か書き留めていた。
最後に、ヴィルヘルムが言った。
「……この論文は教本に反する。教本は『魔力を炎に変える』としか言わない。この論文は『魔力と空気で炎になる』と言う。……教本が正しいか。論文が正しいか」
部屋が静かになった。長机の端で、誰かの羽根ペンが紙を擦る音が止まった。
「実技場の記録がある。四百八十秒。百四十秒。中庭の鍋。……記録は論文の側にある。教本の側には、記録がない。教本は三千年、記録を取っていない」
彼は教本を机に置いた。
ずっと抱えていた教本を、机の上に置いた。彼が教本を手から離すのを、私はそのとき初めて見た。
「合格。……備考、『教本と矛盾。ただし、実験記録あり』」
資格院の審査官が、書類にそれを写した。写し終えて、彼は私を見た。
「……レオン殿。あなたの職業欄の『プロジェクトマネージャー』は、まだ保留です。……ですが、備考欄が増え続けています。前例なし。分類不能。教本と矛盾。……備考欄は、規定上、無制限です」
彼は少しだけ笑った。役人の笑いだった。それでも、笑いではあった。
ファンファーレが鳴った。
♪♪♪♪
【資格取得】『魔導理論学士(C級)』
→ 能力上昇:知力+8 魔力+4
→ スキル獲得:『術式構築 Lv2』『論述 Lv2』
→ 職業解放:『魔導理論研究者』
保有資格:9 / 12,000




