第166話 合格保証の広告
「異議申し立て……私が受付に座って八年で、初めてです」
資格院の受付で、書記が、私の出した書類を三回読み直した。
三回目を読み終えて、印を手に取る。
「様式は正しい。簿記士B級の署名もある。……受理します」
ぽん、と印が落ちた。
「ただ、受理しただけです。返金が決まったわけじゃありません。これから審査です。……それと、この書類は財務部に回ります。財務理事の目にも入ります」
書記は、胃薬を一つ飲んだ。
(……この人の胃薬、たぶん、私が来るようになってから量が増えてる)
聞かないでおいた。
「……レオン殿。この書類が通る見込み、お聞きになりますか?」
「聞きます」
「ありません」
即答だった。
「審査するのは、財務部です。自分の部署の取りすぎを、自分で認める部署なんて、ありませんから」
「じゃあ、なんで受理を?」
「様式が正しいからです」
書記は、帳簿を閉じた。
「正しい書類は受理されます。受理された書類は、記録に残ります。……通らなくても、残るんです」
そして、少しだけ笑った。
「八年で初めての一行が、備考欄に残ります。――二人目の誰かが、その一行を読むかもしれません」
◇◇◇
帰り道。下町の掲示板に、新しい張り紙があった。
糊が、まだ乾いていない。
『剣士D級 完全合格講座!
合格保証。三日間で、三千G。前回、合格者多数!
〈合格者の声〉
前回の試験で、剣士D級に合格しました。
実技は、一日寝ていても大丈夫でした!
――ライナー・フォン・ハルデン』
(……ライナー!?)
ブレナの町の宿で、隣の部屋にいた貴族の坊ちゃんだ。
「俺の代わりに、兄貴が出るからな」と高笑いしていた。本当に一日寝ていて、剣士様になった男。
その男が、「合格者の声」に名前を貸していた。
『実技は、一日寝ていても大丈夫でした』
――嘘では、ない。
本当に、寝ていたんだから。
(この張り紙の中で、唯一の正直な一文だ……!)
◇◇◇
張り紙の文句は、ブレナの客引きとそっくりだった。同じ組織だ。
板に書いた。
『闇予備校。ブレナと王都で同じ張り紙。
ライナー。替え玉の合格者が「合格者の声」に』
書いてから、一つのことに気づいた。
ライナーは、剣士D級を持っている。神殿で刻印も受けているはずだ。刻印は、本人が自分の手で聖水に浸さないとできない。
でも、試験場で剣を振ったのは、別人だ。
(……じゃあ、神殿は、何を刻んだんだ?)
神殿は、誰が試験を受けたかを見ない。見るのは、資格院の試験官だ。
ヘルガさんと、ガルムさん。あの二人は、見ていた。見ていて、何も言えなかった。証拠がなかったから。
私の資格は、十六。全部、私が受けた。震えながら受けた。
ライナーのステータス画面には、何が出ているんだろう。剣士D級。『剣術Lv1』。――剣を一回も振ったことがない男に?
板の「まだ分からないこと」の欄に、一行増えた。
『資格神の祝福は、替え玉の合格にも降りるのか』
私は、張り紙をべりっと剥がして、懐に入れた。
手に、糊がべったりついた。
前掛けで拭こうとして、やめた。拭いたら、剥がした跡が残らない。
――残しておきたかった。
◇◇◇
東三番通りの角で、靴屋のおじいさんに書類の写しを渡した。
「受理されました。結果は、一か月後です」
おじいさんは、読めない字の並んだ紙を、両手で握りしめた。
手が、少し震えていた。
私の手の震えとは、違う震え方だった。私の震えは、何かを始める前に出る。おじいさんの震えは、何かを受け取ったあとに出ていた。
どっちも、手に余るものを持ったときの震えだ。
路地の向こうで、炊き出しの鍋が、今日も湯気を上げていた。
◇◇◇
物置に戻って、剥がした張り紙を、もう一度読んだ。
『合格保証』。
保証っていうのは、「約束が守られなかったら、これを返します」っていう約束のことだ。
張り紙を、裏返してみた。
――何も書いてない。
何を返すのかも、いくら返すのかも、どこにもない。
『合格保証。保証の中身が書いていない。……書いていないものは、返ってこない』
板に書いて、炭を置いた。
明日は、エマに図鑑の過去問を読ませよう。食堂の長机で。ミラが字を覚えた壁の、すぐ裏で。
それから、この通りの残り十九軒の帳面だ。異議の紙は、一枚じゃ足りない。
(板、二枚買い足さなきゃ。一枚八Gだから、十六G……)
板を買うお金を数えながら厨房に戻ると、長机の上に、ミラの日記が開いたまま置いてあった。
覗くつもりは、なかった。
でも、最後の一行だけ、大きな字で書いてあったから、目に入ってしまった。
『お金って、何に使えばいいの。もらっても、わからない』




