第71話 風を読む夜
決闘の前夜、私は、学院の中庭に、いた。
演習広場。石畳の、広い、四角い場所。四隅に、魔導ランプの柱。北側に、学舎の壁。南側は、開けていて、丘の斜面が、下町へ、落ちていく。
私は、四隅に、棒を、立てた。棒の先に、麻の糸を、結んだ。糸が、風で、揺れる。揺れる方向を、板に、書く。時間を、書く。
気象観測士の、実技。ドリスの、観測所で、やったこと。今夜は、試験ではない。明日の朝の、風を、知るためだ。
日没。風は、南から、北へ。丘の下から、上へ、吹き上がる。下町の匂いが、微かに、混じる。
夜半。風が、弱まった。糸が、垂れた。気圧を、測る。観測所から、借りた、小さな魔導気圧計。針は、少し、上がっている。高気圧。晴れ。
明け方。風が、変わった。北から、南へ。学舎の壁から、丘の下へ、吹き下ろす。冷たい風。夜の間に、丘の上で冷えた空気が、下へ、落ちていく。
(日の出の風は、北風だ。学舎の壁から、広場を、南へ抜ける)
私は、板に、書いた。それから、広場の、決闘の位置を、考えた。
決闘者は、広場の東と西に、立つ。的は、それぞれの、背後。レオポルドが東、私が西、と、挑戦状にあった。北風は、二人の間を、横切る。横切る風は、火球の軌道を、少し、曲げる。曲げる方向は、南へ。
彼の火球は、私に向かって、飛ぶ。飛びながら、風で、南へ、逸れる。逸れれば、当たらない。だが、逸れる量は、風次第だ。風が弱ければ、当たる。
(風を、強くすればいい。……俺の周りだけ)
風の陣。炎の下から、上へ、風を流す陣。それを、横に、倒す。北から南へ、私の周りに、風の壁を、作る。壁は、彼の火球から、空気を、奪わない。奪うのではなく――流す。火球は、自分の炎の周りの空気を、吸って、燃える。その空気を、横へ、流してしまえば、火球は、吸う空気を、失う。失えば、弱まる。弱まった火球は、風に、押される。押されて、南へ。
三角形の、三つ目の角を、動かす。
私は、床に、陣を、書いた。木炭で。夜の広場に、一人で。書いて、消して、書いた。エルフィーナの、風の一語を、二つ、繋げた。彼女は、今夜、来なかった。「自分で読め」と、言われた。
明け方近く、私は、陣を、手のひらに、縮めた。縮めて、身体に、覚えさせる。五日は、ない。一晩だ。
空が、白み始めた。糸が、北へ、なびいた。予測通り。
私は、板を、抱えて、立ち上がった。手が、震えていた。いつものことだ。木剣を握るときと、包丁を握るときと、同じ震え。今日は、木剣も、包丁も、ない。
あるのは、もう一つの、道具だけだった。
私は、懐から、それを、出した。細い、木の棒。先端に、魔導の煙を出す、小さな石。気象観測士の、道具。風向を、目で見るための、『魔光棒』。ドリスが、合格の日に、くれたものだ。「読める者が、一人いれば、書く意味がある」。
私は、その棒を、握った。




