第23話 獣人の試験官ガルム
筆記試験の朝、広間の前に、貼り紙の前で立ち止まる受験者が、十人ほどいた。
私は列の後ろから、それを見ていた。誰も貼った者を探そうとはしない。ただ写している。それでいい。
そして、その受験者たちの背後に、一人、異様に背の高い影が立っているのに気づいた。
背は六尺半を超える。肩幅も広い。だがそれ以上に目を引くのは、頭部だった。灰色の短い毛に覆われ、耳は尖って頭の上に立ち、口元から犬歯が覗いている。狼と人の間の顔。獣人だった。ハルムには一人もいなかったが、図鑑の種族項目にはあった。北方国境と、傭兵団と、冒険者ギルドに多い、と。
彼は貼り紙を読み、それから、列の中の私を、まっすぐに見た。
嗅覚、と図鑑にはあった。獣人は、匂いで人を覚える。貼り紙の紙に残った匂いと、私の匂いを、たぶん彼は結びつけていた。
「……お前か」
低い声だった。怒っている声ではなかった。私は正直に頷いた。
「余計なこと、でしたか」
「いや。うちの試験で落ちるやつの半分は、剣の前に、剣術史の年号で落ちる。……あれは公開資料だ。貼ったところで、誰も損はしない」
彼は、木札を首から提げていた。『実技試験官 ガルム 冒険者ギルド・ブレナ支部』。
筆記は昼前に終わった(内容は次の話に譲る)。午後、実技の受験者説明があり、その後、私は広間の裏の、井戸端で水を飲んでいるガルムに、また出くわした。というより、彼のほうが、水を飲みながら私を待っていたようだった。
「ハルムの村から、二つ受けるそうだな。ヘルガが言っていた」
「はい」
「なぜ、剣士だ」
私は、集会所で言った答えを、そのまま言った。合格率十八パーセント。五人に一人なら、受かったら嬉しい。ガルムは、鼻の先で、ふっ、と息を吐いた。獣人の笑い方だと、後で知った。
「変わってるな。……俺は、なぜ剣士かと聞かれたら、答えは決まってる。騎士を受けられなかったからだ」
彼は井戸の縁に腰を下ろし、大きな手で、柄杓を弄びながら、淡々と話した。
「北方国境の砦で、十年、剣を振った。国境騎士団の下働きだ。給金は騎士の三分の一。だが、魔物の相手は同じだけした。三年目に、騎士資格を受けようと思って、要項を読んだ」
彼は、空中に指で、四角を描いた。要項の、ある一行の場所を。
「『受験資格:人間種およびエルフ種に限る』」
風が、井戸端を抜けていった。
「別に、驚きはしなかった。獣人は、そういうもんだ。傭兵ならなれる。冒険者にもなれる。剣士D級までは受けられる。だが『騎士』は、王国の紋を背負う資格だからな。獣の血には、紋は背負わせられんそうだ」
ガルムは、柄杓の水を、井戸に戻した。
「砦を辞めて、冒険者になった。試験官までやってる。俺が剣士の合否を決める側になって、七年だ。……皮肉なもんだろう。俺は、俺が受けられなかった資格制度の、番人をやってる」
私は、何も言えなかった。図鑑を開けば、その一行は今も、騎士資格の要項に載っているだろう。三千年前に「人生の道標」として作られたはずの制度に、いつの間にか、道の入口で人を選ぶ札が掛かっている。
「……明後日」
ガルムが立ち上がった。立つと、影が私を覆った。
「俺は手加減しない。試験だからな。だが、お前の貼り紙の分だけ、一つ教えておく」
彼は、自分の左足を、軽く前に出した。
「獣人の癖は、獣人ごとに違う。闇予備校の連中が『ガルムの癖』と教えてるやつは、五年前の俺の癖だ。俺はもう直した。……本番で、自分の目で見ろ」
そう言って、彼は広間の裏へ消えた。
私はその場に立ち尽くし、頭の中で、彼の左足が前に出た一瞬を、何度も、何度も、再生していた。




