第55話 隣席のエルフ
筆記は、二時間だった。
魔法理論。属性の分類。魔力回路の構造。魔法史。私は、図鑑の公開教本を、この二か月、麦粥の湯気の中で、読み込んでいた。問題は、教本の、範囲内だった。範囲内で、しかし、深かった。
隣の羽根ペンは、私より、速かった。
私が三問解く間に、彼女は、四問、解いていた。しかも、書く量が、少ない。一問に、二行。私は、五行、書く。書きながら、彼女の二行が、たぶん、私の五行と、同じことを言っているのだろうと、思った。理論を、身体で知っている者の、書き方だった。
二時間が、終わった。
昼を挟んで、実技。講堂の隣の、石造りの、実技場。壁に、的が、並んでいた。的は、拳ほどの、黒い塊。「魔導蝋」だと、試験官が言った。魔力を含んだ蝋で、火魔法の熱で、溶けたり、割れたりする。「制限時間内に、的を、破壊せよ。破壊の程度と、消費魔力の測定値で、採点する」。
貴族席の受験者から、順に、的の前に立った。
彼らの炎は、大きかった。詠唱が、五語、六語。手のひらから、拳大の火球が、飛ぶ。的は、溶け、あるいは、砕けた。試験官が、測定器を、見て、記録する。「消費魔力、二十四」「三十一」。数字が、読み上げられるたび、貴族席が、ざわめいた。
平民席の、番になった。
平民の受験者の炎は、小さかった。あるいは、出なかった。魔力量は、生まれつき――教本の、最初の頁に、そう書いてある。貧しい家の子は、魔力の回路が、育たない。栄養か、環境か、血か。教本は、理由を書かない。ただ、「生まれつき」とだけ、書く。
短い髪の、下町の少女の番だった。彼女の炎は、蝋燭ほどだった。的は、表面が、少し、溶けた。「消費魔力、四」。試験官は、記録した。少女は、唇を噛んで、席に戻った。
「――エルフィーナ・ティルナ」
隣席のエルフが、立った。
彼女は、的の前に立ち、片手を、上げた。詠唱は、三語だった。三語目が終わる前に、的が、消えた。
消えた、としか、言いようがなかった。炎は、見えなかった。一瞬、白い光が、走り、次の瞬間、的があった場所に、何もなかった。石の壁に、黒い、円い、焦げ跡だけが、残った。
実技場が、静まり返った。
「……消費魔力、九」
試験官の声が、上ずっていた。九。貴族たちの、三分の一以下で、的を、消滅させた。
彼女は、席に戻った。誰も、見なかった。
「――レオン・シラハネ」
私は、立った。
的の前に立つ。魔力、十一。蝋燭の、少女より、少し、多い程度だ。詠唱を、唱える。教本の、火魔法の、初級詠唱。手のひらに、炎が、灯った。
蝋燭だった。
小さな、揺れる、黄色い炎。貴族席から、笑い声が、小さく、上がった。
(……焦るな。時間は、ある)
私は、炎を、的に、近づけた。近づけて、蝋の、一点に、当てた。動かさなかった。『試験集中Lv5』が、手の震えを、押さえた。『熱力学制御Lv1』――今朝、手に入ったばかりのスキルが、炎の熱を、散らさず、一点に、留めた。
蝋が、溶け始めた。
一点だけ。穴が、開く。ゆっくりと、深く。私は、炎を、動かさない。時間が、過ぎる。貴族席の笑い声が、途中で、止まった。止まって、ざわめきに、変わった。
制限時間の、鐘が鳴る直前、穴が、的の裏側に、抜けた。
「……的、貫通。破壊、成立」
試験官が、測定器を、見た。見て、二度、見た。
「消費魔力、三」
三。エルフの、九の、三分の一。
貴族席が、別の意味で、ざわめいた。「貫通で、破壊扱い?」「魔力三で?」「あれは、破壊じゃない、穴だ」。試験官は、ざわめきを、手で制した。「要項には『破壊せよ』とある。的の構造を、貫通で、失わせた。破壊である」。
私は、席に戻った。手のひらが、熱かった。
隣席のエルフが、初めて、私を、見た。
一瞬だった。彼女の目は、緑で、そして、何かを、測っていた。測って、視線を、前に戻した。




