第34話 一度も当たらない剣
「当たらねえ、か。そりゃ正直だ」
男は、笑いながら、しかし剣を下ろさなかった。転んだ二人が起き上がり、彼の左右に並ぶ。林の縁から、弓を持った一人も出てきた。四人。全員、農民の顔をしていた。日に焼け、痩せ、目だけが飢えている。
「俺はブルーノ。この街道で、三年、荷を取ってる。……小僧、名は」
「レオン。ハルムの村の者です」
「ハルム。あの藁葺きの村か。……お前、その荷馬車の護衛か。剣士か」
「昨日、剣士D級を取りました」
言ってから、しまった、と思った。ブルーノの目が、少し険しくなったからだ。
「資格持ちか。……なら、話は早い。荷を置いて、行け。お前は殺さねえ。剣士の木札を持ってりゃ、どこでも食える。俺たちは、そうじゃねえ」
ヨナスが、御者台で「冗談じゃねえ」と呻いた。私は木剣を構えたまま、考えた。
四対一。私の剣は当たらない。逃げれば、荷は取られる。荷には、ハルムの種籾がある。
だが、ブルーノの言葉が、耳に残っていた。「殺さねえ」。三年、荷を取っている山賊が、護衛を殺さないと言う。それは、どういう山賊だ。
「ブルーノさん。一つ、聞いてもいいですか」
「あ?」
「橋のたもとの荷馬車。あれも、あなたたちが。……人は」
「殺してねえ。馬は取った。荷主は、走って逃げた」
即答だった。嘘の間が、なかった。
「三年で、何人、殺しました」
「一人も」
ブルーノは、剣を、少しだけ下げた。
「小僧。俺たちは、山賊だ。だが、人殺しじゃねえ。人を殺せる腕があるなら、俺たちは、山にいねえ。傭兵にでもなってる。俺たちにあるのは、鍬を振った腕だけだ」
鍬を振った腕。
私は、彼の右肩を見た。鉈の男の右肩、棒の男の左足。癖は、全部、農作業の癖だった。ハルムの男衆と、同じ身体の使い方。
「――行くぞ。荷を置いて逃げねえなら、力ずくだ」
ブルーノが、踏み込んだ。
彼の剣は、他の三人とは違った。速かった。だが、速いだけだった。踏み込む前に、右肩が上がり、腰が回る。鍬を振る動きだ。剣を鍬のように振る男。軌道は、大きく、正直で、終点が、はっきりしていた。
私は、置いた。
剣が木剣を滑る。流れる。ブルーノは踏みとどまった。さすがに、転ばない。二合目。また、置く。三合目。四合目。彼の剣は、一度も私に当たらず、私の木剣は、一度も彼を打たなかった。
河原に、木と鉄の擦れる音だけが、続いた。
五合目で、ブルーノが、動きを止めた。肩で、息をしていた。三年、山にいる男の身体は、痩せて、長くは動けない。
「……お前、なんで、打ってこねえ」
「当たらないと、言いました」
「嘘つけ。今、三度は、打てた。俺の脇腹、がら空きだった」
そうかもしれない。だが、私は打たなかった。打てば当たったかもしれない。当たれば、鍬を振っていた腕が、折れたかもしれない。
「打ったら、あなたは、鍬が振れなくなる」
ブルーノの目が、揺れた。
「畑に、帰れなくなるでしょう」
しばらく、誰も、動かなかった。川の音だけがしていた。
ブルーノは、剣を、下ろした。完全に、下ろした。そして、荷馬車を見た。塩の樽、鍬、そして、麻袋。
「……荷台の、あの麻袋。中は何だ」
「ハルムの、春の種籾です」




