第52話 アーカイブス:観測記録、三千回目
資格神アーカイブスは、記録をつけていた。
神に、記録は要らない。神は忘れない。だが、三千年前に資格制度を作ったとき、アーカイブスは、自らにも、一つの資格を課した。『世界管理者(EX級)』。その資格の職務規程の、第一条が、「観測し、記録すること」だった。作った本人が、規程を破るわけにはいかない。
だから、記録は、三千年分、ある。
その最新の頁には、こう書かれていた。
『観測番号三千。転生者、白羽蓮――現地名レオン・シラハネ。転生後、一年。保有資格、五。冒険者登録、一。分類不能職業、一。特記事項、以下』
アーカイブスは、筆を止め、世界樹の上から、下界を見下ろした。
王都の東三番通りの、溝の中。灰色のスライムが、五匹、ヘドロを食んでいる。その溝の縁で、痩せた少女が、椀の底の拙い字を、指でなぞっている。その光景を、少年が、二階の物置の窓から、見下ろしている。
「……下水か」
神は、少しだけ、笑った。
記録を、遡る。観測番号一。二千五百年前。転生者は、大陸最強の剣士になり、魔王を一度、倒した。倒して、死んだ。誰も、彼の剣を、継げなかった。
観測番号四十七。千二百年前。転生者は、大魔導士になった。魔法学院を作り、その学院は今も、上町の丘にある。だが彼の魔法を理解できる者は、彼の死後、一人も出なかった。
観測番号二千九百九十九。五百年前。転生者、ハル。彼は、上町の下水を作った。それから、勇者の資格を取った。取って、魔王領へ、一人で、行った。帰ってこなかった。下水は、上町で、止まった。
「みんな、強くなろうとした」
アーカイブスは、呟いた。誰に向かってでもなく。
「私が『新しい風』と言うと、みんな、『最強』だと思った。……私の言い方が、悪かったのかもしれない」
三千回目。
この転生者は、剣士の資格を取り、一度も剣を当てていない。下水清掃士を取り、井戸に石灰を撒いている。スライム鑑定士を取り、溝でスライムを飼っている。そして今、気象観測士を取ろうとして、三千Gを、麦粥の代金から、削り出している。
最強への、道筋が、どこにもなかった。
記録の特記事項に、神は、こう書いた。
『本転生者は、資格を、力としてではなく、道標として、使用している。すなわち、制度の設計思想に、最も近い使い方をしている。……三千回目にして、初めて』
筆を止め、もう一度、下界を見た。
少年は、物置の窓を閉め、藁の上で、図鑑を開いていた。開いているのは、『気象観測士』の頁ではなかった。最後の頁。黒く塗り潰された、EX000。彼は、その頁を、毎晩、一度は開く。開いて、何も書いていないことを確かめて、閉じる。
「……そこは、まだ、早いよ」
神は、小さく、言った。
世界樹の葉が、一枚、神の記録の上に、落ちた。神はそれを、払わなかった。葉は、去年より、少し、薄かった。
記録の、最後の行に、神は、もう一行、書き足した。
『世界樹、残存葉量、六十一パーセント。少女ミラ、観測を継続。……本転生者との接触、確認』
筆を置いた。
下界では、溝のスライムが、五匹、まだ、ゆっくりと、動いていた。
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