第162話 商人C級合格
商人C級の実技試験は、「値切り」だった。
「あなたは、塩の仕入れ人です。私は、塩問屋です」
長机の向かいに座った試験官が、羊皮紙を一枚、すっと置いた。
元・商会の番頭。資格院に雇われて、二十年、同じこの椅子に座っている男だ。愛想のいい丸顔が、ルドガーそっくりだった。商人って、みんなこの顔になるんだろうか。
「言い値は、一袋三百G。あなたは、これを下げなければならない。――交渉、開始」
私は、深呼吸した。
(大丈夫。相手は試験官だ。怒鳴らないし、殴ってもこない。ドラゴンにも、宴の三十人にも、神官長にも会った。愛想のいい番頭一人くらい――)
目が、合った。
(――癒やしじゃなかった!!)
胃が、きゅうっと締まった。社交性、十二。
「……さ、三百Gは、高い、と思います」
「そうですか?」
番頭は、笑顔のまま、間を置かずに続けた。
「今年は塩が値上がりしておりましてね。輸送費がかさむんですよ。山賊が出まして、護衛を増やしましたので。ええ、三百Gは適正価格です」
すらすらすらっ。
押し流されて、言葉が出なくなった。
一秒。五秒。十秒。
私は、長机の木目を数えていた。
二十秒。三十秒。
「……交渉、続けますか?」
番頭が、眉を上げた。
前世の会議室でも、何度もこの三十秒を味わった。あのときは、三十秒たつと誰かが喋り出して、私の番は終わった。
でも、今日は終わらない。終わらせるのは、私が言う値段だけだ。
(……思い出せ。今朝、何を見た?)
そうだ。朝、『試験分析EX』が、採点のしくみを出していた。
【採点項目:最終価格のみ】
・交渉の過程、話し方、声の大きさ、目線、沈黙の長さ――すべて採点しない。
(……過程は、採点されない?)
声が小さくてもいい。目を合わせなくてもいい。三十秒黙ってもいい。
見られるのは、最後に決まった値段だけ。
――黙らない方法は、黙らないこと以外にもある。
ヘルガさんの言葉が、頭の中で鳴った。
(声で言えないなら……相手に、言わせればいいんだ!)
◇◇◇
「……なぜ、三百Gなんですか」
聞いた。それだけ。
「輸送費と、申し上げました」
「輸送費は、いくらですか」
「……一袋あたり、五十Gほど」
「去年は?」
「……三十Gでしょうか」
「去年の塩は、いくらでしたか?」
「……二百です」
――はい、出ました。
「去年が二百。輸送費が二十G上がった。……じゃあ今年は、二百二十Gじゃないんですか?」
愛想のいい丸顔が、ぴくっと動いた。
「い、いや、塩そのものも値上がりを」
「塩そのものは、いくら上がりましたか」
「……三十Gほど」
「では、二百五十G」
「いやいや、そこにうちの利益が」
「去年の利益は、去年の二百Gの中に入ってましたよね」
私は、羊皮紙に指を置いた。
「今年も同じ利益なら――二百五十Gの中に、ちゃんと入ってます」
番頭が、黙った。
さっきまで三十秒黙っていた男が、今、相手を黙らせていた。
(……すごいぞ、これ)
私は、自分から一度も値段を言っていない。相手が出した数字を、足しただけだ。
足し算は、前世の十一年で一番使った技だ。点数を足して、受験料を足して、貯金から引いた。足して引くだけで、十一年が過ぎた。
その足し算が、今、塩の値段を下げている。
「……二百五十G。合意します」
◇◇◇
番頭は、記録板に何か書いて、私を見た。
「あなた、商売の経験は?」
「ありません」
「ですよね」
即答された。
「目を合わせない。声が小さい。三十秒黙る。……普通なら、不合格です」
番頭は記録板をくるっと裏返した。
「ですが、最終価格が二百五十G。合格ラインは、二百八十Gです」
三十G、下回っていた。
「――合格」
番頭は、ふっと笑った。
「あなたの交渉は、交渉じゃありません。尋問です。……でも、尋問で値段が下がるなら、それは立派な商人の技術ですよ」
ファンファーレが、鳴った。
【資格取得】『商人(C級)』
→ 能力上昇:魅力+6 知力+4
→ スキル獲得:『交渉 Lv1』『在庫管理 Lv1』『度量衡 Lv1』
→ 職業解放:『商人』
保有資格:15 / 12,000
金色の光が、二階の低い天井の下で、くるくると螺旋を描いた。
番頭が、ぽかんと天井を見上げた。
「……光る商人は、初めて見ました」
今度の笑い方は、愛想笑いじゃなかった。
「二十年、この椅子に座ってますがね。あなたみたいな受験者は、二人目ですよ」
「二人目?」
「一人目は、十二年前。一度も自分から値段を言わずに、相手に全部言わせて、受かりました」
「その人は、今……」
「商会で、番頭をしてますよ。――私を雇った商会の、ね」
番頭は、立ち上がって扉を開けた。
「一人目は、商会に入りました。あなたは――どっちに行きますか?」
◇◇◇
刻印の日。神殿の水盆の前で、神官のヴィンセントが私の願書を見た。
「……商人、ですか。魔物調理師の次に、商人」
「はい」
「レオン殿。上では、あなたの資格の並びには『筋がない』と言われています」
彼は、指を三本ずつ折って数えた。
「剣士、下水清掃士、雑草判定士、スライム鑑定士、気象観測士、消毒衛生士、調理士、衛生管理士、栄養管理士、魔物調理師……そして、商人」
「筋がないと、何か困りますか?」
「困りません。……ただ、読めないのです」
「ちなみに、次は簿記士B級です。その次は、家計設計士を考えています」
「……かけい?」
「家計です」
ヴィンセントは、水盆の水を、指で一回だけ撫でた。
読めない並びが、また一つ長くなる音を聞いたような顔をしていた。




