第49話 気象観測士、実在する
「――あるの!?」
叫んだのは、冒険者ギルドの広間の、真ん中だった。列に並んでいた冒険者たちが、一斉に、こちらを見た。私は、口を押さえ、頭を下げ、そのまま、外へ出た。
食堂に戻ると、麦の袋の上に、タビがいた。猫は、私の手の中の、光る板を、見た。気象観測士。私は、それを、猫に、見せた。見せる相手が、他に、いなかった。
「……で?」
声ではなかった。だが、届いた。猫の、欠伸と一緒に。『動物語Lv1』が、それを、拾った。
「で、って」
猫は、答えなかった。目を閉じた。私は、板に、書いた。『タビ。「で?」。……猫にも、番付があるらしい』。
出てからも、図鑑の頁を、閉じられなかった。
『気象観測士(C級)』
受験料:3,000G(王立観測所実施のため、資格院標準額より減免)
合格率:31%
試験内容:気圧・風向・気温の観測と記録、天候の予測、
および「魔力と大気の相関に関する基礎知識」
試験地:王都 王立観測所(上町北端) 春期最終週
備考:魔法士C級の関連資格。気象観測士保有者は、
風魔法および火魔法の実技において、加点対象となる。
気象予報士。
前世の、私の百七枚のうちの、一枚。取ったのは、十年前だ。合格率五パーセントの、難関だった。私はあの試験のために、熱力学と、流体力学と、大気の構造を、一年かけて、頭に叩き込んだ。取ってから、一度も、使わなかった。天気予報は、テレビが、やってくれたからだ。
その、一度も使わなかった知識が、この世界では、「魔法士の関連資格」で、「火魔法の加点対象」だと、図鑑が言っている。
なぜか。
炎は、燃える。燃えるには、空気が要る。空気は、動く。動きは、気圧と、温度で、決まる。魔力八の炎でも、空気の流れを、上手く作れば――
(……大きく、燃える?)
まだ、仮説だ。仮説だが、私の脳が、久しぶりに、あの音を立てていた。鍵穴に、鍵が、滑り込む音。
銀のスライム亭に戻ると、ミラが、厨房の卓で、板の裏に、木炭で、『ル』を、書いていた。二十回ほど、書いてあった。どれも、少しずつ、形が違った。
「レオン、見て。『ル』。……これ、合ってる?」
「合ってる。……明日、『ナ』だ」
「うん。で、レオンは、何を、そんなに嬉しそうに」
私は、図鑑を、彼女に見せた。気象観測士。三千G。彼女は、光の板を、覗き込んだ。字は、まだ、読めない。だから、私が、読んだ。
「気象、観測士。……天気を、読む、資格」
「天気?」
「明日、雨が降るか、風がどっちから吹くか。それを、観測して、当てる」
ミラは、板と、私の顔を、交互に見た。
「それ、取ると、強くなるの?」
強くなるのか。
私は、考えた。前世の気象予報士は、私を、一ミリも、強くしなかった。この世界の気象観測士は、図鑑によれば、火魔法の「加点」になるらしい。だが、加点とは、何だ。魔力八が、九になるのか。そうではない気がした。
「……わからん」
正直に、言った。
「わからんが、面白い。天気を読む資格が、魔法の役に立つと、図鑑が言ってる。なぜ役に立つのか、俺には、まだ、分からない。……分からないから、取りたい」
ミラは、しばらく、ぽかんとしていた。それから、笑った。厨房中に、響く声で。
「レオン、それ、私の炊き出しと、同じじゃない。明日、何ができるか、分からないから、考えるの。……分からないから、取るの?」
「……そう、かもしれない」
「じゃあ、私と、同じだ」
彼女は、板の裏に、二十一個目の『ル』を、書いた。
同じ。九十五と、四十二が、同じだと、彼女は言った。私は、それを、否定できなかった。
三千G。手元には、三千百七十G。マーサの給金と、賭け場の鑑定料と、麦粥の代金を引いて、春期最終週まで、ぎりぎり、届く。
届くなら、やる。




