第4話 村人E級という通過儀礼
「レオン。お前、歳は十五で相違ないな」
朝の戸口に、村長オルバンが立っていた。
薪を割る手を止めて、私は曖昧に頷いた。木剣はまだ納屋の梁に吊るされたままである。十日分の薪は、三日目に入ったところだった。
「はい。……たぶん」
記憶喪失(設定)なので歯切れは悪くなるが、身体は間違いなく十五歳である。村長は頷き、懐から折り畳んだ羊皮紙を取り出した。
「来月の刻印日、村で『十五の儀』をやる。今年はお前とリーゼ、あとは鍛冶屋の倅のエミルだ。三人。お前も受けろ」
刻印日。
図鑑で見た覚えがある。春と秋、年に二度。王国中の試験の合格者が神殿で魂に刻印を受ける日で、村も町も、その日は畑も鍛冶場も休む。農繁期の真ん中に休みを入れるのだから、三千年、相当な覚悟で守られてきた祝祭だということになる。
そして十五の儀は、この世界の成人式であり、同時に、人生最初の資格試験だった。
村人E級。
『村人(E級)』 受験料:500G(村が共同で納める) 合格率:ほぼ100%
――村落共同体の一員としての基礎知識(村の掟・農事暦・納税義務)を認定する。
試験形式:口頭試問(領主庁より下級審査官が派遣される)
備考:不合格事例は過去十年で0件。
「合格率、ほぼ百パーセント……」
私は思わず、その数字を二度読んだ。
前世の資格の世界にも、合格率の高い試験はあった。だがそれらを、私はどこかで軽んじていた。「誰でも受かる試験に価値はない」。難関資格の合格証だけを額に入れ、簡単な検定の賞状は衣装ケースの底に沈めた。あの六畳一間の壁には、序列があったのだ。
村長は、私の顔をどう読んだのか、少し声を低くした。
「言っとくが、村人E級を馬鹿にするなよ」
「……はい」
「あれはな、『この村がお前を村の者と認める』という儀式だ。掟を諳んじるのはついでよ。大事なのは、村の全員の前で、審査官様から『お前はハルムの村人である』と言ってもらうことだ」
村長は、羊皮紙を広げてみせた。字は読めないらしく、指の置き方が逆さまだった。
「それがあって初めて、お前は共同畑に入れるし、井戸の水を汲めるし、飢えた年に村の蔵から麦を借りられる。……去年の冬、北の村で一人、儀を受けずに流れてきた男がおった。畑に入れん。蔵も借りられん。春に、いなくなった。どこへ行ったかは知らん」
知らん、と言うときの村長の声は、平らだった。
「資格ってのは、そういうもんだ。先祖代々の村人になれ。悪いようにはならん」
村長が帰ったあと、私はしばらく戸口に立ち尽くしていた。
先祖代々の村人になれ。
その言葉は、寄り合いの夜までの私には「挑戦を諦めろ」としか聞こえなかった。だが村長の説明を聞いた今は、少し違う輪郭で聞こえていた。
この世界の資格は、能力の証明である前に、共同体への加入証なのだ。誰でも受かる試験に、村は五百Gを払う。それは無駄金ではない。「お前は一人ではない」と一人の子どもに告げるための、百二十人の村の、精一杯の会費なのだ。
(合格率百パーセントの試験が、十年間、一人も落とさず続いてきた)
その事実に、私は不覚にも、じんとしてしまった。前世の私が軽んじていた「誰でも受かる試験」は、こちらの世界では三千年間、人を共同体に迎え入れる仕事をし続けてきたのである。
「何ニヤニヤしてんのよ。気持ち悪」
薪を抱えたリーゼが、胡乱な目で通り過ぎていった。彼女も来月、同じ儀を受ける。
「リーゼは、十五の儀、楽しみか」
「別に。掟なんて五つの頃から言えるし。……まあ」
彼女は薪を置き、少しだけ声の調子を変えた。
「儀式の日は、村中がごちそう出すのよ。去年は鶏が三羽つぶれた。ペーターがそれだけ楽しみにしてる。……あの子、去年は骨までしゃぶってた」
ごちそう。鶏三羽。人口百二十人。
一人あたりの鶏肉の量を暗算しかけて、やめた。数字にしてはいけない温かさというものが、世の中にはある。
「あんたも出るんだから、ちゃんと掟覚えなさいよ。三問間違えたら、審査官様が困るんだから」
「落ちた者はいないんだろう」
「落ちないように、審査官様が待ってくれるのよ。待たせたら恥でしょ」
合格率百パーセントの正体が、そこにあった。落とさない試験ではなく、落とさないために試験官が待つ試験なのだ。
◇◇◇
その夜、私は図鑑の『村人(E級)』のページを開き、試験範囲の「村の掟」三十二条を写し取った。マルテに聞き、村長に聞き、井戸端の女たちに聞いて、注釈をつけていく。
第七条「井戸の縁で洗い物をしてはならない」。
(ちゃんと、あるじゃないか。衛生の知恵)
三千年前の誰かが、井戸で洗い物をした村で何かが起きたのを見て、この一行を書いた。それが掟になり、掟が暗唱され、暗唱が儀式になった。
ただ、第七条が守られていないことを、私はもう知っている。昨日の夕方、井戸の縁で芋を洗う女を二人見た。掟はある。掟を「なぜ守るのか」を説明できる者が、いないだけだ。
「マルテさん。第七条、なぜ井戸の縁で洗っちゃいけないんでしょう」
「掟だからだよ」
囲炉裏の向こうから、咳の合間に返ってきた。
「婆さまもそう言ってた。その婆さまも、そう言われたんだろ」
三千年の伝言ゲームの、末端がここだった。
合格率百パーセントの試験勉強を、私は生まれて初めて、真剣にやることに決めた。
◇◇◇
夜更けに井戸へ水を汲みに出ると、鍛冶屋の裏で、エミルが掟を唱えていた。十四の、トマスの弟である。
「第二十一条、『共同畑の畝は、割り当てを越えて踏まぬこと』。……第二十二条、ええと」
「『刈り入れの順は、村長の定めに従う』」
「……そう、それ」
彼は私を見上げて、少し、ばつの悪い顔をした。
「兄ちゃんたちは、五つで覚えたって言うけど。俺、三回落ちそうで怖いんだ」
「落ちた者はいないらしい」
「いないって聞くほど、怖いんだよ」
それは、よく分かる話だった。百パーセントの試験で落ちた一人目になる恐怖は、十八パーセントの試験に落ちる恐怖より、たぶん重い。
「エミル。明日から、夜、二十二条から先を一緒に唱えよう。私も覚えるから」
「……兄ちゃん、剣士受けるんだろ。そんな暇あるのか」
「暗唱は、歩きながらできる」
村長が置いていった羊皮紙を、囲炉裏の明かりに寄せる。十五の儀の次第が、几帳面な役人の字で並んでいた。
『一、刻印日正午、村の広場に集合すること。一、受験者は手と顔を洗って出ること。一、保証人(親または村長)同席のこと。一、審査官到着まで、鍋の蓋を取らぬこと』
最後の一条の意味を、私は三十回読んでも掴めなかった。たぶん、去年、誰かが取ったのだ。
そして次第の下の隅に、派遣される審査官の名が、小さく書かれていた。
『審査官 ヴィム・エッカート (ロバにて来訪)』




