第28話 同じ日に下水清掃士
翌朝、私は再び、領主庁の裏の広間にいた。
広間は、昨日とは別の建物のように、がらんとしていた。長机が二つ。受験者は、私と、もう一人。五十がらみの、腰の曲がった男だった。ブレナの町の下水溝の清掃を、四十年やっているという。「息子が『親父も資格くらい取れ』ってうるさくてよ」と、彼は照れくさそうに笑った。無資格で四十年、町の下水を守ってきた男である。
試験官は、ヘルガだった。彼女は昨日と同じ帳簿を開き、二人分の答案用紙を配った。
「下水清掃士E級、筆記。……レオン。お前、昨日剣士に受かったばかりだな」
「はい」
「同じ試験期に、二つ目か」
昨日の、同じ言葉だった。ただ、今日の彼女の声には、昨日にはなかった響きが混じっていた。
「もう一つ、受けます」
私がそう言うと、広間の隅で、記録係をしていた領主庁の若い書記が、羽根ペンを止めた。ヘルガも、ほんの一瞬、黙った。試験官二人の沈黙は、短かったが、確かにあった。
「……始め」
筆記は、二十問。汚水溜の構造、清掃の頻度、石灰の適正量、溝の底の「悪い空気」(私の前世の言葉で言えば硫化水素とメタンである)への対処、そして王国下水法規の罰則。棚卸しの板で最後まで白かった罰則規定を、私は出発前夜に三度読んでいた。
隣の男の羽根ペンは、遅かった。字を書くのが得意ではないらしい。だが、答えの内容は――私は横目で見るまでもなく、確信していた。四十年、溝の底で生きてきた男の答えが、教本より間違っているはずがない。
私が先に書き終え、待つ間、隣の男の答案の最後の一行が見えた。
『溝の底におりる前に、火をつけたぼろ布を先におろす。火が消えたら、おりない』
教本には、載っていない。載っていないが、正しい。悪い空気は、火を消す。前世の消防設備士の教本に、同じことが書いてあった。
昼前、採点が終わり、ヘルガが二人を呼んだ。
「二名とも、合格。……ダグ。四十年分の答えだった。教本にないところで、二問、私が採点基準を書き足した」
腰の曲がった男が、目を瞬いた。ヘルガは、それから私に向き直り、そして――
ファンファーレが、鳴った。
昨日より、控えめに聞こえたのは、たぶん受験者が二人しかいなかったからだ。だが金の光は、昨日と同じ螺旋を描いた。
♪♪♪
【資格取得】『下水清掃士(E級)』
→ 能力上昇:HP+5 知力+2
→ スキル獲得:『消毒 Lv1』『危険気体察知 Lv1』
→ 職業解放:『清掃員』
→ 資格シナジー検出:『雑草判定士』×『下水清掃士』
= 複合技能『環境管理(初級)』を獲得
保有資格:4 / 12,000
「――なんだ、そりゃあ!」
ダグが、腰の曲がったまま、飛び上がった。
「兄ちゃん、あんた、下水の資格で光ったのか!? 俺の四十年で、下水で光ったやつは初めて見た!」
私は光の中で頭を掻いた。剣士のときと同じ音、同じ光。システムは、等級や年収で、祝福の派手さを変えない。剣士D級と下水清掃士E級は、天からの光の量において、まったく対等だった。
(……そう、なのか)
その事実に、私は妙に感動していた。番付は、下水清掃士を「無価値」の段に置く。だがこの世界の、資格制度の根本にあるシステムは、そんな段を作っていない。ただ「学んで、認められた」ことだけを、祝う。
ヘルガは、二枚の木札を用意しながら、言った。
「レオン。剣士D級と下水清掃士E級を、同じ試験期に取った者は、この領主庁の記録にはいない。……理由は分かるか」
「受ける人が、いないから、でしょうか」
「そうだ。剣士を受ける者は、下水を受けない。下水を受ける者は、剣士を受けない。世間では、その二つは、別の身分の資格だ」
彼女は、木札を私に押しやった。
「お前は、それを、二日で並べた。私にはまだ、それがどういう意味なのか、分からん。……だが、記録には残しておく」
ダグが、私の肩を叩いた。溝の匂いのする、大きな手だった。
「兄ちゃん、あんたが村で井戸の土手を盛ったって話、聞いたぜ。ブレナの溝も、見てけよ。俺が案内する。……四十年目の資格持ちが、な」
その午後、私はブレナの下水溝を、ダグと一緒に歩いた。石造りの町の、石造りの溝。ハルムの溝より百倍立派で――そして、上町の一角以外は、ハルムと同じように、詰まり、溢れ、井戸の横を流れていた。




