第43話 挑戦力九十五
その夜、私は、図鑑を、閉じられなかった。
ヨナスの宿の屋根裏で、藁の上に座り、私はミラの表示を、何度も呼び出した。『なし(対象外)』。その四文字の下に、何かがある気がして、私は図鑑を、指で、下へ、下へと、めくった。
普通の人間のページは、資格の欄で終わる。荷運びの男のページは、『荷役夫E級』の下は、白紙だ。私自身のページですら、資格欄の下には、私にしか見えない『人生評価ステータス』が、あるだけだ。
ミラのページは、資格欄が、空だった。空だから――その下が、見えた。
【人生評価ステータス】
挑戦力:95 / 共感力:100 / 幸福度:70 / 社交性:88
「…………」
私は、藁の上で、しばらく、息を忘れた。
九十五。
私の挑戦力は、今、四十を少し超えたところだ。転生した日は三十五だった。神が「三千年観測した中で、ぶっちぎりの異常値」と呼んだ私の、資格への執念が、三十五である。
この数字は、何を測っている。
私は、システムの説明を、思い出そうとした。転生の日、私のステータスに、この四項目は最初からあった。だが説明はなかった。神も、何も言わなかった。私は、勝手に、こう理解していた――「挑戦力」とは、試験に挑む意志のことだ、と。だから私が高いのだ、と。
九十五は、試験を、一度も受けたことがない。
翌日、私は、もう一度、銀のスライム亭に行った。麦粥を頼み、隅に座り、昼の混雑が引くのを待ち、裏の路地の炊き出しを、もう一度、見た。
ミラは、昨日と同じように、鍋を掻き、子どもたちに麦粥を注いだ。だが今日は、途中で、鍋が足りなくなった。二十人分を注いだところで、あと三人、並んでいた。
「あー、ごめん! 今日、切れ端が少なくて!」
ミラは、三人に、頭を下げた。三人は、慣れた様子で、椀を引っ込めようとした。
「――待って。待って待って。えっと」
ミラは、厨房に駆け戻り、戻ってきたとき、その手には、自分の分だと言っていた黒パンが、一つあった。彼女はそれを、三つに、ちぎった。均等に、ではない。一番小さい子に、一番大きい欠片を渡した。
「はい。今日はパン。明日は多めに作るから」
三人は、パンを握って、壁際へ行った。
ミラは、空の鍋を抱え、厨房に戻りかけて――路地の入口に、私が立っているのを見て、立ち止まった。
「あ、麦粥の人。また来たの? 暇だね」
「……ミラさんは」
「ミラでいいよ」
「ミラは、なんで――」
言葉を、選んだ。選んで、選んで、結局、一番、無防備な言葉が、出た。
「なんで、そんなに、楽しそうなんだ」
彼女は、きょとんとした。それから、空の鍋を抱えたまま、少し考えて、答えた。
「楽しいからだよ?」
当たり前のことを聞かれた、という顔だった。
「鍋が足りなかったら、明日はもっと作る。パンをちぎったら、三人が食べられる。……それって、楽しくない? 私、明日、何ができるか、毎日考えるの。資格がないから、できることが、そんなに多くないでしょ。だから、余計に、考えるの。何が、できるかなって」
彼女は、鍋を抱え直した。
「それ、ちょっと、楽しいよ」
厨房の戸が、閉まった。
私は、路地に、立ち尽くしていた。図鑑を開くまでもなかった。九十五という数字の意味を、たった今、本人が、鍋を抱えたまま、説明していった。
挑戦力とは、試験に挑む意志のことではなかった。
明日、何ができるかを、考える力のことだった。私は、試験の中でしか、それを考えたことがなかった。




