第165話 娘を闇予備校に
「四万二千G……十年分か」
靴屋のおじいさんは、目を閉じて、私が読み上げる異議申し立ての書類を聞いていた。
目を開けて、指を折る。
「孫の予備校の月謝が、月に三千Gだ。……十四か月分だな」
四万二千Gを、おじいさんは孫の月謝で数えていた。
お金の大きさを測る物差しは、人によって違う。マーサさんの物差しは麦粥の杯数。ドルフ親方の物差しは、肉が何人分になるか。前世の私の物差しは――受験料だった。
「この紙を出したら、どうなる?」
「資格院が審査します。結果は、一か月後です」
「一か月……。その間、板は?」
「打たれたままです」
「……孫は?」
答えられなかった。
書類は完璧だ。字も数字も、一つも間違っていない。
でも、今夜の寝る場所を一つ増やすことは、この紙にはできない。
◇◇◇
闇予備校は、路地の先の倉庫の二階にあった。
ブレナの町で見たのと、そっくり同じ作りの倉庫だった。
階段を上る。踏み板が、一枚抜けていた。
(直せよ……月謝三千Gの生徒が二十人もいるなら、直す金くらいあるだろ……)
抜けた段を飛び越えて、二階へ。
壁一面に、木炭で過去問が書いてあった。二十人くらいが、それを黙々と写している。
その中に、十四歳くらいの女の子がいた。
「……おじいちゃんの店の、人?」
目が大きかった。ミラに、少しだけ似ていた。ミラより、疲れていた。
「名前は?」
「エマ、です」
「何の資格を目指してる?」
「商人C級。……先生が、『一年で取れる』って」
「教材は?」
「……あれ、です」
エマは、壁を指さした。
壁の過去問は――資格院が公開している、商人C級の過去問五年分だった。
一問十Gで、誰でも写しが買える。図鑑にも載ってる。
「これを一年、写すだけ? 実技の練習は?」
「……してません」
エマは、炭で真っ黒になった自分の指を見た。
「壁の問題を、写すだけ、です」
月謝三千G。模擬試験の追加料金、月五百G。
一年で――四万二千G。
(……え)
靴屋のおじいさんが、十年で払いすぎた監査料と――まったく、同じ額だった。
◇◇◇
偶然とは、思えなかった。
財務部は、靴屋から四万二千G取りすぎた。払えないと言ったら、孫を予備校に入れろと言った。そして予備校の一年分が、四万二千G。
(同じお金が、二回、回ってる……?)
もちろん、まだ証拠はない。監査料が予備校に流れたかどうかは、調べてみないと分からない。
でも。
上納金は、規程にない。予備校の月謝も、規程にない。
――規程にないお金が、規程にないお金を呼んでいる。
「エマ」
私は、壁の前から声をかけた。
「私、少し前に、商人C級に受かった」
エマが、顔を上げた。
「実技で、三十秒黙った。黙ったまま、受かった」
「……黙って、受かったんですか?」
「相手に喋らせたんだ。――教えられる。ただで」
壁を指さす。
「この壁の問題は、資格院で一問十Gで写しが買える。五年分で、二千五百G。月謝三千Gの、一か月分より安い」
エマは、壁と、自分の写した紙を、交互に見た。
「……先生に、辞めていいか、聞いてみます」
「聞かなくていい。月謝は財務部が立て替えてるんだろう?」
私は、首を振った。
「――聞くなら、財務部に聞く。私が」
◇◇◇
異議申し立ての書類の隅に、一行足した。
『なお、被監査者の孫の予備校月謝の立て替えについて、その根拠となる規程を示すことを求める』
――ないものを示せ、とは書いていない。
「あるなら、示せ」と書いた。
示せなかったら、困るのは、向こうだ。
◇◇◇
倉庫を出ようとしたら、階段の下に、若い男が立っていた。紙の束を抱えている。
「……おたく、何の用で?」
「見学です」
「見学は千Gだ」
「払いません。帰ります」
男は、紙束を抱え直した。
「おたく、資格は?」
「十六です」
「……は?」
私は、腰の木札を見せた。
男は木札を見て、私の顔を見た。十五歳の顔だ。
「十六個……? 村で最初の一個を取ってから?」
「はい。村人E級から、順番に」
「ど、どこの予備校だ?」
「行ってません」
男は、口をぽかんと開けたまま、固まった。
合格保証を売ってる人間が、合格した人間の前で、言葉を失っていた。
そして、三秒後。
「……うちの講座の『合格者の声』に、名前を貸してくれないか」
「貸しません」
(切り替え、早っ!)
商売の立ち直りだけは、ヘルガさんより速かった。
◇◇◇
階段の上を振り返ると、倉庫の窓に、エマの顔があった。
炭で黒くなった指で、窓の桟を握っている。
私は、抜けた段を飛び越えなかった。
段の脇の板に、そっと足をかけて下りた。
脇の板は、ちゃんと、人の重さに耐えた。
――抜けた段は、飛び越えなくても、下りられる。
エマが、それをじっと見ていた。




