第41話 麦粥一杯、三十G
東三番通りは、下町の、そのまた奥にあった。
ヨナスの商人宿で二晩を過ごし、三日目の朝、私は資格院の受付にもう一度並び、もう一度「保留」を言い渡された。「説明できる書類」は、一晩考えても、どこからも生えてこなかった。書記は本当に申し訳なさそうで、それが余計に応えた。
宿を出るとき、ヨナスは「三日と言ったが、あと二日は置いてやる」と言ってくれた。私は礼を言い、しかし五日目には出るつもりでいた。彼の宿代は一泊六十G。私の三千二百Gは、寝ているだけで、溶ける。
貼り紙の食堂を探して、私は溝の匂いの中を歩いた。
下町の道は、迷路だった。石畳は途中で土になり、土は途中でぬかるみになり、ぬかるみの脇を、溝が走る。家々は木骨造の二階建てで、二階が道の上へ迫り出し、空が細い。子どもが多かった。裸足で、溝の縁で、何かを拾っては投げていた。
匂いは、溝だけではなかった。
角を曲がった途端、別の匂いが来た。煮えた麦と、塩と、油と、それから――何かの肉を焼いた、香ばしい匂い。腹が、勝手に鳴った。三日間、私はヨナスの宿で、堅パンと水しか口にしていない。
その匂いの元に、看板があった。板に、白い塗料で、丸い何かの絵。丸い何かは、たぶん、スライムだった。
『銀のスライム亭』
戸は開け放しで、中は、昼前だというのに、賑わっていた。長机が四つ。座っているのは、荷運びの男たち、洗濯女、そして、私と同じ、目だけが真剣な若者が数人。壁に、木炭で献立が書いてある。
『麦粥 三十G / 豆と塩肉のスープ 五十G / 黒パン 二十G / 受験生は麦粥、二十五Gにまける』
私は戸口に立ったまま、財布の中身を、頭の中で、三度数えた。ヨナスの宿代を引き、この先の日数で割る。麦粥、二十五G。一日一杯なら、百二十日。一日二杯なら、六十日。
六十日で、E級を六つ取り、金を稼ぎ、魔法士の受験料を作る。
無理だ、と、前世の私なら言った。
「――いらっしゃい! 座って座って、立ってると通れないから!」
声が、飛んできた。
厨房の窓から、少女が顔を出していた。亜麻色でも黒でもない、栗色の髪を、布で無造作に括っている。頬に、煤がついていた。年は、私と同じか、一つ上。目が、大きかった。大きくて、笑っていた。
「受験生でしょ? その顔、受験生の顔! 麦粥でいい? 二十五Gね!」
私は、頷いた。頷いて、長机の隅に座った。
少女は厨房から出てきて、木の椀を、私の前に置いた。湯気が立っていた。麦粥。ハルムの、あの、お湯の記憶のような麦粥とは、違った。塩気があり、豆が入り、そして、上に、小さく刻んだ、何かの肉が、散っていた。
「肉……?」
「魔物肉の切れ端。冒険者ギルドの解体場で、捨てるやつ。女将さんが、ちゃんと火を通して、毒を抜くの。ほんとは駄目なんだけど――」
少女は、いたずらっぽく、声を落とした。
「――内緒ね」
私は匙を取った。一口。塩気と、麦と、豆と、脂の味が、三日ぶりに、身体に沁みた。
沁みて、それから、気がついた。空腹が満たされていく、その速さが、おかしい。一口で、身体の芯が、温まっている。麦粥一杯で、そんなはずはない。
だが、そのときの私は、それを「三日ぶりの温かい飯だからだ」と思った。
「うまい、です」
少女は、にっと笑った。
「でしょ! 私はミラ。ここの看板娘。……名前で呼ばれるほど、大した娘じゃないけどね」




