第53話 気象観測士試験 ―風向きと炎―
王立観測所は、上町の北端、城壁の上に建っていた。
上町へ入る門で、私は、初めて、通行証を通した。通行証の職業欄には、『剣士見習い/村人/清掃員』とだけ、書いてある。四つ目の職業は、ない。代わりに、備考欄に、ヘルガの、几帳面な字で、こう書かれていた。
『備考:分類不能職一件、資格院にて保留中』
「門番は、備考欄を、読まん」
資格院の受付で、彼女はそう言って、通行証を押しやった。「規定では、職業欄に台帳外の職名を書いてはならない。備考欄については、規定がない。……規定がないところに、書く。それだけだ」。私は、深く頭を下げた。彼女は、次の受験者を呼んだ。
門番は、本当に、備考欄を読まなかった。
上町は、匂いがしなかった。
石畳が、途切れずに続き、溝がない。溝の代わりに、道の脇に、鉄の格子が、等間隔に嵌まっている。格子の下を、水が流れる音がした。上町の下水路。ハルの下水路。私は、格子の前で、少し、立ち止まった。
観測所は、城壁の上の、丸い塔だった。塔の屋上に、風見と、幾つかの器具。試験官は、白髪の、痩せた老人だった。名を、ドリス。「王立観測所の、観測士は、私を含めて、三人だ」と、彼は言った。「三人で、王国全土の、天気を見る。……見て、報告して、誰も読まん」
試験は、屋上で、行われた。
「魔導気圧計。読め」
ガラスの管に、銀色の液体。目盛り。私は、読んだ。水銀気圧計と、原理は同じだった。管の上部が、魔力で真空にされている点だけが、違う。
「風向。風速」
風見と、風速計(羽根車である)。読んだ。
「では、この記録から、明日の天気を予測せよ。根拠とともに」
三日分の、気圧と、風向と、気温の記録。私は、記録を、目で追った。気圧が、下がっている。風が、南から北へ、回っている。前世の、私の一年が、頭の中で、開いた。低気圧の接近。前線。
「明日、昼過ぎから、雨。夕方、風が北に変わって、気温が下がる。……根拠は、気圧の低下と、風向の回転。低い気圧の塊が、南西から、近づいている」
ドリスの、白い眉が、上がった。
「『低い気圧の塊』?」
「気圧の低い場所が、動いて、近づいてくる、という意味です」
「教本には、そういう言い方はない。教本は、『南風が三日続けば雨』だ」
彼は、記録を、もう一度、見た。
「だが、お前の言い方のほうが、なぜ雨になるかを、言っている。……最後だ。『魔力と大気の相関』。答えよ」
これは、前世にない。図鑑の公開教本に、一行だけ、あった。「魔力を帯びた大気は、温まりやすく、上昇しやすい」。私はそれを、答えた。答えて、それから、聞かれてもいないことを、続けた。
「温まって上昇するなら、その下に、周りから空気が流れ込む。つまり、魔力を帯びた場所の、下では、風が起きる。……火魔法の炎の周りでも、同じことが起きているはずです。炎の熱で、上に空気が抜けて、下から、新しい空気が入る。その流れを、上手く作れば――」
私は、口を、閉じた。試験で、聞かれていないことを、喋りすぎている。
ドリスは、私を、長いこと、見ていた。
「お前、魔法士志望か」
「はい」
「なぜ、気象を?」
「魔法士の、関連資格だと、図鑑に」
「関連資格に、それを取りに来た人間は、私の三十年で、お前が初めてだ。……みな、火力で受かろうとする。風を読んで受かろうとした者は、いない」
彼は、羊皮紙に、合格の印を、押した。
ファンファーレが、城壁の上に、響いた。
♪♪♪♪
【資格取得】『気象観測士(C級)』
→ 能力上昇:知力+5 魔力+3
→ スキル獲得:『気象観測 Lv1』『熱力学制御 Lv1』
→ 職業解放:『気象士』
保有資格:6 / 12,000
魔力、プラス三。
転生以来、一度も動かなかった、魔力の数字が、初めて、動いた。八が、十一に。私は、その三を、しばらく、眺めていた。金の光が消えたあとも。
「……お前、今、光ったな」
ドリスは、驚かなかった。三人しかいない観測士は、驚くことに、慣れていないのかもしれない。
「三十年、誰も読まん報告書を書いてきた。……お前が魔法士になったら、報告書を、読め。読める者が、一人いれば、書く意味がある」




