第7話 試験分析EX ―採点基準を読む―
その考えは、夜になっても頭から離れなかった。
納屋の藁の上で、私は図鑑の『剣士(D級)』のページを、隅から隅まで読み直した。試験要項、過去の合格率の推移、そして領主庁が公開しているという「実技評価規程」の写し。
図鑑は、公開されている文書なら何でも引っ張ってこられるらしい。ありがたいことに、この世界の役所は、規程類を几帳面に文書化する文化を持っていた。三千年、試験で回ってきた世界である。役所の几帳面さだけは、信用していい。
『実技評価規程 第四条 立ち合いは以下の四項目を各二十五点、計百点で評価する。
一、構え。二、足運び。三、有効打。四、防御動作』
読んだ瞬間、頭の中で、何かが小さく音を立てた。
【固定スキル『試験分析EX』が起動しました】
――評価構造を解析します。
視界の中で、規程の文章が分解され、組み替えられていく。前世の私が、あらゆる試験の過去問を前にやってきた作業を、スキルが十倍の速さで再現していた。
四項目、各二十五点。合格水準は、慣例上六十点。
(――待て)
私は身を起こした。藁がばさりと落ちた。
(有効打は、二十五点しかない)
村の誰もが、そして三日前までの私自身が、剣士試験を「試験官から一本取る試験」だと思い込んでいた。派手な一本。それが剣士の証だと。
だが規程はそう言っていない。構え二十五点。足運び二十五点。防御動作二十五点。一本も打ち込めなくても、この三つで七十五点。合格水準を、まるまる越える。
しかも、と私は過去の合格率の内訳に目を走らせた。図鑑が表示する統計の中に、興味深い一行があった。
『不合格者の失点傾向:足運びの項目における失点が全体の六割を占める。
攻勢時の前傾、および打ち込み後の姿勢崩れによる減点が最多』
(つまり、落ちる受験者の大半は、「一本取りにいって」体勢を崩し、足運びと防御の五十点を溶かしている)
もう一行、見逃せない記述があった。
『三分間の立ち合いにおいて、試験官は原則として先に仕掛ける。
受験者の防御動作を評価する必要があるため』
試験官が、先に打ってくる。つまり私は、三分間、先に打たれ続ける側に立てる。この試験は、受け身で生きる人間のために設計されたとしか思えない形をしていた。
攻めるから、落ちる。
この試験は、そういう構造をしていた。
私は暗くなった納屋の中で、一人、じわじわと口の端が上がっていくのを感じた。前世でも何度もあった。過去問を並べ、配点を読み、出題者の意図が透けて見えた瞬間の、あの、鍵穴に鍵が滑り込むような感触。
「……当てなくて、いいんだ」
声に出すと、それは魔法の呪文のように響いた。
当てなくていい。私の剣は印に当たらない。それは変わらない。だが、この試験は「当てる」試験ではなかった。「崩れない」試験だった。三分間、構えを保ち、足を運び、飛んでくる打ち込みを捌き続ける。それだけで、六十点を越える。
そして「崩れない」ためなら、やりようがある。牛が教えてくれた。相手が動く前には、必ず兆しがある。重心が沈む。肩が入る。その兆しさえ読めれば、六百キロの突進ですら躱せるのだ。人間の踏み込みが、牛より読みにくい道理はない。
私は羊皮紙の切れ端(マルテの家の帳簿の裏である)に、木炭で書き付けた。
一、有効打は捨てる。狙うのは「無失点」。
二、練習の主軸を素振りから「受け」と「足運び」に変更。
三、相手の動き出しの兆候を観察・分類する。教材……村の男衆。
書き終えて、ふと手が止まった。
これは、卑怯だろうか。正々堂々、一本を取り合うのが剣士ではないのか。
少し考えて、私は首を振った。規程を作ったのは領主庁であり、規程は誰にでも公開されている。読んだ者と読まなかった者がいるだけだ。試験とは、いつの世も、要項を読むところから始まっている。
それに――私は自分の細い腕を見た。牛追い三週間分の、ささやかな筋肉。
正々堂々一本を取り合ったら、私は百回やって百回落ちる。持たざる者が要項を読み込むことを卑怯と呼ぶなら、前世の資格試験は卑怯者の巣窟である。
ふと、気になって、私は規程の公開年月を見た。
二百年前。
二百年、この規程は公開されている。二百年、ブレナでは剣士試験が春と秋に行われ、五人に四人が落ち続けてきた。落ちた者の六割は、足運びで減点されている。
(……誰も、読んでいないのか)
読める者が少ないのだ。そして読める者は、たぶん、読む必要がない。腕があるから。
マルテの旦那は、読んだだろうか。二十年前に、落ちた人は。
聞けないことを考えるのはやめて、木炭を置いた。
【習得スキル『物理予測 Lv1』を獲得しました】
――対象の重心移動から、直後の動作を予測する。
ステータス画面に、新しい行が増えていた。牛追いと観察の日々を、システムが「スキル」として認めたらしい。
資格取得以外でもスキルは増える。それが分かったのも収穫だった。
私は藁に潜り込んだ。明日から、練習内容が変わる。
――村の男衆に「打ち込んでもらう」練習を、頼まねばならない。
寄り合いの笑い声を思い出して、胃が重くなった。社交性1。あの数字は、こういうときに請求書を回してくる。
幸いなことに、頼み方の台詞を考える時間は、朝までたっぷりあった。
私は帳簿の裏をもう一枚剥がし、台本を書いた。
案一「すみません、私を殴っていただけませんか」。……却下。通報される。
案二「鍛錬にご協力いただきたく」。……却下。堅い。村の言葉ではない。
案三「剣の稽古の、受け役を探しています。木剣で打ち込んでください。当てても怒りません」。
三案目を十回、小声で音読した。音読しながら、自分の声が震えないか確かめた。前世の面接の前にも、同じことをやった。やって、本番で三行目が飛んだ。
(……リーゼに頼むのが、たぶん一番早い)
思いついた瞬間、それが一番嫌な選択肢だと気づいた。彼女に頼めば、彼女は男衆に頼む。頼んでくれるだろう。そして一生、「あのとき頼んできたくせに」と言われる。
私は台本を折って懐に入れた。自分で言う。言えなかったら、折った紙を見せる。
資格試験の前夜に、こんな形の準備をしたことは、一度もなかった。




