第32話 山賊の狼煙が近い
丘の頂上から、街道の先が見えた。
丘を下りきったところに、小さな川があり、木の橋がかかっている。その橋のたもとに、荷馬車が一台、横倒しになっていた。荷は散乱し、馬はいない。人影もない。狼煙は、その少し先の、見張り小屋らしい場所から上がっていた。
「……先に襲われたのは、あれだ」
ヨナスが呻いた。
「橋のたもとで待ち伏せされたんだ。橋は一本道だ。渡り始めたら、逃げられねえ」
私は荷台の上に立ち、周囲を見渡した。街道の両側は、雑木林。橋の手前は、少し開けた河原。山賊は、どこにいる。
『物理予測Lv2』は、動くものの重心を読むスキルだ。見えない相手には、働かない。だが――と、私は前世の頭で考えた。矢を射るには、弓が要る。弓を引くには、足場と、射線が要る。この河原で荷馬車を狙うなら、林の縁の、高い場所。
「ヨナスさん。あの橋の手前で、矢が飛んでくるとしたら、どこからです」
「あ? そりゃ、あの林の縁だろう。少し高くなってる」
「距離は」
「五十歩ってとこか」
五十歩。この世界の狩猟弓の有効射程は、図鑑の『弓術士(D級)』要項によれば、六十歩。五十歩なら、当たる。だが五十歩で放たれた矢は、放物線を描く。放たれてから届くまでに、一呼吸ある。
(一呼吸あれば、見える)
「ヨナスさん。荷馬車を、橋の手前で、一度止めてください」
「止める!? 狙い撃ちだぞ!」
「止めて、私が荷台から降りて、前に立ちます。矢が来たら、荷馬車の陰に入る方向を、私が言います。……言ったら、迷わず、馬を動かしてください」
ヨナスは、私を見た。震える手で木剣を握った、細い少年を。
「兄ちゃん。当たらねえ剣で、何する気だ」
「剣は使いません。矢は、剣で払えませんから」
「じゃあ何を使う」
「目です」
我ながら、頼りない返答だった。だがヨナスは、御者台で大きく息を吐き、手綱を握り直した。
「――ガルムの旦那が、お前の何を見込んだのか、儂には分からん。だが、あの旦那は二十年、儂の荷の護衛を選んできた。旦那が選んだやつを、儂は疑わねえ。行くぞ」
荷馬車が、丘を下り始めた。
私は荷台の縁に立ち、林の縁を見ていた。頭の中で、砂時計が返る音がした。試験開始の音。試験なら、私は無敵だった。これも、試験だと思えばいい。出題者は山賊。配点は、命。
河原に出た。橋が近づく。
林の縁の草が、揺れた。風とは違う揺れ方。三か所。
(三人。……いや、四人)
草の揺れの、一か所が、他より大きい。誰かが、立ち上がろうとしている。弓を引くために。
「止めて」
荷馬車が、橋の手前で止まった。私は荷台から飛び降り、荷馬車の前に立った。
林の縁で、人影が立ち上がった。弓が、引き絞られた。矢が、こちらを向いた。
射手の肩が、わずかに下がった。
(来る)




