第67話 酸化の魔法陣
その夜から、実技場の床が、私の板になった。
木炭で、床に、術式を、書く。この世界の術式は、魔法陣である。円と、線と、古代文字。魔力を、どこに流し、どこで、何に変えるかを、図形で、指定する。教本の火魔法の陣は、単純だった。円の中心に、魔力を流す。中心で、炎に変わる。それだけ。
私は、その陣の、外側に、もう一つ、円を、書いた。
「外の円は、風の陣だ。……ただし、風を、前に吹かせない。下から、上に、吹かせる」
エルフィーナが、床の陣を、見下ろしていた。アンナが、その隣で、木炭の粉で、手を黒くしていた。
「風を、上に? 炎を、上に、吹き飛ばすのか」
「違う。炎の、下だ。炎の根元の、少し下に、風の出口を作る。風は、炎の下から、上へ、抜ける。抜けるとき、炎を、通る」
私は、内側の円と、外側の円の間に、線を、引いた。線は、下から、上へ、向かっていた。
「煙突と、同じだ。囲炉裏の煙が、屋根の隙間から抜けるとき、下から、風が入る。囲炉裏の火は、その風で、燃える。煙突を、高くすれば、火は、強くなる。……この陣は、炎の周りに、見えない煙突を、作る」
「煙突……」
エルフィーナは、陣を、長いこと、見ていた。それから、しゃがんで、外側の円の、古代文字を、指でなぞった。
「この文字が、違う。人間の風の術式は、『押す』風だ。エルフの風は、『流れる』風だ。……ここは、流れる、にしろ」
彼女は、木炭を取り、文字を、一つ、書き換えた。私には、その文字が、読めなかった。古代エルフ語。図鑑の『古代エルフ語通訳士』の頁を、私は、まだ、開いたことがなかった。
「……ありがとう、ございます」
「礼は、いい。動いたら、言え」
私は、陣の、中心に、立った。手のひらを、下に向けた。詠唱。教本の、火の詠唱に、エルフィーナが書き換えた、風の一語を、繋いだ。
魔力が、流れた。
内側の円で、炎が、灯った。蝋燭だ。いつもの。
外側の円で、風が、動いた。床から、上へ。炎の、根元を、通って。
炎が、伸びた。
蝋燭が、拳になった。拳が、私の顔の高さまで、伸びた。伸びて、揺れて、それでも、消えなかった。実技場の天井に、炎の影が、揺れた。
アンナが、後ずさった。エルフィーナは、動かなかった。動かないまま、目だけが、炎を、追っていた。
私は、魔力を、止めた。炎が、消えた。ステータスを、開いた。
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三。消費魔力、三。蝋燭と、同じ。
同じ魔力で、炎は、五倍だった。
「…………」
誰も、何も、言わなかった。木炭の陣が、床で、黒く、静かに、あった。
「もう一度」
エルフィーナが、言った。声が、少し、掠れていた。
「もう一度、やれ。……今度は、私が、風の陣だけ、動かす。お前は、火だけを」
私が、蝋燭を、灯した。彼女が、風を、流した。炎は、また、伸びた。彼女の風は、私のより、滑らかで、炎の揺れが、少なかった。
「お前の風で、五倍。私の風で――」
彼女は、自分の炎を、灯した。九十五の、魔力の炎。的が、消滅する、あの炎。彼女はそれを、蝋燭ほどに、絞った。絞って、自分の風を、流した。
炎は、絞った状態から、私の顔の高さを、超えた。天井に、届いた。
消費魔力、二。測定器が、そう告げた。
エルフィーナは、手を、下ろした。天井の焦げ跡を、見上げた。見上げて、長いこと、黙っていた。
「……気に入らん」
彼女は、それだけ、言った。言って、床の陣の隣に、しゃがんで、自分の木炭で、陣を、書き写し始めた。




