第35話 畑が死んだから山に入った
ブルーノは、荷台に手をかけ、麻袋の口を、少しだけ開けた。
豆の種と、麦の種。彼はそれを一握り、掌に載せ、しばらく、眺めた。眺め方が、山賊の眺め方ではなかった。私はハルムで、村長が春の種を検める顔を、何度も見ている。あれと、同じ顔だった。
「……いい種だ。ブレナの種屋のか」
「はい」
「俺の村の種は、三年前に、死んだ」
彼は、種を、麻袋に戻した。一粒も、こぼさなかった。
「南の谷の村だ。ハルムより、少し大きかった。土が良くてな、麦は年に二度取れた。……三年前の春、王都から来た商会が、『魔導農薬』ってのを売りにきた。虫がつかねえ、草も生えねえ、収穫は倍だと。村は、その年の貯えを全部出して、買った」
ヨナスが、御者台で、小さく「あれか」と呟いた。行商の間では、知られた話らしかった。
「一年目は、確かに、倍取れた。二年目は、半分になった。三年目、土が、白くなった。何を蒔いても、芽が出ねえ。……商会に文句を言いに行ったら、『使い方が悪い』の一言だ。領主に訴えたら、『領主庁には農業士がいないから、判定できない』だ」
農業士。図鑑の、あの資格だ。志望者が、年に数人しかいない資格。ブルーノの村の土が死んだとき、それを「判定できる」者が、領主庁に一人もいなかった。
「畑が死んだから、山に入った。それだけだ」
ブルーノは、荷台から、手を離した。
「小僧。俺の弟は、あの年、農業士を受けるはずだった。受験料が一万五千G。村が死んで、払えなくなった。今は王都で、何をしてるか知らねえ。……お前は、四つ資格を取ったそうだな。四つで、いくら払った」
「四千と、五百Gです。村が、出してくれました」
「村が出した、か」
彼は、笑った。河原に響く声ではなく、喉の奥で、小さく。
「いい村だ。守れよ」
それから彼は、荷台の麻袋を、一つだけ、肩に担いだ。三つあるうちの、一つ。
「――ブルーノさん」
「安心しろ。金は取らねえ。塩も、鍬も、取らねえ。種籾を、一袋だけ、もらう」
ヨナスが「おい!」と叫んだ。ブルーノは振り向かなかった。
「山の裏に、まだ白くなってねえ土が、少しある。……三年、蒔いてねえ。蒔いてみたくなった。お前の当たらねえ剣のせいだ」
四人の山賊が、林の縁へ、戻っていく。弓の男が、最後に振り返って、河原に突き立った矢を、六本、拾って帰った。矢は、作るのに手間がかかるからだ。
林の縁で、ブルーノが立ち止まり、肩越しに言った。
「小僧。王都で、弟に会ったら――いや、いい。会うわけがねえ」
草が揺れて、影が消えた。
しばらく、私とヨナスは、河原に立ち尽くしていた。荷馬車は無傷で、塩も鍬も無事で、種籾は、三分の二になった。
「……兄ちゃん」
「はい」
「儂は二十年、この街道を往復してる。山賊に、種籾一袋で済まされたのは、初めてだ」
ヨナスは、御者台に座り直し、手綱を握った。握ってから、しばらく、握ったまま、動かなかった。
「あの麻袋一つ、四百Gだ。ハルムの村長に、儂が弁償する。……いや、弁償じゃねえな。あれは、種代だ。南の谷の、三年蒔いてねえ土の」
荷馬車が、橋を渡り始めた。
私は荷台の上で、木剣の柄を見た。ペーターの組紐が、河原の砂を噛んで、少し汚れていた。
【習得スキル『物理予測 Lv2 → Lv3』】
――射線・弾道の予測領域が拡張されました。
【習得スキル『後の先 Lv1 → Lv2』】
ステータスは、淡々と、今日を記録した。一度も打たなかった剣の、成長として。




