第66話 炎とは何か
夜の実技場に、三人、いた。
私と、アンナと、そして、隅に座る、エルフィーナ。彼女は、アンナが来たことに、何も言わなかった。ただ、一瞥して、また、壁にもたれた。
「蝋燭を、灯してくれ。的の、真ん中に向けて」
アンナが、手のひらに、炎を灯した。小さな、黄色い炎。的の前で、揺れた。
「炎の、根元を、見て。……どっちに、揺れてる」
彼女は、炎を、見た。しばらく、見て、言った。
「上、です。上に、伸びて、時々、左に、揺れます」
「上に伸びるのは、なぜだ」
「……分かりません」
「熱い空気は、軽い。軽いから、上に、昇る。炎の熱で、炎の周りの空気が温まって、上に抜ける。上に抜けた分、下から、冷たい空気が、入ってくる。……炎は、その、入ってくる空気を、吸って、燃える」
私は、板を、床に置いた。板に、木炭で、書いた。前世の、高校化学の、あの図を。
三角形。三つの角に、三つの言葉。『可燃物』『酸素』『熱』。
「炎は、三つで、燃える。燃えるもの。空気。熱。……三つ揃えば、燃える。一つ欠けたら、消える」
アンナが、板を、覗き込んだ。
「……これ、呪文、ですか?」
「呪文じゃない。……理屈だ。俺の、故郷の、理屈」
故郷、という言葉を、私は、慎重に、使った。前世、とは、言えない。だが、嘘でも、なかった。
「この世界の、火魔法は、『魔力を炎に変える』。……この三角形で言えば、魔力が、『燃えるもの』と、『熱』の、二つを、兼ねてる。魔力が多ければ、燃えるものも、熱も、多い。だから、火力は、魔力で、決まる」
私は、三角形の、三つ目の角を、木炭で、囲った。
「でも、三つ目は、魔力じゃない。空気だ。空気は、誰の周りにも、ある。魔力四の人間の周りにも、魔力九十五のエルフの周りにも、同じだけ」
隅で、エルフィーナが、身じろぎした。
「魔力を、増やせないなら。……空気を、増やせばいい」
実技場が、静かになった。
アンナの炎が、揺れていた。彼女は、炎の根元を、見ていた。上に伸びて、時々、左に揺れる、その根元を。
「……空気を、増やす?」
「炎の下に、空気を、送り込む。炎が吸う量を、増やす。燃えるものと熱は、魔力四のままでいい。空気だけ、増やす」
「どうやって」
私は、板を、裏返した。裏には、まだ、何も、書いていなかった。
「それを、これから、考える。風魔法の、教本を、読み直す。エルフの、風の術式も」
私は、隅を、見た。エルフィーナは、壁にもたれたまま、腕を組んでいた。組んだまま、言った。
「エルフの風の術式は、五百年かけて、身体に刻む。人間には、五百年がない。ヴィルヘルムが、そう言った」
「はい」
「だが、教えるのは、五分で済む」
彼女は、立ち上がった。的の前に立ち、片手を、上げた。詠唱、二語。
風が、吹いた。実技場の、床から、天井へ。アンナの蝋燭が、その風の中で――一瞬、倍の高さに、伸びた。
アンナが、息を、呑んだ。
「……いま、炎が」
「伸びた。……お前の理屈が、正しければ、な」
エルフィーナは、手を、下ろした。風が、止んだ。蝋燭が、元の高さに、戻った。
「私は、風を、炎に、当てただけだ。空気を『送り込んだ』つもりはない。……だが、伸びた。なぜ伸びたのか、私は、五百年の術式を持っていて、説明できない」
彼女は、板の、三角形を、見た。
「お前の三角形は、それを、説明している。……気に入らん」
気に入らん、と言いながら、彼女は、板の前に、座った。




