第84話 図書館の禁書棚
学院の図書館は、学舎の一番奥にあった。
千二百年前、学院を建てた大魔導士が最初に建てたのがこの図書館だという。石造りの円い塔で、中は天井まで吹き抜けになっていた。壁が一面、そのまま書架だった。上へ、上へと、螺旋の階段が書架に沿って昇っていく。見上げると首が痛くなった。空気に埃と革と、古い糊の匂いが混じっていた。
禁書棚は、その最上階にあった。
「教授以上、または、古代エルフ語通訳士C級以上の者に限り、閲覧を許可する」
鉄の柵に、木の札が掛かっていた。札の文字は新しい。何度も書き直されてきたらしい。
柵の向こうに書架が三つ。本は百冊ほどだろうか。革の表紙はどれも黒く、角が丸く擦れていて、背表紙の文字は――
「……読めない」
私は柵越しに背表紙を見た。この世界の共通語ではない。ハルムの村人が読めず、資格院の書記が読めない文字。だが、下水口のあの八文字とも違っていた。曲線が多く、文字と文字が枝のように繋がって、一語がどこで終わるのかも分からない。
「古代エルフ語だ」
エルフィーナが隣で言った。
「私は読める。……半分は」
「半分?」
「現代のエルフ語と古代語は違う。人間で言えば、千年前の共通語を読むようなものだ。単語は半分同じ。文法は三分の一同じ。……残りは推定だ」
彼女は柵の札を見上げた。
「私は通訳士の資格を持っていない。教授でもない。……つまり、私もこの柵の内側には入れない」
「では、どうやって」
「教授に頼む」
教授に頼んだ。
ヴィルヘルムは図書館の階段の下で、教本を抱えたまま首を振った。
「禁書棚の閲覧は、私も三十年していない」
「なぜです」
「読めんからだ」
彼はそれを恥じる様子もなく言った。教本を抱え直して、続けた。
「学院の教授で古代エルフ語を読める者はいない。読める必要がなかった。教本は共通語で書いてある。……禁書棚の本は千二百年前、創設者が集めたものだ。誰も読まん。読まんから禁書になった。禁じているのは内容ではない。読める者がいないという、事実だ」
私は鉄の柵を見上げた。
螺旋階段の高いところに掛かった柵で、下から見ると、書架よりも柵のほうが新しく見えた。
読める者がいない。だから禁書。
三千年、完成していると思われていた術式。三十年、打ち付けられたままの扉。二十年、誰も開かない観測報告書。
この世界には、そういうものが多すぎた。
「……教授。古代エルフ語通訳士C級の試験は、どこで受けられますか」
「王立図書館だ。資格院ではなく、図書館が実施する。……受験料は、確か二千Gだが」
二千G。私の財布には百八十Gしか入っていなかった。
「……ただし」
ヴィルヘルムが続けた。
「図書館には『翻訳奉仕』という制度がある。図書館の未翻訳の文書を無償で翻訳する者は、受験料を免除される。……翻訳できれば、の話だ」
翻訳できれば。
私はもう一度、柵の向こうの黒い背表紙を見た。読めない。
だが、読めないものを読めるようにするのは、前世で二度やった。英語と、それから日本語教育能力検定のために齧った言語学の初歩。どちらも、結局一度も使わなかった知識だ。
「エルフィーナ。……現代のエルフ語を、俺に教えてください。一週間で」
「一週間?」
「単語は要りません。……文の、並び方だけ」




