第157話 炭の塩、一袋二千G
「――売れる」
ルドガーが解体場の裏で腹を揺らした。
荷馬車の車輪に腰をかけて、彼は指を三本立てていた。
「あの塩だ。宴の翌日から、三軒の貴族から問い合わせが来た。『オークにドラゴンの塩』。……坊や、あれを作れるか。舌を炭にしなくても」
舌は五万Gである。炭にするために買えるものではない。
だが、炭になるものは舌だけではない。
「骨なら、作れるかもしれません」
「骨」
「解体場の廃棄の骨です。魔素を含んでいます。骨を焼いて炭にすれば、同じ理屈です。……舌の炭と同じ香りが出るかは、分かりません」
「試せるか」
「試します」
ルドガーの笑みが、骨という単語で広がった。私は骨の焼け方を考え、彼は売り値を考えているのだろう。
同じ物を前にして、まだ違うものを見ていた。
それでも「試す」までは一致した。私は、その短い一致を使うことにした。
◇◇◇
試す場所は、学院の実技場の隅にあった。
小さな窯である。魔導炉の試験に使うもので、ヴィルヘルムが「共同研究の一環」として使わせてくれた。
共同研究、という言葉を、彼は書類に書いた。書いた書類は学院の棚に行く。棚に行ったものは、誰かが読むかもしれない。
骨を焼いた。
オークの肋骨である。髄を抜いた後の、炊き出しの残りだった。
一刻焼いて、骨は黒くなった。黒くなったものを削った。削る刃は、毒腺を切る包丁ではなく、古い鉈を使った。骨の炭は、舌の炭より硬い。
一度目の骨は、焦げただけだった。削っても粉にならず、炭の匂いしかしなかった。
二度目は、焼きすぎた。灰になった部分が多く、香りが飛んでいた。
三度目に、焼く時間を半分にした。半分にすると、中に白い部分が残る。残った白い部分は削らずに、黒い層だけを削った。
粉にして、塩と混ぜた。
舐めた。
燻製の香りが、あった。
舌の炭より弱い。香りの立ち方も遅い。だが、あった。
「――売れる」
ルドガーが舐めて、同じ言葉をもう一度言った。
「一袋、二千G。商会が買う。貴族には五千Gで売る。……月に何袋作れる」
「骨はただです。塩が一袋二百G。薪が百G。……一日、三袋」
「月に九十袋。十八万G」
十八万G。
五十二日の日当が、一万五千Gだった。九十袋の炭の塩が、十八万Gになる。
数字の桁が、一つ変わった。
桁が変わると、考えることも変わる。
一万五千Gのときは、五十二日どう生きるかを考えた。十八万Gのときは、何に使うかを考える。
考える前に、ルドガーが次の数字を出していた。
◇◇◇
「ルドガーさん。商会は五千Gで売る。私には二千G。……差額の三千Gは」
「商会の取り分だ。当たり前だろう」
彼は即答した。
「運ぶのは商会だ。売るのも商会だ。貴族と話すのも商会だ。……坊やは貴族と話せるか」
話せなかった。
三十人の視線で、息が止まる人間である。
「三千Gは、坊やの社交性の代金だ。はは」
彼は笑った。
私は笑わなかった。板に書いた。
『香味塩。一袋二千G。商会、五千G。
差額、三千G。……理由、社交性』
理由を書くと、対策の置き場所が決まる。
社交性は上がる。一年半で一から十二まで上がった。上がり方は遅いが、止まってはいない。
止まっていないものを待つか、別の方法を探すか。
図鑑を開いた。
『商人(C級)』 受験料:12,000G 合格率:28%
実技:価格交渉の、模擬
価格交渉。
私が一番苦手なものである。前世で一度もやったことがない。給料は会社が決めた。買い物は値札を見た。家賃は更新のたびに上がった。上がったことに、文句を言ったことがない。
言えば下がるかもしれないと、頭では分かっていた。分かっていて、不動産屋の前で三度引き返した。
宅地建物取引士を持っている男が、自分の家賃を交渉できなかった。
だが、三千Gの差額は、私が交渉しないから生まれていた。
「ルドガーさん。六袋、先に作ります。一万二千Gです。それで商人C級を受けます」
「商人? 坊やが?」
彼は腹を揺らすのをやめて、私の顔を見た。
「その震える手と、人と目を合わせない顔で?」
「……はい」
「いいねえ。面白い」
彼は手綱を取った。
「受かったら、うちの商会に来なさい。今度は調理師じゃなく、商人として」
◇◇◇
十二日で、六袋できた。
一日三袋のはずが、二日で一袋しか進まない日があった。骨を焼く窯が、学院の実技の時間に使えない。
使えない時間に、私は解体場で肉を切っていた。
切った肉は荷車で運ばれ、炊き出しの鍋に入る。骨は窯で炭になり、炭は塩になって上町へ行く。
同じ一頭が、二つの方向へ分かれていった。
肉は無料で下町へ。骨は二千Gで上町へ。
分かれ方を決めているのは、毒ではなく、値段だった。
一万二千G。
資格院の受付で、ヘルガが銀貨を数えた。
「……商人C級。十五個目か」
彼女は数え終えて、顔を上げた。
「……お前が、商人?」
二十年、試験官をやってきた声だった。
声は、笑っていなかった。彼女は私の震える指を見ていた。
隣で、書記が薬包を飲んだ。
「……ヘルガさん。商人は、何を測る試験ですか」
「価格交渉だ。模擬の」
「模擬の相手は」
「資格院が雇った元番頭だ。……二十年、同じ男がやっている」
同じ男が二十年。
「落ちる者は、どこで落ちますか」
「黙る者が落ちる。……値を言えずに終わる」
黙る者が落ちる。
私は、黙る側の人間である。
「……お前は、黙るな」
彼女は帳簿を閉じた。
「言えとは言わん。黙るなと言っている。……黙らない方法は、黙らないこと以外にもある」
それだけ言って、彼女は次の受験者を呼んだ。
黙らない方法が、黙ること以外にもある。
その一言を、私は帰りの坂道で三度思い出した。
二十年、彼女は受験者の指を見てきた。見た指の持ち主が、黙って帰るのを見てきた。
黙って帰る者の名は、帳簿に残らない。
残らない名を、彼女は二十年、同じ声で呼び続けている。
呼ばれて入って、黙って帰った者が、商人C級だけで何人いるのかは、聞かなかった。
聞けば、数字が出る。数字が出れば、板に書くことになる。
左に移せていない行が、十三ある。
十三のうち一つは、商人C級の実技で黙らない方法だった。
三日後に、それを確かめることになる。
確かめる場所は、試験場である。試験場は、私が一度も負けていない場所だった。
負けていないのは、試験場でしか戦っていないからでもある。




